B的日常
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ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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ウィーン旅日記 - ボッシュの地獄絵、「赤いウィーン」の巨大集合住宅、ワイン居酒屋
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ウィーン旧市街の中心部、シュテファン寺院に近い、家族経営のレトロなペンションでぐっすり眠った。この宿は、約20年前にも泊まったが、当時と内装がほとんど変わっていないようだ。インテリアも設備もレトロだが、リネン類はぴしっとアイロンがかかって清潔で、ベッドのマットレスが日本人好みに程よく硬いので(イタリアあたりの柔らかいマットレスは腰が痛くなるのでダメだ)快適に滞在できる。部屋に冷蔵庫がないのが難だが、二重窓の隙間の空間がちょうどよい具合に天然の冷蔵庫として機能するのを発見し、スーパーで買ったワインを置いてみたら美味しく飲めた。無線LANが使い放題で無料というのも嬉しい。国立歌劇場からは歩行者天国のケルントナー通りを通って徒歩で帰れるので、低予算でオペラの旅をするならもってこいの宿だ。

さてウィーン2日目。午前中は造形美術アカデミーの付属絵画館でヒエロニムス・ボッシュの「最後の審判」(下の写真)を鑑賞。このアカデミーは、画家志望だった青年ヒットラーが入学試験に2度落ちて、後に独裁者になると逆恨みからアカデミー関係者を弾圧したという因縁の場所。絵画館の所蔵品はボッシュの他にクラナッハ父、17世紀フランドル絵画(ルーベンス、ファン・ダイク、レンブラント)、イタリアとオーストリアのバロック絵画など。ボッシュのファンタジーにあふれる怪物の図像を見ているうちに、どんどん時間が過ぎていくのであった。

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ボッシュの後は、ウィーンに長く住んでおられる日本人女性のTさんと、バルカン半島(セルビア)料理のレストランでランチ。拙ブログにコメントをくださったことで知り合ったTさんは音楽、とりわけ古楽ファンで、現地の音楽関係者のお知り合いも多いので、とても興味深い話をお聞きすることができた。金曜日のアン・デア・ウィーン劇場「ポリフェーモ」にもいらっしゃるので、楽しみだ。

ランチの後、地下鉄でハイリゲンシュタットに出る。かつてベートーベンが住み、難聴に絶望して遺書を書いたことで有名になった場所だが、私の目的はベートーベンゆかりの地めぐりではなく、1927年に竣工した巨大な集合住宅、カール・マルクス・ホーフだ。

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カール・マルクスの名前が付けられている通り、この建物は第一次世界大戦後、ハプスブルク家の支配に代わって社会主義政権が市政を担った「赤いウィーン」時代の代表的な市営住宅だ。設計は、オットー・ヴァグナーの弟子のカール・エーン。時代背景としては、旧ハプスブルク帝国領からウィーンに移住した労働者たちのために、低料金で健康的な住宅を大量に供給する必要があり、市内各地に多数の市営住宅が建設された。

地下鉄4番線終点のハイリゲンシュタット駅を降りると、目の前に城壁のような建物がでーんと現れる。それがカール・マルクス・ホーフだ。細長い敷地に高層住宅が連続的に建てられており、全長は1km、世帯数は1,382にもなる。まだ現役の住宅なので内部の見学はできないが、外観を見るだけでも大変な迫力だ。住居だけでなく、幼稚園や図書館、歯科診察室などサービス施設も併設して、小さな都市のような機能を備えていたという。しかし、社会主義の理想を求めた「赤いウィーン」は、1938年のナチス・ドイツによるオーストリア併合で終焉を迎えたのだった。

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デザインは表現主義。住宅としては味気ない感じもするが、造形的にはとても美しい。写真を撮りながら、見とれてしまった。
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巨大団地の見学の後は、ワイン産地であるグリンツィング地区まで散歩(30分くらい歩いたか)。途中で見つけた自家醸造のワインを飲ませる居酒屋で、250ミリリットル、2ユーロ60という超リーズナブル価格の新酒白ワインを味わったのであった。
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by bonnjour | 2013-02-21 09:36 | 旅する
ウィーン旅日記 - 初日は「男の裸」展を見に行く
どうやら約10年おきにウィーンに行きたくなるようで、今年がその周期。というか、アン・デア・ウィーン劇場でニコラ・ポルポラ作「ポリフェーモ」の演奏会形式上演があり、そこにフランコ・ファジョーリとシャビエ・サバタという、今とても勢いのあるカウンターテナーたちが出るというので、それに引っ張られて旅行を決めた。行くことを決めてしまえば、コンサート以外にも見たいもの、行きたい場所が沢山あって目移りしてしまうのが、かつての大帝国の首都ウィーンの偉大なところだ。

