B的日常
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ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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コンピューターはクイズ名人を超えられるか ― IBM「ワトソン」のチャレンジ
子供の頃、フジテレビ系列で平日の夕方に放映されていた「クイズ・グランプリ」という番組のファンだった。一般の視聴者が解答者として出場し、「社会」「科学」「文学・歴史」といったジャンル別の問題を選び、解答していくゲームだ。問題には難易度があり、難しい(マニアックな)問題には高い得点が設定してある。複数の解答者がいて、ボタン早押しで解答の権利を得る。

この番組の形式が、米国の人気クイズ番組「ジョパディ!(Jeopardy!)」を下敷きにしたものであることを、最近知った。米国で暮らしたことはないので、「ジョパディ!」という番組がどれほど一般に親しまれているのか、いまひとつピンとこないが、この番組の特別企画として明日14日から3日間、番組の歴代チャンピオン2人がIBMの開発した「ワトソン」というコンピューター・システムとクイズ対決する



「ワトソン」は、IBM社の創立者トーマス・J・ワトソンにちなんでネーミングされたコンピューターで、コンピューター言語でなく人間の話す「自然言語」でなされた、ありとあらゆるジャンルの質問に対し、正確で素早い解答を行うことに特化して開発された。特筆すべきは、解答の際にその答えに対する「確信度」を算定することで、人間なら直感的にやっていることをコンピューターにさせるのには大変な困難があったという。また、「ジョパディ!」で読み上げられる質問文には微妙な言葉の綾やアイロニー、謎掛けなどが多く含まれていて、そうした複雑な要素をコンピューターが解析するのは難問だ。IBMの研究者チームは4年がかりで「ワトソン」を開発したという。

対戦者は、「ジョパディ!」の歴代出場者の中で最多連勝記録を達成したケン・ジェニングス氏と、単独の出場者の累積賞金として最高の325万5,102ドルを稼いだ記録をもつブラッド・ラター氏。こういうクイズ名人の頭の中というのは、最近発見された星の名前から映画の中の名台詞、メキシコ料理に使われる特殊なスパイスの名前に野球選手の成績まで、果てしない分野の知識がぎっしり詰まっていて、問題文の読み上げとともにそれらの知識が即座に連携して解答が導きだされるのだろうか。人間の可能性はたいしたものだと感心する。

対する「ワトソン」は対戦前にメモリーに書籍100万冊分のさまざまなコンテンツ(百科事典、辞書、一般書籍、映画台本、等々)を読み込んでおき、問題文に含まれる特定の言葉をメモリー内の知識と結び付けて、確信をもって正しい解答を決定する。言葉の意味や文脈を分析する能力があるため、それが可能となっている。また、並列演算で大量の情報処理を行うプロセッサーの技術革新のおかげで、100万冊分の自然言語で書かれた情報を瞬時にチェックし、3秒以内に正解を見つけ出すという離れ業が可能になった。具体的にはPOWER7という汎用プロセッサーがコア数にして2,880個(!)使われている。

さて、この「ワトソン」だが、開発の目的は実世界での応用にあり、「大量のデータを取捨選択して的確な解答を導き出し、その信頼性を順位付けする」という能力を、今後は医療診断や医薬品の開発、法律分野では過去の判例の検索、ビジネス界では顧客サポートなど、さまざまな分野に応用していくという。

今回の人間とコンピューターのクイズ対決。私が会社員としての大半の年月を過ごし、現在でも間接的にお世話になっていないこともないIBMの「ワトソン」に肩入れしたい気持ちもあるが、接戦の末に人間に勝ってほしいような気もする。
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by bonnjour | 2011-02-13 17:29 | 思う
華麗すぎる経歴の宇宙飛行士候補(自称)が日本人を煙に巻いた件
先週の金曜日に東京大学が、同大学の大学院に勤務するトルコ国籍の助教(昔の「助手」職ね)に対し、7年前に授与した博士号(工学)の取り消しを決定したと発表し、各紙で大きく報道された。取り消しの理由は「不正な方法で学位の授与を受けた」ことで、ひらたくいえば学位論文が盗用だらけ(論文全体の約4割)だったということだ。博士号の取り消しというのは、133年の東大の歴史で初めてのことだという。

