B的日常
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ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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パリ郊外にやってきた
連れ合いが4月半ばまでパリ郊外に滞在しているので、合流するため日曜日にパリに着いた。滞在先は、Institut des Hautes Études Scientifiques(IHÉS)という数学と理論物理学の研究所で、所在地はパリ郊外といってもエソンヌ県という別の自治体に属する。パリ中心部から郊外列車に乗って40分ほどの田園地帯で、印象としては都内から下り電車に乗り、秩父あたりの小さな村に迷い込んだみたい。滞在者は研究所に付属する宿舎に入居できるので、宿探しや生活用品持ち込みの面倒がないのは有難い。1年ほど前にも滞在したことがあるので、勝手が分かっているといえばそうだが、今回はちょっとした違いが…。

↓ 1年前に滞在した部屋。山小屋風というかイケア風な素朴なインテリア。
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↓ 今回あてがわれた部屋。上記と同じ建物にあって床面積は同じだが、中国家具と螺鈿細工の壁絵が存在感を主張するオリエンタル趣味の部屋。香港あたりのホテルにいるような気持ちになってくる。
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なぜか、私たちが入居した部屋だけ最近改装を行い、高価な中国家具を入れたのだという。それで、連れ合いが到着したときには施設管理担当者が立ち会って、家具のチェックを行った。出て行くときに傷がついていたら弁償しなくてはならないということで、たかが机ひとつ使うにも、おっかなびっくりである。

↓ 居室は豪華仕様の改装を施されたものの、ダイニングは取り残されたように素朴なままだ。そして前回滞在した部屋には4つ口のコンロと大型オーブンが備え付けられた立派な台所があったのに、この部屋ときたら、2つ口コンロの簡易キッチンでオーブンがない。美味しい食材の宝庫フランスに来て、この装備は…ちょっと悲しい。いや、立派なホテル風の部屋をあてがわれたのだから、感謝しなくちゃいけないが。
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↓ 最寄り駅の駅前にある教会。右側の石碑は、二度の世界大戦で戦死した地元出身者を顕彰するモニュメント。
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↓ ご近所は、こんな風景。ヤドリギの生えた木を見ると、北国に来た感じがする。
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by bonnjour | 2013-02-05 00:54 | 暮らす
季節のご挨拶
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季節のご挨拶を申し上げます。
欧州に移住した2004年のクリスマスに開始してからというもの、最近は長期間放置プレイしたり、思い出したように更新してみたり、むらのある当ブログですが、細く・長くをモットーに来年も綴り続けていきたいと思います。これからも、よろしくお付き合いいただければ幸いです。

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Natitvity, Lorenzo Costa, Musée des Beaux-Arts, Lyon, France
みどり児のキリストが愛らしすぎる、ロレンツォ・コスタ(1460 - 1535)の聖家族図。
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by bonnjour | 2012-12-25 02:09 | 暮らす
好きな夢を見る方法
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"Flaming June" by Frederic Leighton
私はプロのカウンターテナー歌手として、ケルン歌劇場で上演されるオペラ「アルタセルセ」(レオナルド・ヴィンチ作)の舞台に立とうとしている。間もなく開演なので、出演者一同には緊張が走る。

そこに当日の控えの歌手であるK氏(実在の人物)が現れて、「それで、君の役はどれなの?」と聞いてきた。私は一生懸命に記憶をたぐるが、頭の中が真っ白になってしまった。ややあって、「ああ、そうだ。今夜はドン・ジョバンニを演るんだった」と思い出し、「ツェルリーナ!」と返事した(このあたりの矛盾が、夢である所以)。

場面は変わり、舞台では「ドン・ジョバンニ」でなく「アルタセルセ」が進行中である。私の、ほんの数10センチ先には恋人同士を演じるフランコ・ファジョーリとマックス・エマニュエル・チェンチッチが向かい合っている。二人は二重唱「Tu vuoi ch'io viva o cara」(愛するひとよ、君は僕に生きろというけれど)を歌い始めた。まさに天国的なハーモニー。こんな至近距離でこの曲を聴けるとは、なんと幸せ者であることか。私は、自分自身がキャストの一員であることも忘れて、デュエットに聴き入るのだった。