水曜日の昼すぎに現地に到着して金曜の夜にコンサート、そして土曜日の午後に現地を発つ3泊4日の旅。到着して早々に、まずはこちらの話題の展覧会に駆けつけた。

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レオポルド美術館で昨年10月からロングラン中の「裸の男たち 1800年から現在まで」展。美術の歴史の中では女性の裸体像の影に隠れていまひとつ光が当たることが少ない男性の裸体をテーマにした、意欲的な企画だ。街中に貼られたポスター(下の写真)の無修正の股間に市民からクレームが入って、その部分を隠すことにした(でも剥がされちゃうのだからあまり意味がない)というエピソードや、ヌーディスト向けに全裸で作品を鑑賞できる特別企画(閉館後の一般入場者がいない時間帯である)を設けたりというニュースが先走って、キワモノ的に思われるかもしれないが、「なぜ男性ヌードはマイナーな存在として扱われてきたのか」という問題意識に取り組んだ、大変に真面目な展覧会である。この企画のヒットのおかげで来場者が前年比で大幅アップしているそうで、喜ばしい限りだ。

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↑ 市民からクレームが入ったという展覧会ポスター。クレームに対応して急遽、股間を隠したのに、誰かのイタズラで元の木阿弥に。この肉体美を披露する3人のサッカー選手のヌードはフランスの写真家2人組、「ピエールとジル」の作品だ。ゲイ・テイストの濃い、人工的に作りこんだ彼らの作品は以前から好きなので、無修正のやつを展覧会でじっくりと鑑賞させてもらった。

他に面白かったのは、女性の美術家による男性ヌードを集めたコーナー。男の裸を見る視点が違うのだ。とはいえ、ここに登場する女性美術家は20世紀以降の人々で、それ以前の時代には女性は美術学校に入学が許されなかったという(理由は男性ヌードのデッサンがカリキュラムに入っているから)。そんな男性中心の世界では、女性ヌードを美の理想として盛んに画題に取り上げ、男の裸は脇に追いやられたのも、無理はないだろう。

折しも日本では、島根県で地元出身の篤志家が町に寄付したミケランジェロのダビデ像レプリカが、局部丸出しなので市民を当惑させている、パンツを履かせろという声まで上がっている、というニュースが流れていた。ヨーロッパで公共のスペースに股間丸出しの写真はまずくても、ダビデ像のような彫刻のリアルな股間というのは芸術として受け入れられている。男性裸体に対する、文化圏による反応の違いというのはまことに面白い。

余談ながら、日本の美術界における男性の裸体と股間表現の歴史と葛藤については、木下 直之・著、「股間若衆: 男の裸は芸術か」という痛快な本(下の写真)がある。

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by bonnjour | 2013-02-20 07:47 | 旅する
師走のくそ忙しい時期にいい度胸だ、の台湾旅行記:その4 先住民の里で温泉にどっぷり浸かる
台湾旅行も最終日となった。旅の疲れ(遊び疲れというやつだ)を癒すべく、台北の東南方28キロに位置する温泉地、烏来(ウーライ)にやってきた。地下鉄の終点からバスに乗ること30分あまりで温泉郷の入り口に到着する。烏来は台湾の先住民族のひとつ、タイヤル族の里で、ウーライとはタイヤル語で「湯気の出ているお湯」を意味するという。イギリスのバースや、ドイツのバーデン・バーデンと同系統の地名かも。

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渓谷があり、川の両岸に温泉宿が立ち並ぶ様子は日本の温泉地と同じ。上の写真では、崖の上のひときわ高い場所に川を見下ろすように西洋風のファサードが見えるが、それが天主堂(キリスト教会)だったので驚いた。台湾の人口に占めるキリスト教信者の割合は4.5%(日本は1パーセント前後)で、とりわけ先住民族にはキリスト教が浸透しているという。

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↓ まずは昼食をと思い、タイヤル族のオーナーが経営している伝統料理を出す食堂に入る。
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頼んだのは奥から時計回りに、川魚と川エビの揚げ物、竹筒に入れて蒸したご飯、檳榔(ビンロウ)の花の和え物、金針菜(キスゲのつぼみ)の炒め物。それに小米酒(粟から醸造される爽やかな風味のお酒)をグラスで1杯。檳榔は、アルカロイドを含むその種子が台湾を含むアジア各地で噛みたばこのような嗜好品として消費されているが、檳榔の花には別に危ない成分は含まれていない。姫筍に似た歯触りで淡泊な味だった。特筆すべきは竹筒飯で、ご飯にほのかな竹の香りが移って絶品だった。

