ヨーロッパの地方都市を転々とした挙げ句、ポーランドに流れ着いた管理人「B」の日常。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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ナンシー歌劇場のモーツァルト「皇帝ティートの慈悲」
2014年 05月 07日
生まれつきの怠け者ゆえ当ブログを放置プレイのまま、気がついたら1年以上経過していた。一発芸のTwitterのほうが楽なので、そっちに流れていたということもある。最後の投稿がモーツアルト・ネタだったので、またモーツァルトで放置状態からの脱出を試みてみたい。 …と、こじつけは置いておいて。 フランスはロレーヌ地方ナンシーの国立歌劇場で上演されたモーツァルト「皇帝ティートの慈悲」新プロダクションを観た。英国リーズのOpera Northとの共同プロダクションで、リーズでは一足早く昨年上演されている。リーズ版との大きな違いは、セストとアンニオという、通常はメゾ歌手がズボン役として担当するキャラクターを2人のカウンターテナーに歌わせたという、思い切ったキャスティングだろう。なお、作品の初演時にはセストはソプラノ・カストラートが、アンニオは女性歌手が歌ったので、半分はオリジナルに戻ったわけだ。ジョン・フルジェームズの演出は、原作のローマ時代を現代に置き換えたもので、モノトーンのシックなセットや衣裳(コナー・マーフィー)とあいまって、スタイリッシュな舞台になっている。 指揮: Kazem Abdullah あらすじ さて、フランコ・ファジョーリによるセストと、ユーリ・ミネンコが演じたアンニオだが、この配役は大成功といってよいだろう。カウンターテナーとしての卓越した技術と高い音楽性を備えていることはもちろん、この二人の声はとても相性がいいのだ。彼らが変わらぬ友情を歌い上げる二重唱「Deh prendi un dolce amplesso(ああ、やさしく抱き合おう)」は、3度と6度のハーモニーが身震いするほど甘美だった。メゾ二人がハモるのとはまた違った、力強さを感じさせる歌唱である。それに、視覚的にも男役の「中の人」が本物の男性というのはしっくりくる。余談だが、ワイルドな長髪のカツラをつけたファジョーリは、人気のあのイケメン・テノールにちょっと似てる瞬間があるじゃないかと(ごく局地的に)話題になった。 髪の存在って、すごい。 ナンシー歌劇場といえば昨シーズンにカウンターテナー5人プラステノール1人という男性歌手だけの絢爛豪華バロック歌謡ショウ(と呼びたい)、ヴィンチの「アルタセルセ」で話題になったが、ファジョーリはそこで超絶技巧を披露して観客をあっけにとらせた歌手だ。今回のセスト役では、有名なアリア「Parto, Ma Tu, Ben Mio(私は行く、でも、いとしいあなたよ)」の見事なコロラトゥーラは勿論のこと、皇帝暗殺を悔いる長丁場のレチタティーヴォ・アコンパニャート「O Dei, che smania e questa(おお、神々よ、これは何という狂ったことか)」のドラマチックな表現力と緊迫感に釘付けになった。 一方、ミネンコも「アルタセルセ」に出ていたが、敵役であまり派手なアリアもなかったので、ちょっと影が薄くて気の毒だった。今回は彼の魅力である温かみのある豊かな声が十分に生かされて、本領発揮となったのは嬉しいことだ。 ティート帝、テノールのベルナール・リヒターは、気品ある声で正統派モーツアルト・テノールの風格があった。ヴィッテリア役には、そのエキセントリックな性格を反映した、上と下に恐ろしく音域が広く大胆な跳躍もある難曲のロンド「Non piu di fiori vaghe catene(花の美しいかすがいを編もうと)」がある。これを歌ったサビーナ・クヴィラックには、ただ、ただ、お疲れ様と声をかけたい。アンニオとの愛を貫くセルヴィリア役のベルナルダ・ボブロは、優しくも芯の強い女性というキャラを、その可憐な声でよく表現していた。 なお、初日のオペラ評が4月30日付のフィナンシャル・タイムズに掲載されており、かなり好意的な評価をしている。フランコ・ファジョーリの大ファンとして情報普及活動に尽力しているアルチーナさんのブログで、その日本語訳が読める。
by bonnjour
| 2014-05-07 13:56
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