先日、冗談に「今夜は夢の中でフランコ様に会うからね」と宣言してみたが(ファジョーリの実演を先月ナンシー歌劇場で聴いて衝撃を受けてから、にわかファンになった私である)、もちろんかなわなかった。それが昨夜、本当に実現して、ちょっとうろたえている。眠りにつく直前まで、「アルタセルセ」のケルン公演に行ってきたばかりのブログ友の報告を、同好の士とともにTwitterとFacebookで見聞きして興奮していたので、どうやらそれが夢に反映されちゃったらしい。夢にしては妙にリアルな音と映像であった。しかし、最初はカウンターテナー(=男性)であったはずの自分が、途中からツェルリーナ役(=女性)に性転換するのは、やっぱり自分の性自認は女性ってことなんだろうな。

好きな夢を見る方法、というのがあるらしい。

いわく、「自分は今、夢を見ている」と自覚できる「明晰夢」(lucid dream)を見ること。寝る直前に、見たい夢に近い写真や映像を見ること。夢を思い出す訓練をすること。見た夢を記録しておく「夢日記」を付けること、等々。

このうち、「明晰夢」以外はすべて自分に当てはまりそうなので、これは見るべくして見た夢だといってよいだろう。

夢を思い出して記録することについては、小学校に上がる前に見た、怪奇的でシュールな夢が最も古い記憶だ。あまりにも印象が強烈だったので、折に触れて思い出し、それが記憶に定着した。
私は近所の薬局の前に設置された、お気に入りの遊具に乗っている。10円玉を入れると、動物の形をした電動の乗り物が上下に揺れるという例のやつだ。ところが突然、乗り物の台がパカッと開いて、地下から数体の骸骨が躍り出てきた。ママー、助けて、怖いよう ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル。

この夢には理由があって、その日の昼間、私は百科事典に載っている古代の埋葬の発掘写真を見せられたのだ。そこには踊ったような形をした骸骨があった。古代人だけでなく、人間は誰でも死ぬとそのような形になることを知った。「死ぬ」というのは、幼稚園で毎日唱えさせられるカトリックの「天使祝詞(=アヴェ・マリア)」に「天主の御母 聖マリア、 罪人なるわれらのために、 今も臨終の時も祈り給え」という一節があり、その「りんじゅう」というのが「しぬ」ことなのだと教えられていたが、「しぬ」ことを視覚化したのは、その発掘写真が最初である。地中から骸骨が湧いて出て、骨をガシャガシャいわせながら踊るなんて、幼稚園児が見るには生々しすぎる夢。まさにDanse Macabre(死の舞踏)の風景だった。ちょうど、下の絵のような。

どうせなら、死の舞踏ではなく、昨夜のような天国的なデュエットの夢を見たいものである。だから、寝る前に見る映像は厳選したい。
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"Dance of Death" by Hans Holbein the Younger
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by bonnjour | 2012-12-19 06:09 | 暮らす
クロアチア語の教材。あるいは、恥ずかしい過去を発掘した話。
実家に置きっぱなしのガラクタや本を整理していると、自分の恥ずかしい過去を掘り返して、思わず赤面することがある。それは、中二病(中学二年生頃の思春期の少年少女にありがちな、自意識過剰やコンプレックスからくる一連の言動傾向)が炸裂している日記だったり、いっとき夢中になった趣味に関係する本や用具だったり、今では音信普通になっちゃった人とやり取りした手紙だったりする。

で、今回発掘した恥ずかしい過去とは、これ ↓ だ。
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セルビア・クロアチア語(と当時は呼ばれていた)の自習教材なんてマニアックなものを買った理由は、いたってありきたりだが、男がらみだ。もっとも、その当時夢中になった相手はクロアチアで生まれ、子供時代をイタリアで過ごしてまたクロアチアに戻り、その後北米に移住したというバックグラウンドの持ち主で、6カ国語を自由に話したから、私がこの難しそうなスラブ系言語を学習する必要はまったくなかった。しかし恋する乙女(笑)というのは、相手のことをもっと知りたい、そのためにはその人の母語を学んでみたいと思うものなのである。

