B的日常
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ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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マイルドなブーイングが飛んだロイヤル・オペラ・ハウス「イドメネオ」初日


ロンドン、ロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)で上演されたモーツァルト「イドメネオ」新プロダクションの初日(2014年11月3日)を観た。前衛的な作風で知られるオーストリアの演出家、マルティン・クシェイを迎え(これが英国デビュー)、指揮はこれまたROHデビューとなるマルク・ミンコフスキ、現代ではメゾソプラノが歌うのが通例になっているイダマンテ役にカウンターテナーのフランコ・ファジョーリ(ROHデビュー)を起用したという話題のプロダクションだ。メゾでなくカウンターテナーをキャストした理由は、父と息子の関係をよりリアルに伝えるためという。リヨン歌劇場およびアントワープ歌劇場との共同制作。

非常に意欲的な作品なのだが、結果的にはROHのお客の一部には受けず、初日に演出家へのマイルドな(笑)ブーイングが飛ぶという結果になった。もっともクシェイ本人はそうした事態には慣れっこで、想定内の出来事だったようだが。

あらすじ
トロイア戦争後のクレタ島。クレタ王イドメネオの息子イダマンテは、戦に負け囚われたトロイアの王女イリアに思いを寄せる。イリアも密かにイダマンテを愛しているが、相手は敵国の王子、素直に思いを伝えることはできない。そしてもう一人、イダマンテに恋心を募らせる女性がいた。クレタに逃亡中のアルゴスの王女エレットラだ。

一方、イドメネオは戦を終えクレタに戻る途中、荒海で遭難するが、海神ネプチューンと契約を交わし生還する。その契約とは、陸に上がって最初に出会った人物を生贄にするというもの。そしてイドメネオが最初に遭遇した人間とは実の息子イダマンテだった。

忠臣アルバーチェの提案により、イドメネオは海神との約束を破り、息子とエレットラをアルゴスへ逃がそうとするが、息子とイリアが互いに惹かれ合っていることを知り苦悩する。二人が出航しようとした時、突然海が荒れ怪物が人々を襲う。約束を反故にされた海神が怒ったのだ。

怪物退治を決意したイダマンテはイリアと愛を確かめ合う。大司祭が登場し、イドメネオに早く生贄を捧げるよう促す。イドメネオはついに、その生贄とはイダマンテであることを告白した。自分が犠牲となることを受け入れたイダマンテをイドメネオが殺そうとした時、イリアが乱入して自分を身代わりにしてくれと懇願する。イリアの献身的な愛に打たれた海神は「イドメネオは退位し、イダマンテが王となりイリアを娶る」と神託を下す。民衆は愛を讃え平和を喜ぶが、ただ一人エレットラだけは怒り狂い自分の死を願うのだった。
以上のように、このオペラ・セリアはギリシャ神話を素材に、海神や怪物といった超自然の存在が跋扈するファンタジーだが、レジーテアター(ドイツ語圏の演出主導の舞台芸術)の旗手であるクシェイは、海神も怪物も登場させず、ストーリーを現代に移し替えた。そして専制君主の父親と、父親が戦争で不在の間に平和な国を作ろうとしたリベラルな息子との相剋と権力抗争という図式にした。

もっとも、この切り口は決して新しいものでもなく、啓蒙思想が花開いた18世紀ヨーロッパでは、「イドメネウス」の物語に「支配階級」や「罰する存在としての神」からの解放というテーマを見出したのだと古代史家のマルティン・ツィンマーマンは指摘する。(Martin Zimmermann, "Between Violence and Lies," the Royal Opera House "Idomeneo" programme, 2014, p23)

イドメネオは、いるはずのない海神との約束を口実に、政敵になりそうな息子イダマンテを抹殺しようとする。その企みは破綻し、物語のエンディングでは失脚したイドメネオにかわりイダマンテが王位につく。それまでの善良な王子の顔から打って変わって不敵な顔つきで君臨するイダマンテ。彼の手は血まみれの壁に触れている。ひとたび権力を握ると、その手は血で汚れてしまうのだ。

舞台セットはシンプルで、モノクロームの壁状の構造物が回転する廻り舞台で進行する。戦に破れ捕虜になったトロイア人たちは半裸で、銃を肩にした黒ずくめの男たちに小突き回されている。囚われの身になったトロイア王女イリア(Sophie Bevan)は太ももも露わな白いドレス。清純な乙女にふさわしいリリックなソプラノの役だが、後では恋人の父親であるイドメネオを誘惑するシーンも出てきて、やっぱり一筋縄ではいかない演出。