宇宙エレベーター」(地上と宇宙を結ぶ装置)や「インフラフリー住宅」(水道・電気などのインフラに頼らずに暮らせる住宅)など、ユニークな研究に取り組む気鋭の外国人研究者として朝日新聞や日経BPなど大手マスコミに登場し、日本語の著書も数冊あるこの助教(以下S氏)の華麗すぎる経歴や業績(いずれもご本人が主張)については前々から疑問の声が出ていて、ネット上のコミュニティではここや、ここや、ここで色々な人が検証を行っていた。ドイツ生まれのトルコ人である(これは本当)ご本人いわく、イリノイ工科大学建築学科卒業後、24歳でプリンストン大学数学部講師に就任(学部卒でいきなり名門プリンストンで畑違いの数学の講師?)、NASAの客員研究員として活躍しトルコ人初の宇宙飛行士候補に選ばれ、その一方ではトルコ代表スキー選手としてオリンピックに出場、本業ではU.S.Technology Awardやケンブリッジ大学物理賞など、数々の栄誉を受けるという、スーパーマンみたいな人だが、ここまで華麗な経歴だと、ついつい裏を取ってみたくなる。

私も検証の成り行きを興味深く見守っていた一人だが(要は野次馬だ)、彼の自称する経歴を否定する情報、たとえば「宇宙飛行士候補」の事実確認に対するNASAやトルコ政府からの否定的な回答が昨年11月頃から次々と報道されたのに続き、とうとう東大が博士号の取り消しという前代未聞の措置をとったことで事態が急展開した感がある。

ネット上で多くの一般人が関わってS氏の主張する経歴や業績の検証が行われたのは、単なる好奇心ややっかみからではなく、彼の研究に対して税金が財源である科学研究費補助金(科研費)が交付されていたことが大きいだろう。科研データベースで情報が一般公開されているが、それを見ると彼が代表者である「宇宙技術を活用した住宅建設におけるインフラフリー施設の構築に関する研究」には2006年&2007年度にあわせて350万円の科研費が下りている。この研究の計画書および報告書には虚偽や盗用が山盛りであることが指摘されるほか、彼が経歴書に記している論文や特許、受賞歴についてもことごとく、その存在が確認できないか、他人の業績であることが分かってきたという。論文の盗用や実験データ改竄などという、みみっちい話でなく、これはもう、一人の偉大な科学者を捏造した壮大なプロジェクトだとしかいいようがない(爆笑)。

本業の「研究」以外に、S氏は本の執筆や外部の講演活動、自らが主宰する私塾での一般人向けレクチャー(これが1回1万円という高額の受講料)など、日本で稼ぎまくっていたわけだが、東大で博士号を取得し今もそこに所属する研究者(これは動かしようのない事実)というブランド力や権威がそれを可能にしたことは間違いない。あと、日本語を流暢にあやつる外国人であったことが好感度アップに貢献したかも(ちなみにトルコ語話者にとって言語構造が似ている日本語のマスターはさほど難しくないそうだ)。それにしても、盗用だらけの論文で博士号を授与してしまった東大こそ、いい面の皮だ。学位審査って、そんなにユルいものなの?性善説を信じる日本人を騙すのは赤子の手をひねるより簡単、とよくいわれるが、彼の著書や講演に感銘を受けた一般人はさておいて、日本の学術界に君臨する東大までが口八丁手八丁の外国人におちょくられた感じがして、なんだかすっきりしない。

S氏には、壮大な架空の世界を構築した創造性と卓越した写真加工技術(たとえばNASAの宇宙服を着用した写真を自著に掲載しているが、この写真には様々な矛盾点があり、他人の写真の首をすげかえたものだとほぼ特定されている)を、今後はポジティブな方向に生かしていただきたいものだ。

↓ S氏が華々しく登場するこのニュース番組のクリップも捏造?