写真左側の「Colloquial Serbo-Croat」という教材は、どうやら米国に行ったときに買ったものらしく、29.95ドルという値札が付いている。この種の本は、今ならAmazonで簡単に取り寄せられるが、当時は入手に時間も金もかかった。なので海外に出たついでに買いこんできたらしい(そのあたりの経緯は、すっかり忘れている)。右側の教材は、白水社が出している入門書の「エクスプレス」シリーズ。薄い本とカセット1本だけなのに定価4,700円とは高かった(調べてみたら、現在出ているCD付きの新装版は2,835円だ。なんだこのデフレぶり)。それにもかかわらず買ってしまった私は、よっぽどのぼせ上っていたようだ。

当時はクロアチア紛争が起きた頃で、その人も国に残っている親類縁者を救済するために忙しくしていた。そういう、歴史の大きな流れに翻弄されているオトコを見て、同情心のようなもので燃え上がってしまったというのも事実だ。

だが、女心と秋の空は、変わりやすい。何かの拍子に熱が急速に冷めるとともに、クロアチア語教材も無用の長物になって書棚の奥に仕舞い込まれた。結局、覚えた言葉は「こんにちは」「ありがとう」「これは犬ですか。いいえこれは猫です」だけである。情けない!

なお、これらの教材が作られた時点では、まだユーゴスラビア連邦が存在しており、言語も「セルビア・クロアチア語」と呼ばれていたが、あの不幸な内戦を経て国は分裂し、本来、差異が極めて小さく、使用文字だけが違っていた(セルビア語:キリル文字、クロアチア語:ラテン文字)言語が、政治的理由から別々の言語として扱われるようになった。言語の境界を決めるのは政治であるという悲しい実例だ。

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Map of former Yugoslavia with division of Bosnia-Herzegovina. June 2006 Author: Paweł Goleniowski


ところで、裏声ブラザーズが総出演する女人禁制オペラ「アルタセルセ」(レオナルド・ヴィンチ作)を、ケルンおよびパリでご覧になる同好の士の皆さんに業務連絡。このオペラで主要な役を演じ、今回のプロダクションのプロデューサーでもあるマックス・エマニュエル・チェンチッチは、ウィーン育ちとはいえ、クロアチア出身だ。終演後のサイン会のときにでも、彼にクロアチア語で挨拶したら点数アップするかもしれない。

教材が必要な方は当方までご連絡を。ただし音声教材はカセットテープのみ。

↓ YouTubeには個人が投稿したクロアチア語学習用クリップも色々上がっている。

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by bonnjour | 2012-12-01 17:47 | 暮らす
阿波しじら織の着物
日本の夏というと浴衣を着たくなるが、一式を夫の実家に保管中なのと、仕立て上がりの品では希望する寸法のものが見つからないため、浴衣としても使える夏物の木綿着物をオーダーしてみた。阿波しじら織の、気軽に使える日常着だ。身丈170センチ、裄丈71センチというマイサイズ(巨大サイズともいう)に対応してもらえて嬉しい。

阿波しじら織は徳島で作られる綿織物で、経糸の張力差を利用して表面に細かい凹凸をつける。この凹凸が、高温多湿の日本の夏に最適な、さらっとした肌触りを生む。伝統的な藍染のものも素朴な感じでいいが、今回は濃紺の地に、白とパステルカラーの縞が入ったモダンなものにしてみた。

7月に入ってから注文したため、仕立てあがったものが届いたのは8月の初めだった。最初は「水上の古楽まつり」(前回のエントリー参照)に着ていこうと思っていたのだが、別途ネットで注文した帯が、実物が届いたらまったくイメージと違った色で取り合わせが悪いので、着ていくのをやめた。これがネット購入の落とし穴。まあ、船着き場までずいぶん歩くのも、洋服に傾いた理由だけど。

