B的日常
bonnjour.exblog.jp

ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
ブログパーツ
プロフィール
美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
最新のトラックバック
Wheelock's L..
from えいじゅなすの本棚 − 英語..
ミケランジェリ/ショパン..
from クラシック音楽ぶった斬り
フィリップ・ジャルスキー..
from ご~けんのAudio & C..
NAXOS MUSIC ..
from Ceciliaの部屋
カテゴリ
以前の記事
その他のジャンル
ベルリン駆け足観光
フンボルト財団の年次総会の行事は昨夜までで、今日は夕方、列車で帰途に着くまで自由時間。ということで、短期決戦のベルリン観光を決行する。

まず、13世紀~18世紀の西洋絵画をコレクションしている絵画館(Gemaeldegalerie)に向かう。ここにはフェルメール2点、ブリューゲルの「ネーデルランドのことわざ」、クラナッハ、デューラー、レンブラント(いずれも多数)といったネーデルランド&ドイツ近辺のご当地(?)画家たちの作品に加え、ラファエロにボッティチェリ、カラバッジョとイタリア勢まで、名画がてんこ盛りだ。ここまで来て、これを見ないでは帰れない。c0163963_2217625.jpg

入場料は8ユーロ(約1,160円)とちと高いが(1週間かけても見きれないといわれる巨大なルーブル美術館の現在の入場料が、こことほぼ同額の8ユーロ50セントだ)、期待に胸をおどらせて入場する。

巨匠の中でも別格という感じのフェルメールやカラバッジョも、実にさりげなく展示されていて、人もまばらだ。数年前、白金の庭園美術館で開かれたカラバッジョ展に、休日は混むからと有給休暇をとって見にかけつけた私は、平日というのに大盛況の混雑ぶりでぶったまげたものだが、この絵画館の閑散ぶりにはうらやましいやら、もったいないやら。

ここで堪能した名画は数多あるが、妙に気になった1点が、クラナッハの「若返りの泉」(Der Jungbrunnen、写真右上)。画面向かって左側の集団は「使用前」、右側が「使用後」で、この泉で湯浴みした老女は不思議や不思議、うら若い乙女に変身して楽しい宴会の席(画面右上)に就くのでした。

午前11時に到着した絵画館に、午後3時過ぎまで長々と滞在してしまったため、次の目的地「ベルリンの壁の残り物」に向かう。これは相棒の希望。

ガイドブック片手に到着したのは、ナチスの時代、ゲシュタポの本部があった場所に設けられたTopography of Terrorという屋外展示施設。政治犯を収容した地下牢跡に、ナチスの犯罪行為に関する資料が展示されている。
c0163963_22174158.jpg

写真の展示物の上方にあるのがベルリンの壁の残り物で、実物を目の前にすると、思いのほか低い壁であることに驚いた。実際には壁は西側と東側に1枚ずつあって、壁どうしの間は数10メートルの無人地帯で逃亡者が出た場合にすぐ分かるようになっていたという。
最後の目的地は、ベルリンの象徴「ブランデンブルク門」。パリに行ってエッフェル塔を、ニューヨークに行って自由の女神を見なかったら観光旅行にならないのと同じで、正統派ツーリスト(?)としては外せない名所だ。幸い、ベルリンの壁の残骸から歩いていける距離にあったので、帰りの列車の時間を気にしながら大通りをひたすら進む。

たどり着くと、さすがに観光客であふれている。門の前の広場では、数日前に終了したワールドカップにちなんで設置された巨大なサッカーボールのオブジェが解体されているところだった。そういえば、ベルリンで盛り上がるサポーターたちの様子を報道する時には必ずといってよいほど、この門が映しだされていた。

東西ドイツが分断されていた時代には、ちょうどこの門の前に壁が立ちふさがっていたため、門を通行することはできなかったそうだ。東西分断の象徴だったブランデンブルク門を、こうして誰でも通り抜けられる時代にはなったが、社会インフラや経済力における東西のギャップはいまだに大きく、新たな社会不安を生み出している。

【おまけ】
c0163963_22184552.jpg

ベルリンにある「広島通り」。街灯に付けられた通りの名前のプレートには説明として「世界で初めて原子爆弾に被災した日本の都市」と記されている。

日本大使館(写真左下、一番奥の建物)はこの通りにある。ちなみに写真中央のアラビアンな(といっても写真が小さすぎて見えないかも)建物はアラブ首長国連合の大使館でした。
広島通り。一番奥にあるのが日本大使館。
c0163963_2219746.jpg

[PR]
by bonnjour | 2006-07-13 22:15 | 旅する