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by bonnjour | 2010-03-08 18:21 | 思う
いまどき市場原理主義? フランスの大学改革
何かにつけて米国型の市場原理主義をフランスに導入しようとしているニコラ・サルコジ仏大統領(2007年5月就任)だが、大学もその照準に入っており、高等教育・研究大臣のヴァレリー・ペクレス女史が統率する大学改革が進行中だ。学長の権限の強化(つまり学長が独裁者になりうるということ)、教育研究における競争原理の導入、財界への接近といった、この改革の理念や内容が、大学の現場にいる教員・研究者にとっては「トンデモ」ということで、2月5日には改革に反対するスト&デモがフランス各地で繰り広げられた。外地にいる相棒はストの当事者ではないが、この改革は研究者としての今後のキャリアや人生に大きな影響を及ぼすわけで、立派な利害関係者である。

改革の背景にあるのはフランスの大学の国際的競争力の低下と人材流出、大学をドロップアウトする学生の多さ、大学教育が産業界のニーズに合致せず大量の大学新卒失業者を生み出している現状、そしてエリート養成機関であるグランゼコールと大衆的な高等教育機関である大学との格差、といった問題だ。グランゼコールは高級官僚や政治家、企業幹部などを養成するフランス特有の高等専門教育機関で、厳しい選抜試験をくぐり抜けた少数の学生に徹底的なエリート教育を施す。一方、大学の場合は入学資格試験であるバカロレアを取得すればほぼ無条件にどの大学にも入学できるため、我も我もと大学に登録する。その結果、大学には収容能力を超える数の学生が押し寄せ、教育環境が劣悪になっていると同時に毎年、大量の落伍者が出ている。また大学を卒業しても職がない(これに対し、グランゼコール出身者は引く手あまたの幹部候補生として就職に苦労しない)。そこで大衆教育の場である大学の質を高め、グランゼコールに代表されるエリート教育との大きすぎる格差を是正しようというわけだ。

こうした問題を抜本的に解決しようという動きそのものは良いのだが、その手段として「学問の自由」という理念とは相容れない市場原理主義を導入しようとしたのが現場からの総スカンを食らっている理由だ。そもそも、米国のサブプライム問題に端を発する金融危機で市場原理主義のほころびが見えてきた今、そんなものをイマドキ導入するなんて時代遅れじゃないかという見方もある。

以下は、今回の改革に反対する大学関係者たちが出した「国際アピール」だ。オリジナルのフランス語のみならず、日本語を含む16の言語に翻訳されている。この国際アピールのWebサイトはこちら。

【国際アピール】

フランスの大学は無期限のストライキに入った。

フランスは、独立と自由と敬意を享受する、高等教育および優れた研究の公共サービスを有していた。政府は、ここほんの数ヶ月で、暴力的に、しかもなんの合議もなく、この公共サービスを破壊し、不安定性と恣意性が支配する一種の知識マーケットに変質させることを決定した。

- (教育と研究を担当する)教員は安定な身分を失い、授業時間数は(学長の一存で)どうにでもなり得る様になる。
- 独立性をもたず不安定な非常勤教員と入れ替えるために、常勤教員のポストは劇的に減らされようとしている。
- 博士候補生に対し、大学は、最初の6ヶ月については、何の理由もなくその身分を奪う事が出来る様になる。しかもまた、当人には何の了承も得ず、そして何の権利も持たせず、企業の為に奉仕させられる事になろうとしている。
- 初等・中等教育教員を養成するシステムは破壊されている。
- (何よりも競争にさらされ、国家の強化された支配下で)「自主独立化」し、充分な予算を持たない大学は、まもなく授業料を徴収せざるを得なくなり、また地元財界に服従せざるを得なくなる事は、想像に難くない。
- フランス国立科学研究センター(CNRS)は廃止され、テクノクラート(高級管理職技術者) による予算配分機関に変えられている
- 研究者は、すべての学会から拒絶された不適切で馬鹿げている「定量的」な基準にもとづいて評価される。

我々、全ての国の大学関係者および研究者は、ここに、世界各地でおしつけられてきた(そして今日もおしつけられようとしている)官僚主義的で金銭至上主義的で危険な方策を見いだす。

以上の理由から、我々は、フランスの大学関係者と連帯する。『百科全書』、ボルテールやルソー、更に「人権宣言」を生んだ国において、教育と研究が一種の商売に貶められ、諸々の権力の恣意に左右されることになるとすれば、そこで脅かされるのは全世界の自由である。

