ヨーロッパの地方都市を転々とした挙げ句、ポーランドに流れ着いた管理人「B」の日常。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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クライバーン国際ピアノコンクールの「から騒ぎ」
2009年 06月 10日
米国のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで日本人の辻井伸行さん(20)が優勝、というニュースが日本のマスコミで大きく報じられている。彼が全盲であることがことのほか強調されてしまうのは、ニュース・バリューの点からは仕方ないかもしれないが、この快挙がどのニュースを見ても「涙の感動物語」風に取り上げられることに違和感を覚える。
全盲であるハンデを抱えながらピアニストになる教育を受け、国際コンクールに優勝するまでには想像を絶する努力と苦労があったに違いないが、彼がコンクールで優勝したのは障害の有無に関係なく、純粋に才能と音楽性が評価された結果のはずなのだから、報道で全盲であることばかりに注目するのは失礼だろう。 さて、今回の選考結果に関して、米国の批評家ベンジャミン・イヴリーがウォールストリート・ジャーナルに寄せた記事「What Was the Jury Thinking? 」は、日本のお祭り騒ぎに水を差すような内容だ。彼は「迷宮のような音楽コンクールの世界では、その透明性に疑問が残る事態が起こる。6月7日に発表された第13回クライバーン国際ピアノコンクールの結果が、いい例だ」と書きだす。 そして「音楽的にもっとも成熟し感性が豊かな中国出身のDi Wuが優勝を逃した一方、一筋縄ではいかない作品を弾いて深みのなさを露呈した学生レベルの演奏者ノブユキ・ツジイと、才能があることは明らかだが19歳になったばかりで音楽家としては未完成のHaochen Zhangが優勝したのは、きわめてショッキングな出来事である」と言い切る。さらに「多くの報道が、ツジイが全盲で音楽を耳で覚えたことにスポットを当てているが、純粋に音楽に関していえば」と断ったうえで「コンクールで弾いたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は惨憺たる結果だった。指揮者の合図が見えないソリストは聴衆の前で協奏曲を弾くべきではない。それが作曲家に対する尊敬というものだろう」と切って捨てる。 厳しい意見というしかないが、ファイナリストたちの現時点での完成度について率直な見解を述べたこのレビューは、健全な音楽ジャーナリズムのあり方を示していると思う。マスコミが障害のある人を取り上げるとき、決して悪いことは言わず手放しで褒めまくる、というのは「障害者は弱く、保護されるべき存在」という偏見に基づいたある種の差別だ。同じく全盲の音楽家であるヴァイオリニストの和波孝禧氏の「『全盲の』という肩書きなしでも通用する演奏をしているはずなのに、なぜ『一人の音楽家』として理解してくれないのだろう」という言葉が胸に突き刺さる。 ともあれ辻井さんが今後、本物の芸術家として活躍していくためには、このような辛口の批評を跳ね返すだけの実力と実績を示さなければならない。レパートリーの構築にしても、目が見えないハンデを強みに転じるような、彼ならではの豊かな想像力と内的世界を活かせる作品を選んでいかねばなるまい。彼を特別扱いするマスコミや儲け主義に走る音楽ビジネス関係者が、その才能をスポイルしなければよいのだが。 このコンクールの優勝者には今後3年間のコンサート・ツアー契約が与えられるというのも不安材料だ。まだ20歳の彼にとって、音楽家として成長する大事な時期にコンサート・ツアーに引き回され、勉強がおろそかになるのは、長い目でみて決して好ましいことではないだろう。 クライバーン・コンクールの優勝者で唯一大成したピアニストといえるラドゥ・ルプーは、優勝後のコンサート契約をすべてキャンセルしてさらなる研鑽を積んだそうだ。コンクールは登竜門であってゴールではない。全世界の人から喝采を浴びる舞台の魅力は抗いがたいものがあるだろうが、その誘惑を断ち切って自らの芸術をさらなる高みにもっていくことのできる者が真の勝者になるだろう。 ↓ 辻井さんの演奏の動画は色々なところで取り上げられているので、あえて同じコンテストの優勝者の大先輩、ラドゥ・ルプーのモーツアルトを貼り付けておく。
by bonnjour
| 2009-06-10 01:01
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