ヨーロッパの地方都市を転々とした挙げ句、ポーランドに流れ着いた管理人「B」の日常。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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生涯現役
2005年 04月 02日
ローマ教皇ヨハネパウロ2世が逝去した。こちらのTVニュースは数日来、死の床にいる教皇の様子を伝える報道でもちきりだったが、午後10時頃、TVを見ていた相棒が「亡くなったという緊急ニュースが、今入った」と教えてくれた。夜9時37分に亡くなったという。そのニュースと同時に、アパートの向かいにあるカトリック教会の鐘の音が響きわたり、約30分にわたって鳴り続けた。教皇の逝去を悼む鐘だ。
共産圏ポーランド出身の彼が教皇に選出されたのは、自由主義陣営が共産勢力に対抗するための政治的背景があったと聞いたことがあるが、彼がポーランドの民主化運動の精神的支柱となってついに共産政権が倒れ、ドミノ倒しのように東ヨーロッパ諸国が民主化していったのだから、その政治的影響力と功績は強大だ。最近ではイラク戦争に関してアメリカを強烈に非難している。 日本を含む世界各国を飛び回り平和を説いて回ったり、カトリック教会の過去の過ちを謝罪したり、宗教間の対話を進めたりと、非常に大きな功績を残した人だが、私が驚嘆するのは、84歳で死去するまで、生涯現役であったこと。といっても教皇には、国王と同様、定年はないので、「死ぬまで教皇として働く」というのは初めからのお約束事だが、行動する教皇として極めてエネルギッシュに活動していたヨハネパウロ2世のパワーには驚く。でも、1週間前の復活祭の日曜日に、ミサに集まった群集を前に語りかけようとしたものの、もはや声が出ず、苦しそうな息の音だけがマイクから伝わってきたのは痛々しく、その場面が追悼番組で放映されるたびに涙が出てしまう。 ところで、新しい教皇を選出する会議「コンクラーベ」は、バチカンのシスティーナ礼拝堂で行われるという。ローマ観光には定番で入っている観光スポットだ。「会議のため、本日は見学受け入れを中止します」なんて立て札が立ったりするのだろうか。
by bonnjour
| 2005-04-02 23:53
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