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タイヤル民族博物館(上の写真)を見学してから、ガイドブックで調べておいた「小川源」というクアハウス形式の温泉施設に行く。時間無制限で入浴料は300台湾ドル(約860円)。大きなバスタオル2枚とフェイスタオル1枚を貸してくれた。日本の温泉と同様、男女別になっており、水着を着けずに入るスタイルだ。内部は温度や仕掛けの異なる5つの浴槽があって、結局2時間くらい居座って、入る・出る・テラスに出て涼む、を繰り返してしまった。テラスからは川をはさんで対岸の旅館や川原に設けられた露天風呂(水着着用)が丸見えで、ここでバスタオル2枚が活躍したのである。

泉質は弱アルカリの炭酸水素塩泉で、驚いたことに入浴後はローションを付けなくても肌がしっとり、つやつやになった。近くにあれば、絶対リピーターになってしまう。

↓ 「小川源」の中の作りは日本の温泉旅館ソックリ。ちょっとレトロな感じがよかった。
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↓ 温泉郷の夕暮れ。見覚えのある、あのマークが。「温泉マーク」は日本統治時代に台湾にも紹介され、それがいまだに使われているそうだ。
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by bonnjour | 2012-12-17 19:14 | 旅する
師走のくそ忙しい時期にいい度胸だ、の台湾旅行記:その3 台北。建國假日花市&玉市で目の保養
熱帯に位置する台南から、首都台北に戻った。ここは気候区分でいうと亜熱帯。12月なので少し肌寒いが、動き回ると汗ばむ、そんな気候である。

週末にだけ開かれる花市と宝石市があるので、見物しに行った。建國南路というストリートのガード下で開かれるので「建國假日花市/玉市」という名前がついている。ちなみに「玉」(ぎょく)とは、翡翠をはじめとした美しい石の総称。翡翠には魔除けの力があると信じられているが、中華系の人々がこの宝石に寄せる情熱は、ただものではない。植物は検疫の関係で持ち帰れないし、勝手の分からない旅先で宝石を買うという冒険は避けているので、今回の目的は目の保養である。

↓ 途中で通過した「大安森林公園」。都心にぽっかりと空いたオアシスみたいな場所。
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↓ 公園で見つけた、南国らしい植物。こういうのを見ると、遠くに来た感じがする。
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↓ ガード下に見えてきた花市の入り口。
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↓ 熱心に品定め。
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↓ 鉢植えや苗だけでなく、種も売っている。何の違和感も感じなかったが、よく考えたら日本のディスプレイ用装置をそのまま使ってる?
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↓ こちらは玉市。ガード下といえど、会場はかなりの広さで、そこにびっしりと宝石屋や骨董屋が出店しているので、ちょっと目がくらみそうになる。本気で買うつもりの人は、ターゲットの店を絞ってるのかも。看板に「Holiday Jade Market」と英語が併記されている通り、外国人観光客率高し。
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↓ 呼び込みや声掛けは最低限の大変にあっさりした接客なので、私のような冷やかし客には最適。というより、あまり商売やる気なさそうなお店が多い(笑)。商品に値札が付いていないのは個別交渉ということか。こういうのは、関東人の私にはあまりにもハードルが高すぎる。
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by bonnjour | 2012-12-16 03:20 | 旅する
師走のくそ忙しい時期にいい度胸だ、の台湾旅行記:その2 古都・台南
高雄に1泊の翌日は、台湾でもっとも早くから開けた古都、台南へ。高速鉄道で15分という距離だ。ここは17世紀にオランダ人が占領した場所で、当時の遺跡が残っている。台南は、気候区分としては熱帯に属する。そのため、12月というのに日差しは強く、持ってきた夏服が活躍する。それなのに、地元の人は寒がりなのか、それとも冬服を着るのが楽しいのか、皆一様にジャケットやダウンを着こみ、マフラーまで付けているし、店には毛皮をあしらったセーターや、雪道によさそうな裏起毛のブーツなど、寒冷地仕様の服が並んでいる。不思議。

