B的日常
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ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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週末旅行 Day 3:思い入れのあるリューベック
週末旅行の最終日はハンブルクから車で1時間ほどのリューベックへ。ハンブルクが北海に注ぐエルベ川沿いに築かれた港町であるのに対し、リューベックはバルト海に通じた港がかつて栄えたハンザ都市だ。

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リューベックには特別な思い入れがある。10代の頃から愛読したトーマス・マンが生まれた街である。とりわけ、リューベックを舞台にした自伝的作品「トニオ・クレーゲル」は、あらゆる小説の中でもっとも好きな作品だ。芸術的な独自の内面世界を持つがために、北の町の勤勉で小市民的な社会には溶け込めず、かといって全面的に情熱に身を委ねるには堅実すぎるというどっちつかずの主人公トニオに、快活な優等生グループについていけない根暗ヲタク女子の自分を重ねつつ、何度も読み返した。作品の中で堅実な市民社会の象徴のように扱われている、この北国の港町をいつか訪ねてみたいとずっと思っていた。

実は3年前にも一人で来たのだが、ハンブルク駅でリューベック行きの列車に乗り込むときに足をすべらせて向う脛を深く切ってしまい、少しでも動くと傷口から血があふれ出す始末で、翌朝までリューベックのホテルのベッドでじっとしていた。それで予定していた観光があまりできなかったため、今回はその時の分まで取り返したいと意気込んだ。

町のシンボル、ホルステン門。建物全体が微妙に歪んでいるが、地盤が弱くて建設当初から建物が地面にめりこんでしまったのだという。リューベックの旧市街は川と運河に囲まれた島にあり、ホルステン門はその旧市街地への入り口にそびえている。
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外から来て城門をくぐろうとすると、壁に取り付けられた「CONCORDIA DOMI FORIS PAX」(内部、つまりリューベックには団結、外には平和を)という標語が目に入る。
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前回来たときには改修のため、城門全体に覆いがかかっていたが、今回はリフレッシュした全体像が見られてよかった。改修のせいか、標語の金文字があまりにも新しくて興ざめだというのは贅沢か?

ホルステン門の脇には古い塩の倉庫が残り、まさにピクチャレスクな風景を作り出している。手前の釣り人が、いかにものどかな雰囲気を醸し出しているではないか。

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↓ 壁に風を通すための穴がある、堂々とした市庁舎。釉薬のかかった黒っぽい煉瓦が特徴的。

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↓ 旧市街の北側の玄関口にあるブルク門。観光名所のホルステン門に比べると見学者も少なく、閑散としている。

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↓ トーマス・マンの文学に魅せられた巡礼者が必ず訪ねるのはブッデンブロークハウス(マン兄弟記念館)。ここは作家の生家ではなく、彼が子供の頃よく訪れた祖父母の家で、長編小説「ブッデンブローク家の人々」の舞台となった。1914年までマン家が所有し、その後銀行として使われていたが1993年に記念館として一般公開された。トーマスと、その兄で同じく作家になったハインリッヒのマン兄弟の作品や、彼らを含むマン家の人々の生涯について展示してある。

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マン兄弟はリューベックの豪商である父親と、ドイツとポルトガルの血をひくブラジル生まれの母親の間に生まれた。勤勉な北方の血と情熱的な南国の血のミックスというのは、「トニオ・クレーゲル」の主人公の設定と同じだ。しかし、二人いた妹はともに自殺し、トーマスの息子で作家になったクラウス・マンもナチスの迫害で亡命したあげく睡眠薬のオーバードースで死亡、と、彼らの代には暗い影が射している。トーマス・マン自身も反ナチスの言動によりドイツ国籍を剥奪され、のちに米国の市民権を得ている。堅実な実務家の先祖たちが築き上げた名門商家が、やがて退廃し没落するというマン家の歴史は、そのまま「ブッデンブローク家」のプロットとなっているが、偉大な作家を生み出すことになった豪商の没落は、文学の世界にとっては感謝すべきことだったといえる。

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↓ マン兄弟も通った1531年創立のギムナジウム、Katharineum zu Lübeck。「ブッデンブローク家」の4代目で、現実世界から逃避する虚弱児ハンノ少年が学んだギムナジウムのモデルでもある。兄ハインリッヒはこの学校の大学進学コースに入ったのに、トーマスは実科コースに進んだうえ、成績も不良だったのだという。偉人にありがちなエピソード。

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↓ 13世紀に起源を持つ救貧院の「聖霊養老院」。往時の様子を再現したジオラマが展示されていたが、養老院のすぐ隣には墓地があり、人生のベルトコンベアーのようでちょっとぞっとした。

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↓ こちらが養老院の居室。非常に小さく区切られた部屋の中に小さなベッドと箪笥など、最小限の家具がコンパクトに配置されている。

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↓ 世界最大級といわれるパイプオルガンがあるマリーエン教会(建設:1250~1350年)。ブクステフーデが長らくオルガニストをつとめたことでも有名で、若き日のJSバッハは彼の演奏に釘付けとなり、予定を延長してリューベックにねばったのだとか。残念ながら今回はオルガンの音色を聴くことができなかった。

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昼食は、1535年に建てられた船員組合の館にあるレストラン「Haus der Schiffergesellschaft」に行く。レストランの内部はほの暗く、むき出しになった太い木の梁が燻されたような色で歴史を感じさせる。船員組合の建物らしく、古びた船の模型が至るところに飾ってあるのが面白い。

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↓ 建物入口の上部をよく見ると、建設年の表示と船の絵が。

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↓ ファサードの頂上にも金色の船。

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本日のおすすめ料理「魚のロール」を注文。赤い身のLachs(鮭)と、白い身のSeelachs(スケソウダラ)のフィレで魚のムースを巻いてある。あっさりと上品な味で、甘めのソースがよく合った。

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by bonnjour | 2009-10-11 06:06 | 旅する