是等の新たな状況を強いる諸々の圧力が、一気に押し寄せて来ている。我々の存在価値を守る為には、我々はこれまで以上に、そしてこれら諸勢力以上に団結しなければならない。それゆえ、我々は、大学関係者たちに対して、この様に広められつつある、如何なる時代の人文主義的知識人も、誰一人として味方しなかったこの偏流に直面する今日、政治的、哲学的、あるいは宗教的な立場の違いを越えて団結することを訴える。
#     #     #     #


さて、この国際アピールのWebサイトでも紹介されているのだが、フランスの研究とイノベーションに関するサルコジ大統領のスピーチ(2009年1月22日)の「嘘」をあばく傑作なビデオが英語字幕付きでYouTubeにアップされているのでご紹介する。事実誤認、歪曲、強弁のオンパレードには苦笑してしまう。オリジナルの仏語版は2月4日に投稿され、すでに27万回以上再生されている。


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by bonnjour | 2009-02-16 11:14 | 思う
オバマさん当選おめでとうございます
昨日は米国大統領選挙の開票速報番組を、固唾を飲んで見ていた。国際社会の中で暴走&迷走が止まらないアメリカの軌道修正ができるのは、「変革」をキーワードに大統領選に躍り出たオバマ氏しかいないと思っていたし、アメリカの同盟国日本は、良くも悪くも常に米国から大きな影響を受けているのだから、彼が次期大統領に選ばれてほっとした。

米国の影響を多分に受けている大学で学び、海外移住するまでは米国東部エスタブリッシュメントの権化みたいな企業で長らく働いてきた身には、アメリカというのは反発しながらも気になる存在で、"Odi et amo"的なセンチメントをかきたてられる。同じような感情を抱いている日本人は多いだろう。最近、どんどん「壊れて」いたアメリカが、これを機に再生してほしいと思う。

それにしてもオバマさんの演説の上手いこと。昨日シカゴで行った勝利演説はとりわけ感動的だった。それはもちろん彼自身が並外れて優秀で、コミュニケーション能力に長けた人だということもあるが、優れたスピーチライターを複数抱えていることも理由の一つだろう。スピーチライターを含む優秀なブレーンを周囲に揃え、彼らを自らの頭脳の延長のように使いながら見事に「チーム・オバマ」を統率するところに彼の成功の秘密があるような気がする(一言でいえば、優秀な人材が寄ってくる人徳やカリスマ性があるってことか)。

今回はオバマ陣営の、インターネットを使った選挙運動の巧みさも賞賛されたが、これもインターネットの特質や、ネットを使う人間の心理を知り尽くしたブレーンがいたからこそだと想像する。それに対してマケイン陣営は、選挙戦においていまひとつインターネットの活用ができなかったようで、そんなIT活用能力の違いも選挙結果に影響を及ぼしているのだろう。

最後に: 同じく昨日行われたマケインさんの敗北宣言は、潔く、かつ前向きなもので、この方をちょっと見直した。アメリカって、何よりも「前向きさ」や「フェアプレイ」が重視される国なのだな。
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by bonnjour | 2008-11-06 23:00 | 思う
ムハンマドの風刺画ふたたび
2005年に大騒動となった「ムハンマドの風刺画」の作者を殺害する計画を立てた容疑で、デンマーク在住のイスラム教徒3名が昨日拘束された(彼らがいたのは、私の住んでいるオーフスの近郊)。この殺害計画発覚に抗議して、今日は震源地である新聞「Jyllands-Posten」をはじめとするデンマークの地元紙が一斉に風刺画の再掲載を行った。

2005年の騒動の際はドイツにいて、隣の国の出来事という距離感があったが、なんの因果か騒動の中心となったJyllands-Postenの本社があるオーフスに住むことになった。ということで、今回は臨場感(?)もひとしおで、色々と考えてしまった。

まず、いくら頭にきたからといってこの漫画を描いた作者を殺害するというのは、もちろん絶対に許されない行為である。また、「そういう発想をするからこそ、イスラム教は暴力的である」と非難される理由を作ることにもなる。

