B的日常
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ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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「平凡な主婦」が間男をする映画 2題
私が贔屓にしている某男性アーチスト(特に名を秘す)への一問一答というのが雑誌に載っていて*、「好きな映画は?」という問いに「クリント・イーストウッドの『マディソン郡の橋』」と答えていた。イーストウッドが製作・監督・主演し、相手役には演技派のメリル・ストリープを得て1995年の公開時には観客の紅涙を大いに絞ったヒット作だが、公開後少し経ってからビデオで見たときに、なんだか無性に腹の立つ作品だったので、これを「好きな映画」に挙げている彼に、ちょっとガッカリした。
* Thanks to Ciel-san

なんで腹が立ったのか分析してみると、主人公二人(イーストウッド演じる孤独なカメラマンと、ストリープの平凡な田舎の主婦)の身勝手さが鼻についたのだ。ストーリーは簡単にいうと「1965年、アメリカの田舎町に橋の撮影にやってきたカメラマン(ギャラの高い「ナショナル・ジオグラフィック」の専属だ、イェイ!)と、小さな農場の主婦(芸達者なストリープの演じる中年女性の現実感・存在感は、確かにすごい)が出会って恋に落ちる。狂おしいような4日間を二人だけで過ごした後、二人はそれぞれの生活に戻っていくが、4日間の美しい思い出を一生心に秘めたまま死んでいった」というもの。
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カメラマン(その名をロバート・キンケイドという)は、社会に適さず、いつも心の中に孤独を抱えたアーチスティックな人間として描かれる。一方、ストリープ演じる主婦(フランチェスカ)はイタリア出身で、戦後進駐軍としてやってきたアメリカ兵と結婚して米国に渡った「戦争花嫁」という設定だ。

この「イタリア出身の戦争花嫁」というのがこの作品のキーワードだと私は思っている。美的センスに優れたイタリア人の彼女が、戦後の混乱の中で進駐軍の野暮なアメリカ兵と知り合い結婚する。そこに、敗戦国の貧乏な生活を逃れて豊かな米国に渡るという打算はなかったのか?夫は善良な人間だが、芸術を解さないがさつなタイプで、そんな夫には特に不満もないが、ものすごく愛しているというわけでもない。それに、外国出身の彼女にとって、保守的な田舎町は孤独を感じる場所かもしれない。子供たちを育てながら、平凡な生活を淡々と送る彼女の前に現われたのが、同じような孤独を抱えた芸術家のキンケイドだったというわけ。夫なら乱暴に閉めるドアを、キンケイドがそっと閉めるデリケートさにフランチェスカがうっとりとするところなど、描写が細かいと思う。こういうタイプの人間は、ベッドの中でも同様のデリケートさを発揮する。

しかし、待て。キンケイドが素敵なのは、彼が特定の女性にコミットせず、旅から旅の生活を送る芸術家肌の人間だからだ。地に足をつけて一生懸命に働き、妻と子供を養っている農場主のフランチェスカの夫と比較するのは酷というものだ。スリリングな人生と安定した生活は両立しない。

実はこの映画で私が一番共感を感じるのは、妻に間男をされてしまったフランチェスカの夫だ。彼はしごくまっとうに、そして愚直に「良き夫、良き父」という期待される役割を果たし、自分なりのやり方で妻を大切にしてきたのに、その妻は自分のいない間に流れ者の男と不倫をして、その思い出を一生胸に秘めたまま自分との家庭生活を続けたのだ。なんたる欺瞞。なんたる裏切り。だから、この映画の身勝手さに腹が立ち、どうしても好きになれない。

さて話は変わり、「平凡な主婦が行きずりの男と束の間の情事を持つ」という同様のプロットで、私がとても好きな映画がある。それはイタリアのエットーレ・スコラが監督した「特別な一日(Una giornata particolare)」(1977年)で、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニという往年のイタリア映画ゴールデン・コンビが共演している(なんと共演9作目だとか)。



こちらのストーリーは一行に要約すると「第二次世界大戦前夜のローマ、ヒットラーがムッソリーニを訪問した『特別な一日』に、反ファシストの男と平凡な主婦が体験した一日だけの恋」となる。

ローレン演じるアントニエッタは夫と6人の子供たちとともにローマのアパートに住む、家事と子育てに追われる主婦で、ムッソリーニの信奉者である夫は無学な彼女を馬鹿にして女教師の愛人を作り、あまり家庭を顧みない。そんな父親の影響か、子供たちも母親を尊敬していないようだ。1938年のある日、ドイツで権力を握っていたヒットラーがローマにいるムッソリーニを訪問することになり、市民のほとんどは式典に参加するために広場に出かけていく。家族を送り出し、一人残って家事を片付けていたアントニエッタだが、ペットの九官鳥が逃げ出してしまい、その鳥を追って行きついたのはアパートの隣人、ガブリエレ(マストロヤンニ)の部屋だった。

知的で不思議な雰囲気を持つガブリエレに心のときめきを感じたアントニエッタ。一度はそんな自分を恥じて自室に逃げ帰った彼女だが、紆余曲折あって二人は束の間の情事を持つことになる。しかしガブリエレは反ファシスト主義のゲイで、その性的指向や主義主張が原因で仕事をクビになり、今は官憲にマークされている身。流刑になったゲイの恋人の身を案じる彼だったが、この特別な一日が終わった晩に、彼自身も追放処分となって連行されていく。事情を知らないアントニエッタは、その晩、昼間に起こった信じられないような出来事を夢見心地で反芻している。窓の外には、夜の闇にまぎれて連行されていくガブリエレの姿があった。

誰もが浮かれてヒットラーとムッソリーニの出席する式典に出かけた「特別な一日」に、あえてアパートに残っていた二人には、主流から外れた人間という共通点がある。反ファシスト主義でゲイという、二重のマイノリティであるガブリエレと、男性至上主義の身勝手な夫に軽んじられ誰からも感謝されない主婦のアントニエッタは、置かれた立場は違うといえ、世間からさげすまれた弱者同士だ。その二人が心を通わせて、ついには肉体的に結ばれるというのは説得力がある。しかし、初めて感じた女としての喜びに全身が紅潮しているアントニエッタと、ゲイでありながら女性と関係が持てる自分に驚きつつ複雑な思いのガブリエレの間には、深い断絶が存在する。このあたりが、人間の本質をつきつめようとするイタリア映画ならではの視点だと思う。また、イタリアがファシズムの狂気に巻き込まれていく前夜という歴史的な舞台設定も効果を上げている。

身も蓋もない言い方をしたら「平凡な主婦が間男をする」という共通点を持った、米国およびイタリア産の上記2つの映画だが、どうしてもエットーレ・スコラ作品のほうに軍配を上げたくなるのは、私がイタリア贔屓だからだろうか。
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by bonnjour | 2009-04-17 21:02 | 聴く&観る