↓ 台南市街で一番古い史跡である赤嵌楼。かつてオランダ軍が建てた「プロビデンシャ城(紅毛城)」があったが、19世紀に地震で全壊し、同じ基台の上に廟が建てられた。
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↓ 清代の街並みが残る「神農老街」。商店街ではなく住居が立ち並ぶ街区だが、今ではオサレな画廊やカフェが軒を連ねる洒落たエリアになりつつある。
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↓ 神農老街にて。トリュフをテーマにした西洋料理のレストラン。トリュフ・オイルを使ったパスタとかなんとか…。値段が表示されていないけど、高そう。
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↓ 神農老街にて。植え込みや鉢植えの配置が(混沌が身上の台湾にしては)洒落てると感心したら、一般のお宅でなくアートの工房だった。なるほど。
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↓ これも神農老街。パンダがお茶しばいてる喫茶店。実は、なにかの撮影中。
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↓ 神農老街の突き当たりにあった住居兼店舗。何をする店なのか、いまひとつ不明。おじさんが、針金を真っすぐにする作業に勤しんでいた。その下にだらりと座るワンコ。軒下には籠に入った小鳥。アジア的な、のんびりした平和な風景だ。
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↓ 海安路という通りには「装置芸術街」と銘打って、アートな建物(というか、舞台装置みたいなもの)が並んでいる。街一番のトレンディなエリアだそうだ。
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↓ こちらはどうも、ただの廃墟らしい。舞台装置みたいで面白いけど。
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↓ 身体を浄化してくれるお茶。効能に惹かれて飲んでみたが、薬草臭かった。c0163963_42783.jpg

↓ こちらは、飲むと絶倫になるらしい?
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↓ お米屋さん。台湾で普通に食べられているのは日本と同じ、ふっくら丸いジャポニカ米。日本が台湾を統治する前は長粒のインディカ米が栽培されていたが、植民地を日本内地の食糧供給センターにするべく、日本人がジャポニカ米を持ち込んだ。時は流れ、現地での品種改良が進んだ結果、今では台湾オリジナルの品種が主流になったそうだ。
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↓ 生地問屋街。土地柄によって色彩や模様の好みが違うのが一目瞭然で、面白い。中華風の派手な薔薇柄の布などは、上手に使えばポップな小物が作れそう。
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↓ キャプション不要。
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by bonnjour | 2012-12-14 03:27 | 旅する
師走のくそ忙しい時期にいい度胸だ、の台湾旅行記:その1 常夏の国でゆるい休日
師走である。皆、訳もなく忙しくなる時期だ。そうではあるが、この時期の航空券の安さにつられて台湾に来ている。なにしろ羽田発・台湾の松山空港(市内にある交通の便のよい空港)着のチャイナエアライン便(よく事故を起こすので有名な会社だ)が、諸費用込みで2万8,000円というのだから、東京から京都あたりに行くのと変わりない。それに、骨に沁みいる寒さの冬の京都をふるえながら観光するよりは、常夏の国でゆるい休日を過ごすほうが気分転換になる。国内旅行と比べた場合の滞在費の安さは、言うまでもない。

航空券の安さには裏があった。なんと朝7時20分に羽田を出発する便だ。というわけで実家の最寄り駅を4時台の始発に乗って出発。始発が4時台にあるなんて知らなかったが、乗り合わせた人々は、釣り用の装束一式に身を固めたお父さん、終電に乗り遅れて始発まで待っていたとおぼしき若者、勤め人風(早番というやつか?)、等々。

新設された羽田の国際線ターミナルは初めて使ったが、噂通り、楽しそうな場所である。

↓ 羽田の朝焼け。
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台北・松山空港に着いて、地下鉄でターミナルの台北駅に移動し、そこから台湾高速鉄道(いわゆる新幹線で、日本の新幹線の車両技術を輸入したもの)で南部の港湾都市、高雄(Kaohsiung)まで移動するというコースだが、羽田出発が早かったので、現地時間の午後1時半には高雄に着いてしまった。時差は日本の1時間遅れだ。ホテルに荷物を預けて、さらにフェリーに乗って、海水浴場のある旗津(Qijin)まで出た。ここは高雄港を取り巻く砂州だが、地元の人が海鮮料理を食べにくるエリアとなっている。そこで遅めの昼食を取るのが今日のハイライトである。