イリアを見初める王子イダマンテ(Franco Fagioli)の役は、初演時は駆け出しの下手っぴなカストラートが歌っただけに(モーツァルトはそれを愚痴る手紙を書いている)、持ち歌は平易なものだ。それだけに、技巧でなく感情表現やドラマ作りで評価してもらわねばならない。ファジョーリの流れるようなレチタティーヴォはよく感情がこもっていたと思うのだが、翌日のある新聞評に「ディクションが悪くて言葉が聞こえない」と書かれちゃったのは、何故か(英国人にイタリア語のディクションを云々されるのも不本意なことかも?)。

イドメネオのMatthew Polenzaniは絶好調で、豊かな声量でよく響く歌唱だった。私は舞台に近い席にいたので、海神との約束で愛する息子を生贄にしなくてはならない、と嘆いてみせつつ顔はほくそ笑んでいる、といった細かい演技が手に取るように見えて面白かった。

ストーリー上は最後に登場する大司祭(Krystian Adam)は、イカれたヒッピーのような姿で狂言回し的に舞台を駆け巡る。イダマンテに恋し、イリアに激しい嫉妬心を抱くエレットラ(Malin Bystrom)は、「パルプ・フィクション」のユマ・サーマンを思い出させる黒髪のボブカット。終盤の怒りのアリア「D'Oreste, d'Ajace ho in seno i tormenti」は、さながら狂乱の場の迫力があった。が、それより前にイダマンテとのからみで、彼に馬乗りになってズボンのジッパーを下げる(写真参考)狼藉を働いたのは、いささかやり過ぎではないかと思う。

一番の喝采を浴びたのは、忠臣アルバーチェ役のStanislas de Barbeyracかもしれない。壊れた眼鏡をかけたアコーディオン弾きの出で立ちで登場するのだが、明るい美声のテノールで、ROHのお客はこの日、思わぬ掘り出し物を見つけたという気持ちになったのでは。

このオペラには終盤に長いバレエ音楽が入っているが、今回の演出ではダンサーを登場させず、音楽だけを演奏するという方法が取られた。そして、その音楽に合わせて次のような謎めいた言葉が舞台に映写された。
Utopias fade.
Rebellions decay.
The rulers remain.
And the souls of the people grow colder.
Rigid.
In the sign of Pisces.
(ユートピアは色褪せる/反乱は衰える/支配者たちは留まる/人民の魂は凍てつく/こわばって/双魚宮のもとに)
この手法は一部の批評家の反感を買ったようで、「勿体ぶっている」とか「陳腐だ」といった評を目にした。

ちなみに翌日に出た英国の主要紙でのオペラ・レビューの評価は次の通り(紙名から当該記事にリンクを貼った)。評者によって評価に大きなばらつきがある。それだけ、問題作なのだともいえるだろう。

The Times (by Richard Morrison): ★1個(満点は5個)
The Independent (by Michael Church): ★3個(同上)
The Guardian (by Andrew Clements)
: ★3個(同上)
The Telegraph (by John Allison): ★3個(同上)
The Financial Times (by Laura Battle): ★4個(同上)

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カーテンコール。熊さんのような後ろ姿はマエストロ・ミンコフスキ。
スタッフ
Director Martin Kušej
Set designs Annette Murschetz
Costume designs Heide Kastler
Lighting design Reinhard Traub
Dramaturg Olaf A. Schmitt

Conductor Marc Minkowski
Orchestra of the Royal Opera House

キャスト
Idomeneo Matthew Polenzani
Idamante Franco Fagioli
Ilia Sophie Bevan
Elettra Malin Byström
Arbace Stanislas de Barbeyrac
High Priest Krystian Adam
Voice Graeme Broadbent
Chorus Royal Opera Chorus
Concert Master Peter Manning




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by bonnjour | 2014-11-06 12:56 | 聴く&観る
ファジョーリのロッシーニにザルツブルクの観客総立ち
ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭では本日(6月6日)、フランコ・ファジョーリがモーツァルテウム大ホールでロッシーニとマイヤーベーアのアリアのリサイタルを開いた。カストラートの歴史の終焉を飾るかのように19世紀に活躍した歌手、ジャンバチスタ・ヴェルーティ(1780-1861)のために書かれた作品を中心にしたプログラムだ。オケはディエゴ・ファソリス指揮のイ・バロッキスティ 。