ハズレだった帯は別の機会に活用するとして、あらためて色が合いそうなものを(また性懲りもなく)ネットで買った。今度はイメージ通りのものが届き、ほっとした。博多織の小袋帯で、初雪を踏んだときのようなキュッキュッという絹鳴りがいい感じである。

これまたネットのバーゲンで麻の長襦袢も揃えたので、単衣の季節である今月中に、こいつを着てどこかに出かける機会を作ってみたいものだ。
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by bonnjour | 2012-09-05 21:53 | 暮らす
水上の古楽まつり
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8月19日の日曜日、東京湾に浮かべた船を貸し切りにして古楽好きが集うという、なんとも洒落た催し物に参加した。集まったのは、Twitterの古楽クラスターの皆さん。実現したのは、ひとえに幹事であるリュート弾きのkkさんのハードワークと、運営に協力した有志の皆さんのおかげだ。楽しくも風流なひと時が過ごせて、心から感謝します。

ちなみにkkさんと私は、在籍時期は大幅に違うものの(私がずっとずっと古い)、同じ大学で音楽学のK教授に師事した仲間。といっても私は単に好きだから音楽史のクラスに出没していただけなので、この分野を専攻し、今でも情熱を持って勉強を続けているkkさんに比べたら、私の知識や理解なんて、まことにお粗末なものである。

↓ この60フィート・クルーザー「フェニックス・クィーン」が会場。主催者の熱心な宣伝活動の甲斐あって、定員一杯の50人もの参加者が集まったので、船室は大賑わいになった。飲み物は運営会社のスタッフがサーブしてくれて飲み放題。色とりどりのおつまみは参加者が持ち寄りで、夏らしくスイカも。
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↓ クラヴィコードって船に持ち込めるんだと驚くやら感激するやら。クラヴィコードの他にも幹事のkkさんが愛用のリュートを持ち込み、さながらバロック時代の船遊びみたいだった。揺れる船の中で、通りすがりに大事なクラヴィコードに生ビールをぶちまけては大変と緊張したが(ちょうど、飲み物を受け取って席に戻る途中にクラヴィコードが鎮座しているのである)、そんな事故も起こさずに会を終えることができて、よかった。なお、開催直前から開催後の様子については、こちらが詳しい。
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by bonnjour | 2012-08-31 23:35 | 暮らす
中央線な祭り 阿佐谷の七夕と高円寺阿波踊り
勤め人時代、中央線沿線に一人で住んでいた。通勤の便が良いというのもあるが、子供の頃からあの沿線のサブカルチャー色満点な雰囲気が好きで、オトナになったらあそこに住みたい!とずっと思っていた。そんな願いもかなうのだから、大人になるってのはいいことだ。

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中央線なヒト―沿線文化人類学」(三善里沙子・著、小学館文庫)という本によると、中央線沿線に集まる人たちというのは、「何かにつけてウンチクを垂れ、ビンボーそうなのにヨガやマイブームものには大枚をはたき、上昇志向を持つことを恥とし、夜は馴染みの飲み屋で一杯…」だそうで、ヨガを除くとほとんど自分に当てはまるのが恐ろしい。

この中央線沿線で、8月には2つの大きなイベントがある。今年はその両方に出かけることができた。

その1 阿佐谷の七夕祭り

月遅れの七夕に開かれるお祭り。商店街の活性化策として1954年から続いており、今年は8月3日~7日に開かれた。地元のアーケード街にさまざまな七夕飾り(くす玉、各種キャラクターの張りぼて)が取り付けられ、その下には多数の屋台が出る。屋台で買った生ビールとつまみを食べながら、趣向をこらした飾りを見て回るのが楽しい。アーケード街の酒屋の前でベルギーのサクランボ味のビール、ベルビュー・クリークの生を売っていたのが飲食面では一番の収穫だった。価格が現地の約3倍というのは、日本酒を海外で飲む場合と一緒なので、まあ仕方ない。