↓ 懐かしいような水辺の風景。
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↓ こんなフェリーでたった5分で着く。フェリー代は約45円。
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↓ 観光地なので、東南アジアの香りがする観光用輪タクが客待ちしてる。
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↓ 魚屋さんみたいだが、海産物レストランの入り口。この店に来たのは、前回、前々回の旅行に続いて3度目。店選びに進歩がない私。
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↓ 陳列台に並んだ食材を選び、その場で調理法を指定して作ってもらうシステム。単語帳を持ってこなかったので調理法が指定できずあせったが、なんとかフィーリング(笑)で希望するものが出てきた。氏名不詳の魚(ゼラチン質を感じるこってりした白身魚)のあぶり焼き、牡蠣の天麩羅、アサリのバジル炒め。白飯は食べ放題。これとビール大瓶1本つけて日本円で約1,400円とは涙が出るほど嬉しい。
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↓ 海産物屋が大量に入居している土産物センター。なぜか北海道の塩鮭が人気。
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↓ 高雄市内に戻って、夜の「愛河」を散歩。日本統治時代(1895-1945)に運河として整備されたもので、今では河にかかる橋がライトアップされ、両岸には洒落たカフェやバーが軒を連ねるなど、観光名所になっている。
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↓ 泊まったホテルは「休息」という看板が示す通り、ラブホテル兼用。台湾では中級ホテル以下ではこの業態が多いらしい。予約サイトのBooking.comで評判がよかったので選んだ宿だが、フロントの若いお嬢さんたちはみな、英語が流暢で感じが良い。そのあたりが、海外からの旅行者が多いBooking.comの高評価のポイントかも。きっと日本語も上手だと思うが、海外で当然のように日本語を使うのは気が引けるので試していない。台湾は全体的に物価が安い割に、ホテル代だけは日本並みの高値をつけているが、ここは特別セール中で朝食付きで約3,400円という安さ。
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↓ ラブホ仕様だけあってベッドはキングサイズ、浴室はイタリア製らしき洒落たデザインの浴槽とシャワー金具。そのあたりの設備投資はしっかりしているらしい。イタリア製つながりで、朝食のコーヒーはセルフサービスだが、デロンギのマシンで淹れる本格的カフェ・ルンゴだった。・・・という細部に感心。ちなみに朝食で居合わせた他のお客さんは家族連れが多かった。
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by bonnjour | 2012-12-13 02:05 | 旅する
ナンシーの旅 雑記帳
女人禁制オペラを追っかけた今回のナンシー旅行&パリ滞在(11/6-13)だが、その合間には普段の運動不足を解消するかのように街歩きに励んだ。

ナンシーといえば、街の中心部にある華麗なスタニスラス広場(を含む一帯が世界遺産に登録されている)と、かつてのアールヌーヴォー運動の一拠点としての顔が有名だ。ドイツ国境に近いロレーヌ地域圏にあるこの都市は、街並みもどことなく北方の香りを感じる。

まずはスタニスラス広場。実はナンシー歌劇場は、この広場を構成する重要な要素になっており、私が泊ったホテルもこの広場を突っ切ってほど近い場所にある。ナンシー駅に降り立ち、ホテル目掛けて歩いていたら、目の前にこの壮麗な広場が突然現れたときの感動をご想像いただきたい。

↓ 広場の夜景。双子みたいな建物の左側が歌劇場。右は老舗高級ホテルの「グランホテル・ド・ラ・レーヌ」で、マリー・アントワネットが故国オーストリアからフランスへの輿入れの途中で投宿したという逸話がある。
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↓ 昼間はこうなる。後景の建物は市庁舎。銅像の主は、かつてここを治めていたロレーヌ公スタニスラスで、広場は彼が作らせたもの。この人は祖国ポーランドで王様をやってたが、パワーゲームの中で王位を追われ、娘婿であるフランス王ルイ15世の温情により、当時フランス領になったばかりのロレーヌ地方の統治を一代限り認められた。善政を敷いた支配者として慕われたので、銅像の台座の銘には「A Stanislas le Bienfaisant, la Lorraine Reconnaissante(恩人たるスタニスラスに捧ぐ。ロレーヌは感謝の心で一杯である)」と刻まれている。卑近なたとえでいえば、会社を乗っ取られたオーナー社長が、知人の伝手で別の会社の雇われ社長になり、そこで名経営者として社員に慕われた、みたいな感じか。
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↓ 美しいロココ様式の金属細工の柵が広場を取り囲んでおり、それがこの広場の特徴となっている。
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↓ オペラの中身も大事だが、その容れ物となる歌劇場も、外観、内部ともにとても美しく、オペラに行くときのワクワク感を高めてくれる場になっている。
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↓ 幕間には飲み物が供されるホワイエ。シャンパン1杯にカナッペ3点(塩味2点、甘味1点)がついて8ユーロ(≒800円)という、地方ならではの良心価格に泣いた。ついでに今回のオペラの料金も、最上カテゴリーの席が59ユーロ(≒5,900円)という、武蔵野文化事業団すら負けそうな良心価格である。地方文化の拠点として地元の人に愛されていることは、あまり気負わない普段着に近い服装の人が目立つ観客を見ても分かった。
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↓ 「アルタセルセ」CDの看板を発見。ロビーでジャルスキーとチェンチッチのCDを即売していた。
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↓ ロレーヌ公の館を転用したロレーヌ地方博物館は、この地方が生んだ偉大な画家、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「蚤をとる女」を所蔵している。蝋燭や松明が発する光と、闇との強いコントラストが特徴的なこの画家を偏愛している私としては、ぜひとも立ち寄るべき場所だ。
(博物館内はフラッシュ不使用での写真撮影を許可)
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↓ 同じく博物館にて。尻フェチ。
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↓ こちらはスタニスラス広場に面したナンシー美術館。14世紀から現代までのヨーロッパ絵画をコレクション。また地元出身のガラス工芸家、ドーム兄弟の手によるアールヌーヴォーおよびアールデコ・スタイルのクリスタル製品やガラス工芸品を展示している。真ん中のペルジーノの聖母子像が、可愛いすぎ。
(美術館内はフラッシュ不使用での写真撮影を許可)

