B的日常
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ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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異性装する役者たち-Chantal Aubry著「La femme et le travesti」を斜め読み
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Chantal Aubry, La femme et le travesti (Arles: Editions du Rouergue, 2012)

先週、パリのギメ東洋美術館に「茶の歴史」展を見にいったら、そこのショップに面白そうな本があったので購入した。シャンタル・オーブリー(Chantal Aubry)という著者の「La femme et le travesti(女性と異性装者)」(Editions du Rouergue刊)という、今年10月に出たばかりの大型本である。男性歌手が男役ばかりか女役もこなすバロック・オペラの「アルタセルセ」(レオナルド・ヴィンチ作)ナンシーくんだりまで見に行っての帰り道、パリでこのような本に出会うとは嬉しい偶然だ。

この本は東洋と西洋におけるtravesti (異性装者:本来の性とは逆の服装をする人)の歴史とその文化的背景、それが意味するものを、豊富な図版で紹介したもの。3部構成になっており、第1部では異性装の歴史として、日本の歌舞伎や大衆演劇における女形、中国の京劇(陳凱歌監督の「覇王別姫」のモデルとなった名女形、梅蘭芳が登場する)、インド/インドネシア/ビルマにおける宗教/シャーマニズムと結びついた異性装、多神教であるギリシャ・ローマ世界の演劇における異性装、西洋のキリスト教世界での宗教劇などを取り上げている。

第2部。ここでは西洋近代における異性装役者を考察しており、私はこの部分に興味をひかれて購入したのだった。登場するのはエリザベス朝に一般的だった少年俳優による女形と、女優が演じたシェークスピア劇の男役(ハムレットを演じるサラ・ベルナールなど)。イタリア・スペイン・英国における状況、バロック期フランスにおける異性装(例えば太陽王ルイ14世は若い頃、女の姿でバレエを踊った)、そしてカストラートが活躍したイタリア(女が人前で歌ったり踊ったりするのは淫らだと考えられ、去勢男性歌手が女役を演じた時代)、フランス革命前の状況(モーツアルト「フィガロの結婚」のケルビーノはこの文脈で語られる)。そして19世紀の演劇およびオペラにおける女優・女性歌手の男装。

第3部は、19世紀末から現代に至る演劇の世界や作家・芸術家による男装と女装を取り上げ、女性解放の流れや70年代の意識革命との関連を論ずるもの。三島由紀夫の「サド侯爵夫人」や、乱歩の原作を三島が戯曲化した「黒蜥蜴」(美輪明宏演じる美貌の女盗賊と木村功の明智小五郎が顔を寄せ合う、妖しくも美しい写真あり)なども例に挙げられている。

白状してしまえば、私も高校生ごろから30に手が届くころまでは異性装じみた服装が好きな女であり、テーラードのパンツスーツ、ネクタイ、カフリンクスといったものを好んで身に着けていた。それは、女らしさを強調する服より、ありのままの自分をよく表現できると感じたからだが、会社の口の悪い同僚からは、「なんだお前、レズビアン・バーのママみたいな格好して」と茶化されて苦笑した。そうした装いをしなくなったのは、加齢とともに男装的ファッションが「痛く」なってしまったからである。

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第2部「近代西洋における異性装役者」の「カストラートたちのイタリア」より。

上の写真の左ページにある写真の説明: 「カウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーは、女性を演じたことはない。バロック期の作曲家ステファノ・ランディによる宗教オペラ『聖アレッシオ』では、彼はこの聖人を演じた。共演したのはマックス・エマニュエル・チェンチッチやクサヴィエ・サバタなど、7人のカウンターテナーである。」

オール男性キャストによる「聖アレッシオ」の上演(2007年)が例に挙げられているだろうと思ったら、やっぱりそうだったが、今回の「アルタセルセ」の上演が、この本の執筆に間に合わなかったのは残念だ。

右ページの写真の説明: 「1998年にリヨン国立歌劇場で上演された、ペーター・エトヴェシュ作曲、ケント・ナガノ指揮、天児牛大演出の『三人姉妹』に出演したベジュン・メータ(写真中央)。」音を聴いていないのでなんともいえないが、写真だけでもインパクトがある。衣裳とメイクは、故・山口小夜子が担当している。



「聖アレッシオ」で主人公の妻を演じるチェンチッチ(上の動画)。新婚初夜に自分を置いて神を求める放浪の旅に出てしまった夫アレッシオ(フィリップ・ジャルスキー)を思い、息も絶え絶えに嘆くチェンチッチの演技は鬼気迫るものがあった。後ろには、乞食に身をやつして家に戻り、階段の下に住みついたアレッシオ。身元を明かしたくても神への愛ゆえに明かせない、揺れ動くアレッシオの心情表現も見どころである。フェミニンな顔立ちでソプラノに近い声質のジャルスキーが男役、顔だけ見たらどうやっても女に見えないチェンチッチが女役を演じている。