↓ 駅を降りると、ずらりと並んだ提灯がお出迎え。
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↓ 七夕飾りは日本のアニメだけでなく、こんな洋物キャラも登場。あと、スパイダーマンの飾りもあって、それは見事なものだった。
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↓ 人混みを避けて写真を撮ったけれど、アーケード街の入口など、人通りの多い場所では通勤ラッシュ時のプラットフォーム並みの混雑だった。
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その2 高円寺の阿波踊り

8月の最終の土日に、JR高円寺駅前から東京メトロ新高円寺駅にかけての複数の道路を舞台に、いくつもの集団(これを「連」という)が流し踊る、高円寺名物の阿波踊り。阿佐谷の七夕同様、町おこしとして1957年に始まったイベントで、今では本家の徳島に続く、「日本三大阿波踊り」のひとつとなっているそうだ。小学生の頃、家族でこのイベントを見にいったことがあった。時期的に夏休みの終盤に当たるが、宿題がまったく終わっておらず、お先真っ暗な気持ちで踊りを見物したのが強烈な印象で、阿波踊りといえば夏休みの宿題を思い出す。我ながら、情けない。

↓ こちらも、駅を降りると派手な提灯が出迎えてくれる。
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↓ 大きなイベントゆえ、後援にはメディア企業が。
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↓ 三味線、太鼓、鉦、篠笛などで奏される二拍子の音楽は、見ている者も踊りだしたくなるような躍動感がある。
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↓ 優美な女踊り。でも、網笠に手甲を付けた衣裳で踊り歩くのは、ものすごく暑そう。
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by bonnjour | 2012-08-26 01:17 | 暮らす
地ビールを東京湾の上で飲む
梅雨の晴れ間の土曜日、ふと思い立って海の近くにビールを飲みに出かけた。品川駅に着くと、海風なのか、気持ちの良い風が吹いている。同じ都内でも、私がいる武蔵野方面と臨海部では、気象にかなりの違いがあるようだと感心する。

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品川駅から散歩を兼ねて徒歩15分、Waterlineという、天王洲運河に浮かぶラウンジに入った(上の写真左側の、ちょっと見に遊覧船のような形をした建物)。ここは、寺田倉庫が運営する飲食店で、東京都の「運河ルネサンス構想」(江戸時代からの歴史がある東京の運河を、都市景観の美化や観光振興にもっと活用しようというプロジェクト)の第1号店(2006年オープン)なんだそうだ。この店では、隣接するT.Y.ハーバー・ブルワリーという地ビール工場直送のビールを出している。それが目当てで来たというわけ。

天王洲地区は90年代初頭に再開発が済んで、一時はオシャレなデートスポットとしてもてはやされたが、今では客足も落ち着き、観光名所というよりはビジネス街としての色が強い。その中では、この地ビール工場を核にした飲食店(水上ラウンジと、工場併設のレストラン)はコンスタントに人気を集めているようだ。

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さて、喉が渇いていたので、さっぱりしていそうなウィートエールを注文する。Sサイズと称する半パイントほどのグラスで480円というのは、店の雰囲気など考えるとリーズナブルな価格だ。昨年、ドイツでよく飲んだHefeweizenを思い出す、夏向きの味。爽やかなそよ風がひっきりなしに吹いてきて、見た目も涼しい水の上のテラスは、暑気払いにうってつけだ。

渇きをいやしての2杯目はアンバーエールを注文し、こってりしたコクを楽しんだ。2杯飲んで、1000円札で足りるのは、なんとも嬉しいこと。おっと、おつまみ類はミックスナッツ500円、チーズ盛り合わせ1,800円、ピザ(マルゲリータ)が1,800円等と、それなりの東京価格なので、ご注意。

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by bonnjour | 2012-06-23 11:57 | 暮らす
いきなり反省図から
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Georges de La Tour (1593-1652) "Madeleine en pénitence"
― ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作 「悔い改めるマグダラのマリア」