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↓ ナンシー美術館は、階段すら美的センスにあふれている。
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↓ 中心部から少し外れた住宅街にあるナンシー派美術館。ウジェーヌ・コルバン(ガラス工芸家エミール・ガレのパトロン)の邸宅だった建物で、アールヌーヴォーの一派であるナンシー派の美術品を展示している。というより、むしろ住宅という外枠を利用してアールヌーヴォーの建築、工芸品、ガラス製品、織物などをふんだんに盛り込んだ総合展示場のような場所。サロンに置かれたピアノに、ちょんまげ姿のお侍の絵が装飾としてあしらわれていたのには驚愕というか苦笑した。アールヌーヴォーに特徴的なジャポニズムの表れか?
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↓ ナンシーは街全体がアールヌーヴォー様式の展示場のようなところ。建築マップ片手に街を巡れば興味が尽きない。
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【番外編】
ナンシーで3泊した家族経営の小さなホテル。歌劇場の裏手という、オペラ鑑賞には最適のロケーション。そのため、宿泊者の多くはオペラ目当てで来ている人たちだった。
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by bonnjour | 2012-11-16 04:30 | 旅する
スイスで見つけた美味しいもの
東洋のスイス、諏訪で見つけた美味しいもの(と普通のもの)。

↓ ワカサギの天麩羅。JR上諏訪駅近くの居酒屋にて。品書きに、調理に時間がかかると但し書きが書いてあったが、なるほどとっても時間がかかった。あっさりと塩とレモンでいただく。待った甲斐があった。しかしこの居酒屋、突き出しに、いかにも活きの悪い生の甘海老(解凍したもの)が出てきたのは、いかがなものか。どう頑張ったって沿海部のように活きのいい海産物を安価に入手できないのだから、山の中だからこそ美味しい食材を使えばよいのに。
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↓ 昼食の店を探して、あてもなく路地裏を彷徨って見つけた定食屋。写真だとよくわからないが、看板の下の右手に入口がある。日替わり定食(この日は酢豚)が650円と手頃な価格設定で、お客さんの顔ぶれからみるに、近所のサラリーマンが常連客のようだ。カウンターの上に放置された新聞や雑誌を読みながら料理が来るのを待つのが、こうした店での正しい作法。なので私も県内購読率60パーセント超を誇る地元紙の信濃毎日を読みながら待つ(昔、仕事でこの新聞社に関わったことがあったので親近感がある)。高齢のおかみさんが作ってくれた料理は素人っぽい「おふくろの味」だったけれど、旅先で外食が続くときには、かえってほっとする。
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↓ 片倉館の休憩所で食べた日替わりランチ。タンドーリチキン風の鶏肉を中心にしたワンプレートで、付け合わせは冬瓜の煮物、小芋の炒め煮、サラダなど。味付け薄めで健康志向。キュウリやトマトの味が濃くて美味しかった。
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↓ 片倉館の休憩所では酒類も出している。地元の麗人酒造が出している地ビール「諏訪浪漫」シリーズから、ケルシュの製法で作った「しらかば」を選んだ。ケルシュはドイツのケルンで作られている、香りがよくすっきりとした上面発酵のビール。ボンにいたときは、生ビールといえば隣町ケルンの名産ケルシュがデフォルトで出てくる土地柄だったので、なんだか懐かしかった。
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飲食店情報の口コミ・サイトで上位に上がっていたカジュアルなフレンチの店にも行ってみた(写真無し)。2000円でシェフにおまかせという、とてもコストパフォーマンスの高いコースを頼む。アミューズ・ブーシュ(生ハム、リエット、オリーブ等)、ムール貝のワイン蒸し、イワシのバルサミコ・ソース、チキンのプロヴァンス風、仔牛とレンズ豆の煮込み、がそれぞれ控えめのポーションで出てくる。品数から考えると確かにとても安いのだが、当然、食材の原価にも制約があるし、完成度からいうと「とても料理上手な友達の家に招かれた」感じか。山の中でイワシは絶対に無理がある!その半面、最後に出てきた仔牛とレンズ豆の煮込みはとても美味しかった。レンズ豆を使った肉料理はいかにもフランス的だが、日本ではあまり流行らないようなので、それを敢えて出すシェフのチャレンジ心を評価したい。味付けは、信州という土地柄か、どれも塩気が強かった(フランスのビストロ並みの塩気、という見方もできるかも)。
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by bonnjour | 2012-08-16 23:29 | 旅する
夏休みだ! スイス滞在記
東京があまりに暑いので、避暑と称してスイスに出かけてきた。