最初にマエストロ・ファソリスより、プログラムの演奏の順序が変わったことがアナウンスされた。変更後のプログラム構成は下記の通り。最初に演奏された「パルミーラのアウレリアーノ」の序曲は、有名なあの序曲の元ネタなので、誰にとっても馴染み深いメロディで、導入部としては最適だったと思う。

Gioachino Rossini - Ouverture to the opera Aureliano in Palmira

Giacomo Meyerbeer - Cessi, o miei fidi ... O figlio dell'amore
Recitative and Aria of Armando from the opera Il crociato in Egitto

Gioachino Rossini - Ouverture to the opera Il turco in Italia

Giacomo Meyerbeer - O tu divina fè de' padri miei... Il dì rinascerà ... Ah! – che fate! – v'arrestate... Rapito io sento il cor ... Verrai meco di Provenza
Recitative, aria and cabaletta of Armando from the opera Il crociato in Egitto

===Intermission===

Gioachino Rossini - Ouverture to the opera L'italiana in Algeri

Gioachino Rossini - Dolci silvestri orrori… No! non posso… Ah! che sento… Non lasciarmi in tal momento
Scene, aria and cabaletta of Arsace from the opera Aureliano in Palmira

Gioachino Rossini - Variations for Clarinet and Orchestra in C (1809) Andante

Gioachino Rossini - Eccomi alfine in Babilonia ... Ah! quel giorno ognor rammento Recitative and cavatina of Arsace from the opera Semiramide

[Encore]

GIOACHINO ROSSINI - La donna del lago - "Elena! O tu che chiamo” (Malcolm)

Wolfgang Amadeus Mozart - Le nozze di Figaro K 492 - "Non so più, cosa son, cosa faccio" (Cherubino)

揺るぎのない技術と音楽性に支えられた、恐るべき完成度。そして極めて官能的な歌唱。甘美で眩暈のするような時を過ごした。そんな思いは誰にも共通していたようで、カーテンコールでは観客が総立ちになった。
(現時点ではとりあえず写真だけアップ。後ほど加筆します)。
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by bonnjour | 2014-06-06 11:08 | 聴く&観る
ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭の「チェネレントラ」
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聖霊降臨祭音楽祭のザルツブルクに昨日から来ている。昨夜は初日で、チェチーリア・バルトリが主役のロッシーニ「チェネレントラ」を見た。彼女が音楽監督を務める音楽祭の、今年のテーマは「Rossinissimo! 」。訳すなら「めっちゃ、ロッシーニ!」とでもいおうか。
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バルトリ演じるアンジェリーナ(チェネレントラ)が働く継父ドン・マニフィコの屋敷は現代のカフェテリアに読み替えられていて(演出:Damiano Michieletto)、ジーンズにエプロン姿で食器の片づけや掃除に追われる。ラミロ王子の舞踏会が開かれるのは「Palace」というネオンサインのかかったディスコ。ポップな色彩で楽しい舞台だった。

バルトリはもちろん存在感も技術も突出しているのだが、王子役のメキシコ出身のテノール、ハビエル・カマレナの張りのある美声にノックアウトされた。高音をヒットしたときなんて、会場のガラスが割れるんじゃないかと思った。ジャン・クリストフ・スピノジ率いるアンサンブル・マテウスの、活き活きした演奏も素晴らしい。
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Jean-Christophe Spinosi, Conductor
Damiano Michieletto, Director
rocafilm, Video Design
Performers: Cecilia Bartoli, Lynette Tapia, Hilary Summers, Javier Camarena, Enzo Capuano, Nicola Alaimo, Ugo Guagliardo
Concert Association of the Vienna State Opera Chorus
Ensemble Matheus

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by bonnjour | 2014-06-05 18:28 | 聴く&観る
ナンシー歌劇場のモーツァルト「皇帝ティートの慈悲」


生まれつきの怠け者ゆえ当ブログを放置プレイのまま、気がついたら1年以上経過していた。一発芸のTwitterのほうが楽なので、そっちに流れていたということもある。最後の投稿がモーツアルト・ネタだったので、またモーツァルトで放置状態からの脱出を試みてみたい。
…と、こじつけは置いておいて。

フランスはロレーヌ地方ナンシーの国立歌劇場で上演されたモーツァルト「皇帝ティートの慈悲」新プロダクションを観た。英国リーズのOpera Northとの共同プロダクションで、リーズでは一足早く昨年上演されている。リーズ版との大きな違いは、セストとアンニオという、通常はメゾ歌手がズボン役として担当するキャラクターを2人のカウンターテナーに歌わせたという、思い切ったキャスティングだろう。なお、作品の初演時にはセストはソプラノ・カストラートが、アンニオは女性歌手が歌ったので、半分はオリジナルに戻ったわけだ。ジョン・フルジェームズの演出は、原作のローマ時代を現代に置き換えたもので、モノトーンのシックなセットや衣裳(コナー・マーフィー)とあいまって、スタイリッシュな舞台になっている。
指揮: Kazem Abdullah
演出: John Fulljames
美術、衣裳: Conor Murphy
照明 : Bruno Poet
ビデオ: Finn Ross

