B的日常
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ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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いわゆるサロンについて
前回の記事で取り上げたジャルスキーの新しいディスク、フランス近代歌曲集「Opium」に関連して、これらの曲が生まれる土壌となった、いわゆるサロンについて取り上げてみたい。

このディスクに収録されている歌曲の多くは、貴族やブルジョワ階級が自宅で開いた文化的な集まりである「サロン」のために書かれ、そこで演奏されたものだ。サロンでは主人が文学者や学者を招き、知的な会話を楽しんだり、音楽が演奏された。とりわけ、レイナルド・アーンは少年時代からサロンに出入りし、そこで歌曲の弾き歌いをして絶賛されたという。アーンの生涯にわたる友人(もしくは恋人)が3歳年上のマルセル・プルーストで、プルーストが「失われた時を求めて」でサロンのシーンを描くにあたっては、アーンから得た情報も活用しているときく。

↓ 今でいうシンガーソングライターとしてサロンの寵児だったレイナルド・アーン(1874~1947)さん
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↓ アーンさんのお友達で、不朽の名作「失われた時を求めて」を書いたマルセル・プルースト(1871~1922)さん(お友達どうし、なんだか顔も似ているのだ)
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こうした場で演奏される音楽は、邸宅内という物理的にも心理的にも親密な場を前提としたもので、決して今のようなコンサートホールで大人数の聴衆を相手に演奏するためのものではなかった。音楽と文学の結婚ともいうべき歌曲が放つ「ことば」が届く距離には、おのずと限界があるということもあるだろう。

ジャルスキーの繊細でニュアンスに富む声は、こうしたサロンでの演奏に最も適している。ベルエポックの時代にタイムスリップして、「失われた時を求めて」に描かれたようなサロンで、彼の歌う、あるいは作曲者自らが演奏する歌曲を聴いてみたかったなどと空想する。

ところで一度だけ、サロンの伝統を受けつぐ集まりに居合わせたことがある。北米の大学で比較文学を教えている年長の知人がサバティカル(研究休暇)で半年ほどローマに滞在するというので、イタリアが大好きな私は会社の休暇を取って押し掛けた。そのローマで、知人の研究者仲間の女性が自宅で定期的に開くパーティに同行させてもらったのだ。

シチリア貴族の末裔だという彼女のアパートメントは観光名所「トレヴィの泉」のすぐ近くの歴史的建造物にあった。日本と違って古ければ古いほど価値があるローマ中心部の物件は、研究者の給料ではとても購入できないようなシロモノだから、先代から相続したものなのだろう。そこに10数人のお客が集まっていた。彼女と同業の研究者や文学関係者のほか、有閑婦人という呼び名がぴったりの年配のご婦人もいた。出席者全員で大テーブルを囲んで夕食をいただいた後、ソファのあるサロンに移って、その日のイベントである詩の朗読が始まった。

詩人は30代半ばのハンサムな(<=これ、結構重要)青年で、彼が朗読する自作の詩に皆が聞き入った後、感想を述べ合うのである。イタリア語初級の私には、とてもじゃないがその詩を理解したり味わったりすることはできず、従って感想も言えないから、仕方なく日本の現代詩と伝統的な定型詩の位置付けについて、常識程度のことを(英語で)話して、お茶を濁した覚えがある。

会話を楽しむことが目的のこうした集まりで、言葉ができないのは決定的に肩身が狭い。同行した知人は旧ユーゴスラヴィアの出身だが、戦争中(といっても記憶に新しい例の内戦ではなく、ナチスに攻め込まれた第二次世界大戦)に対岸のイタリアに避難し、そこで子供時代の数年間を過ごした人だったのでイタリア語が流暢だ。そもそも30代で北米に渡るまではヨーロッパで暮らしていた人なので、この日の参加者と文化的にも共通の基盤を持っていた。時折、その知人にイタリア語を英語に訳してもらいながら、私はひたすら冷や汗をかきつづけた。

地理的にも文化的にもヨーロッパからはるかに離れた日本で平凡な会社員をやっている自分が垣間見た、文学サロンの世界。まあ、面白い体験をさせてもらったと思う。知人はその後、北米の大学を退官し、今はイタリアのトスカーナ地方で隠居している。北米で市民権まで取ったのに、終の棲家としてヨーロッパを選んだのは、血のなせるわざだろう。
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by bonnjour | 2009-01-17 10:25 | 聴く&観る