いきなり、上記のような反省図から始めないといけない。(反省を表現した画像をいろいろ検索してみたが、やはり、愛するジョルジュ・ド・ラ・トゥールの、この作品がよいだろう)。
4カ月以上、このブログを放置プレイしてしまった。

3月はじめにデンマークからドイツのボンに引っ越し、短期契約できる無線インターネット接続サービスに申し込んだが、データ送受信量に制限があり、ブログ更新もままならなくなった。そうこうするうちに、あの大震災と原発事故が起きた。その瞬間に国外にいたとはいえ、大げさにいえば人生観を揺るがすような大事件であり、さまざまな思いが交錯して心が乱れた。そして、自分だけが海外の安全な場所にいるという後ろめたさ。もう、ブログをゆっくり書く心の余裕もなく、ネットはもっぱら原発事故の情報を収集するツールになった。

いまだ進行中のこの災害と事故は人々の世界観をがらりと変えてしまい、すべてのものが「震災前」と「震災後」に二分されるような気がする。

さて、5月末にボン滞在をいったん中断し、フランスの相棒の実家に引っ越し荷物を仮置きした後、6月半ばには二人で東京にやってきた。都内の私の実家に身を寄せ、相棒は共同研究者のO先生のいる都内の大学に1カ月滞在し、私はいつも通りの内職をこなす毎日。東京に着くなり、かなりの猛暑ですっかりバテてしまい、あまり外にも出ず、友人たちにも連絡せず、という悪しきひきこもりの生活だ。

今週のはじめに相棒は一足先にフランスの実家に戻った。私は8月半ばまで東京に滞在した後、合流する。8月末にはまたボンに引っ越し、そこに2カ月滞在した後はパリに3カ月、という気が狂いそうな細切れのスケジュールが待っている。引っ越し貧乏、をまさに地でいく私たちだが、これも何かの縁、遊牧民族みたいな生活を楽しむ余裕をもちたい。
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by bonnjour | 2011-07-27 18:01 | 暮らす
ボンのアパート
これから3カ月のボン滞在中に住むアパートは、中心部から5キロほど離れた場所にある。地名に~dorf(村)とあるのがまさに名は体を表すで(1969年にボン市に編入されるまでは実際、村だった)、教会や役場のある一画を中心に集落が形成されているさまは、昔ながらの村落を思わせる。アパートから教会広場に行く道すがら、こんな素敵なものを見つけた。

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これは農家の直売所で、取り扱い品目はジャガイモ、野菜、果物、放し飼い鶏の卵。ジャガイモが他の「野菜」と区別されて一ジャンル扱いされているのは、さすがドイツだと妙に感心する。

家主のT夫妻はボンでなく、車で1時間ほどのデューレン市に住んでいる。ご主人はそこで精神科医を開業しているとのこと。T夫人からは、部屋の引き渡し時に、入口のドアは静かに閉めるように、とか暖房用ラジエーターの目盛りを寝る前に「夜間モード」(月のマークが目印)にして省エネに務めるようにとか、具体的かつ細かい心得を色々ときいた(相棒は「さすが仕切りやのドイツ女性だ」と苦笑)。T夫妻は、このアパートを専ら短期滞在の外国人研究者に貸しているそうで、過去の借主の中にはドイツ人の想像を絶する生活習慣をもった人もいたのかもしれない。

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アパートは窓が大きく取ってあって、外の光が一杯に入ってくるのが気持ち良い。窓の前にあるデスクをさっそく占領して仕事スペースにした。インテリアに少々、ちぐはぐ感が感じられるのは、とりあえず色々な家具を寄せ集めて家具付きアパートに仕立てた結果かもしれない。でも応接セットの白いテーブルとワゴンに、私が持ち込んだ赤い敷物を敷いたら、ちょっと可愛くなった。果物の籠と酒瓶も、もちろん持ち込みだ。これは、マーキング行為の一環(笑)。

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by bonnjour | 2011-03-01 08:51 | 暮らす