一方、「表現の自由」を錦の御旗にイスラム教という他宗教、異文化への誹謗中傷を新聞という社会の公器で行うのは「自由」の乱用だ。(実際、デンマークの刑法では、合法的な宗教の教義や崇拝に対し、公開の場で侮辱することを禁じている)。しかも、前回この風刺画を掲載してイスラム世界(およびデンマークのイスラム系住民)の心を傷つけたのに、これみよがしに再掲載する見識が理解できない。

たとえばデンマークは国教として福音ルーテル派を信仰しているが(国民の9割以上がこの宗派に属し、強制的に教会税が課せられる)、表現の自由ということで「聖書の内容は嘘八百だ」「十字軍の昔から、キリスト教は血塗られた宗教だ」などという言説を、大新聞でくり広げたらどうなるだろう。反社会的行為として断罪され、不買運動が起こるだろう。もちろん新聞社は、そのような自分の首を絞める馬鹿な真似はしない。

こうしてみると、自分に都合の悪いことは自己規制するくせに、他人の宗教はないがしろにする、という二重規範は明白で、表現の自由だなんて胸を張れたものではない。もっといってしまうと、人々の心の中にある、なんだかモヤモヤしたイスラム教徒への反感や偏見におもねって、「この漫画、面白いでしょう。やっぱりイスラム教徒って、得体が知れなくて怖いよね」とにじり寄ってくるような「あざとさ」を、この漫画から感じるのだ。オーフスの街を歩いているとイスラム系の住民の姿をよく見かけるが、今日、風刺画が掲載された新聞を目にした彼らは心臓にナイフを突き立てられた気持ちになったのではと心が痛む。

風刺画の再掲載は、子供の喧嘩なみの、レベルの低い意地の張り合いにしか思えない。新聞社として暗殺計画に抗議するなら、もっと建設的でクリエイティブな企画を立てればよかった。そういう創造性があればの話だけどね。
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by BONNJOUR | 2008-02-13 20:24 | 思う
トップの失言
ローマ教皇ベネディクト16世が、里帰りしたドイツで、イスラム教を非難したと取られても仕方のない発言(というか、失言だ)をしてしまった一件。日本でも報道されているようだが、当地でももちろん大ニュースで大きな反響を巻き起こしている。

教皇の真意がどこにあったのか、知る由もないが、出身国ドイツの大学で神学の教授を務めた後バチカン入りして「教理省長官」(世が世なら「異端審問官」だ)をやっていたという彼の経歴や、「超保守派」という教皇選出時の評判を考えると、イスラム教に必ずしも好意的ではないのだろう、と想像するのはそれほど間違っていないと思う。

教皇個人として、さまざまな感情や感覚を持つことは誰にも止められない。そもそも80歳に近い老人の主義主張を、誰が変えることができようか。だが問題なのは、それを外部に吐露してしまうことだ。彼の発言は「ヨゼフ・ラッツィンガー氏(教皇の本名)の気持ち」ではなく「全世界にネットワークを持つカトリック教会の見解」として受け止められるのは必至なのだから。

企業広報に携ってきた自分の経験からいうと、これは典型的な「トップの自覚不足による失言事件」だ。ようするに、自分の発言の影響力を見くびったということ。

失言が起きやすいシチュエーションとして「緊張が解けた一瞬」「気心が知れた相手へのオフレコ発言(本来、オフレコというのは存在しない。喋ってしまったら報道される)」というのがある。今回の教皇の失言は、この図式にまんまと当てはまる。(余談だが、日本の政治家の失言も、たいてい「支持者との集会」など、内輪の席でのオフレコ発言に端を発することが多い)。

まず、生まれ故郷のドイツに戻った安心感。今回の失言は大学での講演の最中に起こったということだが、長らく大学で教えていた経歴から、ついつい古巣に戻ったような、内輪の感覚が出てしまったのかもしれない。講演の言語が母語のドイツ語だったことも、ついつい「ホンネ」を言ってしまう要因になりそうだ。

これを防ぐには、もう徹底的な「メディア・トレーニング」(正しいメディア対応の仕方を学び、失言を防止するとともに正確かつ効果的に真意が伝わるコミュニケーション方法を習得する)を受けていただくしかない。今回の失言はメディア取材によるものではないが、公の場での発言は常にメディアに注目されていることを考えれば、応用が利く。