スイスといっても驚くなかれ、東洋のスイス、諏訪の上諏訪温泉である。諏訪湖に臨む温泉地で、都内からのアクセスも良好だ。ちなみに諏訪地方がスイスと呼ばれる所以は、羊飼いがいたり、金持ちだけを相手にした銀行がやたら沢山あったり、無駄に物価が高かったりするからではなく、高原にあって精密工業が盛んだからだそうだ。そういえばセイコーエプソンも諏訪が本拠地だ。

夏休みとはいえ、なんだかんだで仕事を持ち込むことになったため、客室のインターネット接続と洋式の机は必須ということで、上諏訪駅に近いビジネスホテルに5泊することにした。このホテルには、温泉の大浴場と露天風呂が付いているのが何よりの売り物だ。

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部屋はさほど広くないが、座り心地のよいオフィス用椅子と、そこそこのサイズのデスク、たっぷり使える冷蔵庫に湯沸かしポット(無料のドリップコーヒー付き)、衣類の消臭スプレーまで用意されていて、ビジネスホテルとしての機能は万全だ。

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【Day 1】
チェックインして、露天風呂(写真はホテルのWebサイトより)に直行。といっても小さいものなのだが、水道水でなく温泉のお湯に浸かれるだけで心が高揚する。温泉に狂喜乱舞するDNAって、日本人の身体に組み込まれているのだろうか。

温泉の後はお作法通りフルーツ牛乳を飲み、諏訪湖まで散歩に出る。

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諏訪湖のほとりで、「養命酒」のアンテナショップである小洒落た飲食店が屋上ビアガーデンをやっていたので、地元産のブランド豚肉の串焼きなどをつまみながらビールを飲んだ。ビアガーデンの料金設定はおしなべて割高だけれど、ここのは食器類がすべて使い捨てのプラスチックなのが大変に残念。
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【Day 2】
上諏訪駅周辺には造り酒屋が密集している。その酒屋を巡るのがDay 2のミッション。ほうぼうで試飲をさせてもらい、飲み逃げするわけにもいかないので、各所で気に入った銘柄をお土産に買ったら、荷物がとても重くなってしまった。海外での販売にも力を入れている「真澄」の宮坂醸造の試飲コーナー(4つ下の写真)は、モダンで高級感あふれる作りになっていた。が、一番気に入ったのは麗人酒造の非常に種類豊富な試飲コーナーで、お店の方が「どうせなら、とっておきのコレを試飲していってください」と、高級ラインを薦めてくださったのに恐縮した。

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【Day 3】
日曜日というのに急ぎの仕事が入った。涙目。バスに乗って霧ヶ峰に行くつもりだったのだが。仕事を済ませてから、午後は湖の周辺を散歩。湖畔にある「タケヤみそ」工場の「味噌会館」でイベントをやっていたので立ち寄った。味噌フレーバーのソフトクリームが美味。工場の構内に、味噌製造の役目を終えた麹菌を供養する「菌塚」(下の写真)があるのを発見し、万物に魂を見出す日本人の心情にしんみりする。
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【Day 4】
温泉デイ。製糸業で財をなした片倉財閥が地元の福利厚生のために建設した温泉施設「片倉館」に入り浸る。財閥の二代目オーナーが欧州視察で現地の文化施設に感銘を受け、建設を決意したという豪華な洋式温泉で、ローマ式の大浴場(おお、「テルマエ・ロマエ」の世界!)もさることながら、建物全体が貴重な洋風建築の遺産となっている。竣工は1928年で、森山松之助(他の作品に台湾総督府など)の設計によるネオゴシック風の建物は、国の重要文化財に指定されている。外側はネオゴシック、中に入ると古代ローマ風のお風呂とは様式美のテンコ盛り。日本の洋風建築を偏愛する私としては、熱い血がたぎってしまう物件だ。入浴料は大人600円と手頃なので、近くにあったら毎週通ってしまうことだろう。

