B的日常
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ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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聖金曜日:ゼレンカの「聖週間のための哀歌」
今日はイエス・キリストの受難と死を記念する「聖金曜日」。一年でもっとも厳かとされる日で、カトリック教徒は断食を行なう。といっても肉を食べない「小斎」と、食事量を普段より減らす「大斎」を実行するだけで、胃袋には何かしら入っているのが、日の出から日没まで水さえ飲めないイスラムのラマダンとは違うところだ。こんな日には気の利いた魚料理でも作ればいいのだが、あいにく昨日からの連休で店はすべて閉まっており、買い置きの魚介類といえば毎度おなじみの冷凍の鮭しかない。魚料理はあきらめてサラダ2種と素うどん(鰹節のダシであっさり)という質素なメニューにする。うどんのような伝統的な和食は、そのままで「小斎」になるわけで、日本の本来の食習慣って偉いなあ。

さて、今日も聖週間にちなんだ曲を聴く。ボヘミア生まれでJ.S.バッハと同時代人の作曲家、ヤン・ディスマス・ゼレンカ(Jan Dismas Zelenka、1679 - 1745)が書いた「聖週間のための6つの哀歌」から「聖金曜日第IIの哀歌」。ゼレンカは最近、再評価が著しい作曲家で「ボヘミアのバッハ」などと呼ばれたりするが(でも、こういう呼ばれ方ってお墓の中の本人にしてみたら不本意かも?)、プロテスタント信仰に基づいた作品を残したバッハと違い、ドレスデンのカトリック教会付きの作曲家として仕事をした人だ。音源は昨年の8月21日、フランスのSablé-sur-Sartheで開かれたバロック音楽祭での、ゼレンカ作品を集めた演奏会(マレク・シュトリンツル指揮ムジカ・フロレア&フィリップ・ジャルスキー独唱)より。YouTubeに同じ音源を使ったクリップがあった(下記)。



この曲は昨日聴いたルソン・ド・テネブルと同様、聖週間に使われた実用音楽で、エレミヤの哀歌を歌詞に用いている。ヘブライ語の哀歌の原典では各節がアルファベット順に始まる「ABCの歌」的な作りになっていたが、ラテン語に訳されたときもその名残りで、節の冒頭のヘブライ語アルファベットがそのまま残された。この作品でも、各節の冒頭でAleph(アレフ)、Beth(ベートゥ)、Ghimel(ギメル)等と、ヘブライ語アルファベットがメリスマ型に長く引き伸ばされて歌われるのが独特の効果を出している。

厳かな聖週間に歌われる、痛切な内容の曲ではあるが、妙な明るさ(そもそもヘ長調だし)に満ち満ちているのは、2日後に迎える復活祭を見据えているからだろうか。

【聖金曜日第IIの哀歌 ヘ長調 ZWV 53-6 歌詞】

(ALEPH)
Quomodo obscuratum est aurum,
mutatus est color optimus!
dispersi sunt lapides sanctuarii
in capite omnium platearum!
(なにゆえ、黄金は光を失い
純金はさげすまれているのか。
聖所の石が打ち捨てられているのか。
どの街角にも)

(BETH)
Filii Sion incliti et amicti auro primo:
quomodo reputati sunt in vasa testea,
opus manuum figuli!
(貴いシオンの子ら、金にも比べられた人々が
なにゆえ、土の器とみなされるのか。
陶工の手になるものとみなされるのか)

(GHIMEL)
Sed et lamiae nudaverunt mammam,
lactaverunt catulos suos:
filia populi mei crudelis
quasi strutio in deserto.
(乳を与えて子を養うのは
山犬ですらすること
だのにわが民の娘は残酷になり
荒れ野の喚鳥のようにふるまう)

(DELETH)
Adhaesit lingua lactantis
ad palatum eius in siti;
parvuli petierunt panem,
et non erat qui frangeret eis.
(乳飲み子の舌は渇いて上顎に付き
幼子はパンを求めるが、
分け与える者もいない)

(HE)
Qui vescebantur voluptuose,
interierunt in viis;
qui nutriebantur in croceis
amplexati sunt stercora.
(美食に馴れた者も
街にあえぎ
紫の衣に包まれて育った者も
塵にまみれている)

(VAU)
Et maior effecta est iniquitas filiae populi
mei peccato Sodomorum,
quae subversa est in momento,
et non ceperunt in ea manus.
(わたしの民の娘は重い罪を犯したのだ。
あの罪深いソドムよりも。
ゆえにその町は一瞬にして滅んだのだ。
人の手によらずに)

Ierusalem, Ierusalem,
convetere ad Dominum, Deum toom.
(エルサレムよ、エルサレムよ。
主の道に立ち返れ)
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by bonnjour | 2009-04-10 11:59 | 聴く&観る