アメリカあたりのPR会社が、さっそくバチカンに売り込みをかけていたりして...。
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by bonnjour | 2006-09-15 21:49 | 思う
ムハンマド風刺画騒動とダブル・スタンダード
数週間前から、各地で死者を出す騒ぎになっているムハンマド風刺画問題。初めにニュースを聞いたとき、よりによって偶像崇拝を厳しく禁じるイスラムの、神聖な預言者を戯画化するのは決定的にマズイでしょう、とまず思った。たとえ好意的に描いたとしても、ムハンマドを図像化すること自体が大変な不敬行為なのだ。そしてその風刺画の内容といえば、爆弾型のターバンを巻いたムハンマドを含む、イスラムを貶めるようなものだったと知り、こりゃダメだと頭を抱えてしまった。

この風刺画を初めに企画したデンマーク紙および、転載した欧州各国のメディアは、これを表現の自由だと主張する。が、ネットで問題の風刺画のコピーを見た感想からいうと、ムハンマドを戯画化するという、他宗教へのあまりにも心無い仕打ちに加え、イスラムとテロリズムを同一視するようなこの「作品」は、風刺画に必要不可欠なユーモアのかけらもない、悪質なネガティブ・キャンペーンだ。その根底には、イスラムを自分たちとは異質なものとみなし、彼らの尊厳を踏みにじることに何のためらいも持たない傲慢さが見え隠れする。そして、イスラム過激派にかっこうの口実を与えてしまったという、手際の悪さも。

その一方で、ホロコーストを否定したとして英国の歴史家がオーストリアで有罪となり、禁固2年の刑が言い渡されたというニュースが飛び込んできた。タイミングが悪かったというべきか、良かったというべきか、西欧の「言論の自由」におけるダブル・スタンダードを象徴する出来事として、注目を浴びることになってしまった。

ナチの負の遺産を払拭しようと懸命なドイツやオーストリアでは、こうしたホロコースト否定の言動を行うこと自体が犯罪であり、今回の歴史家のように、刑罰の対象となる。つまり、「ナチ関連」はアンタッチャブルであり、言論の自由の例外として存在するのだ。

これ以外でも、西欧ではキリスト教やユダヤ教に関する否定的言動は、メディアの自己検閲的な「配慮」によって回避されているのが実情だろう。キリスト教的ないしユダヤ教的世界観をバックグラウンドとする主流読者に不快感を与えることに加え(読者の不買運動が起これば、経営危機に瀕する)、世間から反キリストとか反ユダヤ主義と糾弾されれば厄介な問題を抱え込むのだから。

こうした実情をみると、彼らが主張する「言論の自由」も案外、ご都合主義であることがわかる。
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by bonnjour | 2006-02-23 21:52 | 思う
フランス外人部隊のOB(日本人)がイラクで...。
イラクで日本人の「警備会社社員」が拘束された、と聞いて、フランス外人部隊にでもいた方なのでは、と思ったら、やはりそうだった。日本のいわゆるガードマンとは違い、戦場で危険な(あるいは軍隊が関わりたがらないような汚れた)仕事の外注を請け負う「警備会社」で働くためには、実戦経験のある軍隊 OB(日本の自衛隊は、決して実戦を行わない軍隊だから、該当しない)でないと、勤まらないだろう。

以前、フランス外人部隊についての情報を、全くの興味から調べたことがあったのだが(私は軍事オタクではありません)、「自分の可能性を試したい」といった理由で部隊に志願する日本人が少なからずいることを知り、驚いた。欲しいものが何でも手にはいる平和でリッチな国に生まれ、人生の手ごたえとやらを実感するために、外国の軍隊に入って鉄砲をぶっ放すという、倒錯。そもそもフランス外人部隊は、19世紀にアルジェリアに無理な派兵を行って自国の前途ある青年を無駄死にさせたフランスが、国民の非難をかわすために組織した傭兵部隊だ。フランス人のかわりに汗と、たまには血も流すご褒美に、何年か勤め上げればフランス国籍がもらえるし、長期勤務すれば年金も貰える、という仕組み。もっとも、フランス国籍が欲しくて外人部隊に奉職する日本人など、いないのではないか(日本の国籍法では、外国籍取得と同時に日本国籍を離脱しなければいけないし)。