ダニエル・シュミット監督が坂東玉三郎にスポットを当てて日本の伝統芸能に迫るドキュメンタリーThe Written Face(書かれた顔)(1995年)。
「男の画家が女を描くのと同じように、(自分は)女形を描いてきた。男の作家が女の気持を書くのと同じように、ある種の客観性をもって、自分の人間的な魂に乗っけて、女の理想、これが女なのじゃないかと思うエッセンスみたいなものを描いてきた。それが、女形なんじゃないか」と語る玉さま。この言葉は、上記の本「La femme et le travest」にも引用されている。

「聖アレッシオ」の制作にあたっては、歌手たちに玉三郎のビデオを見せて、男が女を演じることの本質を掴んでもらったという逸話がある。彼らに見せたビデオとは、このドキュメンタリーではないだろうか?

さて、話は変わりオペラ「アルタセルセ」だが、これが初演されたローマでは当時、教皇の命令により女性が舞台に立つことは禁止されていた。そういう事情から、作曲段階から男女すべてのキャストに男性歌手(カストラートおよび非カストラート)をあてて書かれた作品であるが、ここではカストラートは女性歌手の代用品ではなく、オペラの「必需品」になっている。高音を無理なく出せる少年の声帯を維持しつつ、肺活量の大きい成人男性の体躯(去勢によるホルモン異常で、むしろその身体は巨大化する傾向にあったという)を持ったカストラートたちは、幼い頃からの音楽のスパルタ教育の甲斐あって、人間離れした美声と高度な技巧を兼ね備えたスーパースターだった。(ただし、去勢された子供たちのうち、才能に恵まれカストラート歌手になれたのはごく少数であり、そのまた少数がスターの座につけるという、極めて歩留まりの悪い残酷な世界である)。

さらにいえば、人工美の極致といえるカストラートの歌声の音楽的魅力に加え、男性歌手ばかりの舞台で繰り広げられる、性別と役柄がねじれた虚構の世界に当時の観客はワクワクしたのではないか。しかも、英雄や美女を演じているカストラートたちは、美しい歌声と引き換えに男性としての生殖機能を奪われた、マージナルな存在である。男であって男でない人々。人間であって天使の声を持つ人々。これが二重の「ねじれ」を生む。

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Photo: Opéra national de Lorraine

翻って、ナンシー歌劇場の「アルタセルセ」は、カウンターテナー唱法という極度に洗練されたテクニックを持つ、現代の(肉体的にはなんの小細工も施されていない)歌手たちが、かつてのカストラートのパートを歌うという試みだ。安定した音色、正確な音程、広い声域など、いくつものハードルをクリアしたうえで、芸術性の高い歌唱ができる若手のカウンターテナー歌手を5人も揃えたのは快挙である。そんな彼らが演じた男女の恋人どうしは、どうだったか。

アルタセルセ王の親友アルバーチェ(男)を演じるフランコ・ファジョーリ(上の写真右側)の、妙につるりとした風貌はどちらかというと女性的だし、その恋人であるマンダーネ(女)役のマックス・エマニュエル・チェンチッチ(同・左側)は、鼻や顎の線がはっきりとした精悍で男性的な容姿である。この二人による第3幕の二重唱「Tu vuoi ch'io viva o cara!」(下の動画)は、あくまでも美しく、心を打つ歌であるが、メゾソプラノの音色でありながらその芯にはあきらかに男性を感じさせる2つの声がからみあい、ハーモニーを奏でるところに、たまらない倒錯性を感じてしまう。とりわけ、低音部での胸声を混ぜた発声でこの二人のカウンターテナー歌手がハモるところなんて、目と耳から入ってくる情報だけでは男女の愛の歌なのか男どうしの愛の二重唱なのか訳が分からなくなってきて、なんだか覗いてはいけない世界を覗いてしまった気がした。



【つけたし】
「アルタセルセ」でファジョーリの驚異的な歌唱に接し、今自分の中でこの歌手がブームになっている。そんなファジョーリの「普及活動」にかなり前から取り組み、彼のレパートリーや出演情報、放送およびディスク発売予定などをこまめに発信してくださっているのが、ブログ友であるアルチーナさんだ。ファジョーリに興味をもった方は、「アルチーナのブログ」を訪問してみよう。また、ウィキペディア(日本語版)の彼のページも必見。(だって bonnjour が投稿したんだもん)。

【余計なひと言】
「アルタセルセ」におけるチェンチッチの、容姿でなく歌と仕草で見事に女を演じた名女優ぶりは、「マルシャリン」を彷彿とさせる瞬間もあったといったら、シュヴァルツコップのファンに殴られてしまうかな?

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Photo: Opéra national de Lorraine

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Photo: Elisabeth Schwarzkopf as the Marschallin in Richard Strauss' Der Rosenkavalier
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by bonnjour | 2012-11-23 02:08 | 読む