(下の写真)塔が印象的な浴場棟(右)。左手には娯楽・文化用の会館棟がある。
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千人風呂と命名されたローマ風呂。今にも浴場技師のルシウスが登場しそう? 浴場内はもちろん撮影できないので、諏訪市役所のサイトから写真を借用。
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湯上りは階上の休憩室へ。飲み物や食事が出る。アカンサス模様の柱の下で、座卓に座布団で寛ぐという和洋折衷な風景が楽しい。
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【Day 5】
諏訪の看板建築めぐり。上諏訪駅周辺は、関東大震災以降に流行し、戦後まで受け継がれてきた建築様式である「看板建築」(建築史家の藤森照信氏が命名)の宝庫だ。これは、商店などの建物の前面を平坦にして、モルタルや銅板を使ってまるで大きな看板のように自由に装飾したスタイルのこと。食事をする場所を探しながら、ふらふらと街を歩いてみたら、魅力的な看板建築や洋風建築に巡り合うことができた。

上諏訪の商店街の看板建築群の中でも重厚さで群を抜いている三村貴金属店(左)と白牡丹(右)。
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こちらは、すっきりとモダンな感じ。
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旧富士銀行。今は予備校。銀行って、なぜ円柱を並べた神殿風の建物が多いのか。
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諏訪大手見番の建物。みごとなハーフティンバーに見とれた。
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旧魚安食堂。入口の硝子戸には「魚安食堂」という字が残っている。木造3階建てで窓の造形が美しい。
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by bonnjour | 2012-08-15 00:23 | 旅する
イタリア旅日記: ヴェローナは駆け足で
今回の旅行プランを立てたとき、まずパリから格安航空券で行ける目的地としてベネチアとミラノを選び、その間を周遊することにして、途中下車すべき都市を探した。建築家パラディオの作品が街中に残るヴィチェンツァや、ジュリオ・ロマーノの大迫力壁画が待っているマントヴァ、そしてちょっと遠回りになるがフィレンツェなども心ひかれたのだが、今まで不思議と縁のなかったヴェローナに行ってみるかと、少々消極的な理由で行き先を決めた。

街中がテーマパークじみたヴェネチアから列車で1時間あまり。ヴェローナに着くと、北イタリアらしい、豊かでしっとりとした街が広がっていた。

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ヴェローナは夏の野外オペラで有名な場所だが、シーズン外れに訪れるのも静かでいいものだ。

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ローマ時代を起源とするエルベ広場。広すぎず、狭すぎず、広場としてはちょうどいいサイズ。手前の柱の上に載っている、翼のある獅子で表された聖マルコはベネチアの守護聖人だが、この街は、かつてベネチアに支配されていたのだ。

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15世紀に作られた階段は、まだ現役。

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ジュリエットのモデルになったカプレーティ家の令嬢の家が「ジュリエットの館」として公開されている。外観だけ眺めて、入らなかったけど。

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ロマネスク様式だった建物をゴシック様式に改築し、さらに後でルネサンスの味を付けたドゥオーモは、内部に入るとティツィアーノの聖母被昇天図があったりして、各様式てんこ盛りの不思議な調和が珍しくて、思わず長居してしまった。

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14世紀後半に建てられたカステル・ヴェッキオは、建築家カルロ・スカルパが原型を生かした改修を行い、今では市立美術館として活用されている。ベネチア派やヴェローナ派の珠玉の作品が所蔵されていて、イタリア地方都市の文化的底力を感じさせる美術館。

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メニューに北イタリア名物のボリート・ミスト(茹で肉の盛り合わせ)があったので飛び込んだレストラン。外からは分からなかったが、中に入ったら室内装飾も洒落たちょっと高級路線の店だったので、一人で入ってちょっと後悔。ボリート・ミストは大変に美味だったが、一人前のポーションがドイツやデンマーク並み(笑)だったので(しかし味はずっと繊細)途方に暮れた。健啖家の威信にかけて、一応、完食。
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by bonnjour | 2012-02-02 09:22 | 旅する