拘束された斎藤昭彦さんの無事を祈りたいが、この方のように民間軍事会社(PMC)に勤める人については、国際法上の規定がないときく。交渉の当事者が、斎藤さんがサービスを提供していた米軍(米国)になるのか、国籍のある日本になるのかも、あやふやなままだそうだ。

それにしても、日本政府の「日本国籍を持つ人がPMCに入り、事件に巻き込まれるというようなシナリオは想定外だった」という言い草は、危機管理意識の欠如を露呈している。急成長ビジネスであるPMCに参加する日本人がいるであろうことは、はじめからわかっているではないか。あらゆるシナリオを想定して準備するのが、危機管理ではないだろうか。
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by bonnjour | 2005-05-11 00:09 | 思う
「置き石」をする人の悪意が怖い
「大阪、兵庫で置き石相次ぐ 踏切や駅近くで6件」というニュースを読んで、気が滅入る。

大阪府内と兵庫県内のJRと私鉄各線で「置き石」が相次ぎ見つかり、警察が往来危険の疑いで調べているそうだ。幸い事故にはつながらなかったが、異常音を察知した列車が緊急停止する一幕もあったという。

尼崎の脱線事故があったばかりのこの地域で、大事故につながりかねない「置き石」をするとは、どういうことだろう。事故を起こしたJR西日本への嫌がらせ?(折りしも、JR西日本は、脱線事故直後に「置き石」が事故原因と示唆する説明をして、それが事実でなかったことで陳謝している)。あるいは、この脱線事故で話題になった「置き石」に触発されて、自分でもやってみたのか?この時期なら絶対報道されるとふんだ愉快犯の仕業か?

置き石が鉄道に対するありふれた妨害行為で、こんな時期でなければニュースにはならなかったであろうことを差し引いても(事故のあった関西で、当初事故原因と目されたのと同じ「置き石」が見つかれば、それだけでニュース・バリューがある)、100名以上の人命を奪った大事故の直後に、同じような脱線事故を引き起こすかもしれない「置き石」をあえて行う人の悪意が、底知れなく怖い。
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by bonnjour | 2005-04-29 00:03 | 思う
安全なはずの通勤電車で
いつも朝一番にネットで日本のニュースをチェックするが、今日飛び込んできたトップニュースはJR福知山線の脱線事故だった(TVをつけたらBBCでも東京特派員が事故をレポートしていた。世界的な大惨事である)。新しい情報が入るたびに死亡者数が増えていて、心が痛む。通勤路線の月曜の朝、という利用者が一番多い時間帯にこのような大事故が起こるとは。

今回の事故の真相は調査結果を待たなければいけないが、報道では、ダイヤの遅れを取り戻すために制限を大きく超える速度でカーブを曲がろうとしたのが脱線の原因ではないかといわれている。技術的には世界の先端を行くはずの日本の鉄道でこんな事故が起こるというのは、技術を利用する人間の側に大きな落とし穴があるということだろう。

予想の域を出ないが、事故を起こした運転手は乗客の安全な輸送という、運輸業の根本的な存在理由を忘れて、遅れを取り戻すために速度オーバーを起こしてしまったのではないか。そもそもの遅延の原因は、前駅でのオーバーランにあったということなので、それによるダイヤ遅延は社内処罰の対象だったのかもしれない。処罰を気にして速度オーバーしてしまい、大事故を引き起こしたとすれば、多数の人の命をあずかる輸送機関として、あってはならない事態である。これは、事故を起こした運転手の個人的資質というより、安全を軽視して効率を優先するという会社全体のモラルの低下の表れだろう。

少し前のJCOの臨界事故でもそうだったが、日本には先端の技術や設備があるにもかかわらず、それを運用する人間の不見識や不注意で大きな事故が起こるケースが続いている。技術と、それを利用する人間の質が釣り合っていたかつての日本は取り戻せるのだろうか。
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by bonnjour | 2005-04-25 00:01 | 思う