B的日常
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ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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ある女性マドリガーレ作家の一生
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17世紀初頭のダルマチア(現在のクロアチア共和国のアドリア海沿岸地域)で活躍した女性作曲家、Cecilija Lažljivica(生年不詳~1640没)をご存じだろうか。長らく忘れられた存在で、作品を演奏したディスクも皆無だが、圧倒的に男性が優位な作曲家の世界で過小評価されてきた女性作曲家たちを「再発見」ないし「再評価」する動きの中で、リバイバルしつつある一人が彼女だ。

当時、ヴェネチア共和国の支配下にあったダルマチアでは、イタリア発祥のマドリガーレが大変な人気で、Lažljivicaも少数の宗教曲を書いた他は、もっぱらイタリア語のマドリガーレを作った。世代的にはマドリガリズム(歌詞で使われる単語の意味を象徴的に音楽に反映させる、極度に人工的な作曲技法)が頂点に達した後期のマドリガーレ作家、たとえばルカ・マレンツィオやカルロ・ジェズアルドたちと、ほぼ同時代人ということになる。

そして彼女が活躍した17世紀初頭といえば、モンテヴェルディがヴェネツィアのサンマルコ寺院の楽長として大変な影響力を誇った時代。彼女の作品にもモンテヴェルディのマドリガーレの影響が指摘されるが、直接師事した記録は残っていない。そもそも、Lažljivicaがどのような音楽教育を受け、どんな経緯で作曲家になったのかは、あまりよく分かっていない。美しいソプラノの声の持ち主で、はじめ歌手としての訓練を受けたという説もある。もう一つの伝説は、彼女がさる高貴な人の庶子で、その人のバックアップで楽壇に出たというものだ。

ただひとつ確かなのは、彼女の作曲技法は洗練されており、どこからみてもプロフェッショナルの仕事をしたということ。彼女の作品に出てくる大胆な和声進行は新しい時代の到来を感じさせると高く評価されている。

大変に才能ある作曲家だった彼女だが、エキセントリックな人でもあったようで、年老いてから教会で見かけた若い司祭に恋をして、つれなく拒絶されるとアドリア海を見下ろす絶壁から身を投げてその一生を終えた。狂言自殺のつもりが、長いスカートが風にあおられた瞬間、足許が狂って転落してしまったという説もある。

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by bonnjour | 2009-04-01 07:46 | 聴く&観る