配役:
Titus : Bernard Richter (Ten)
Vitellia : Sabina Cvilak (Sop)
Sextus : Franco Fagioli (CT)
Annius : Yuriy Mynenko (CT)
Servilia : Bernarda Bobro (Sop)
Publius : Miklós Sebestyén (Bar)

Chœur de l’Opéra national de Lorraine
Orchestre symphonique et lyrique de Nancy

通奏低音:
Giulio Zappa, clavecin
Jean De Spengler, violoncelle


あらすじ
時は紀元1世紀のローマ帝国。前皇帝の娘ヴィッテリアは、父から皇位を奪ったティート帝に憎しみと、それに相反する激しい愛情を抱いている。ティートとヘロデ王の娘との結婚話が進んでいることを知ったヴィッテリアは、自分に片思いしているセストをそそのかして、ティート暗殺を企てる。その後、結婚話が白紙になったことを知ったヴィッテリアは暗殺の延期を申し渡すが、次の花嫁候補としてセストの妹セルヴィリアが選ばれたことを知り、再び激怒。

しかしセルヴィリアは兄の友人であるアンニオと愛し合う身。アンニオは皇帝への忠誠心から身を引こうとするが、率直なセルヴィリアは、自分が愛しているのはアンニオであることを皇帝に告げる。慈悲深い皇帝は、二人の仲を引き裂くのはしのびないとして、新たな結婚相手としてヴィッテリアを考える。

そのことを知らないヴィッテリアは、ついにセストを使ってティート帝暗殺を実行に移した。だが、ティートと思って刺した相手は皇位簒奪を狙う別人で、一命を取りとめた。セストは皇帝暗殺の未遂犯として逮捕されるが、理由を問い詰められても、ヴィッテリアへの愛ゆえに真実を話せない。ついにセストは処刑場へ。ここに至ってセストの真実の愛を知ったヴィッテリアは、罪を告白する。

結局ティートは慈悲深い心で二人を許し、民から賞賛の声を浴びるのだった。

さて、フランコ・ファジョーリによるセストと、ユーリ・ミネンコが演じたアンニオだが、この配役は大成功といってよいだろう。カウンターテナーとしての卓越した技術と高い音楽性を備えていることはもちろん、この二人の声はとても相性がいいのだ。彼らが変わらぬ友情を歌い上げる二重唱「Deh prendi un dolce amplesso(ああ、やさしく抱き合おう)」は、3度と6度のハーモニーが身震いするほど甘美だった。メゾ二人がハモるのとはまた違った、力強さを感じさせる歌唱である。それに、視覚的にも男役の「中の人」が本物の男性というのはしっくりくる。余談だが、ワイルドな長髪のカツラをつけたファジョーリは、人気のあのイケメン・テノールにちょっと似てる瞬間があるじゃないかと(ごく局地的に)話題になった。
髪の存在って、すごい。

ナンシー歌劇場といえば昨シーズンにカウンターテナー5人プラステノール1人という男性歌手だけの絢爛豪華バロック歌謡ショウ(と呼びたい)、ヴィンチの「アルタセルセ」で話題になったが、ファジョーリはそこで超絶技巧を披露して観客をあっけにとらせた歌手だ。今回のセスト役では、有名なアリア「Parto, Ma Tu, Ben Mio(私は行く、でも、いとしいあなたよ)」の見事なコロラトゥーラは勿論のこと、皇帝暗殺を悔いる長丁場のレチタティーヴォ・アコンパニャート「O Dei, che smania e questa(おお、神々よ、これは何という狂ったことか)」のドラマチックな表現力と緊迫感に釘付けになった。

一方、ミネンコも「アルタセルセ」に出ていたが、敵役であまり派手なアリアもなかったので、ちょっと影が薄くて気の毒だった。今回は彼の魅力である温かみのある豊かな声が十分に生かされて、本領発揮となったのは嬉しいことだ。

ティート帝、テノールのベルナール・リヒターは、気品ある声で正統派モーツアルト・テノールの風格があった。ヴィッテリア役には、そのエキセントリックな性格を反映した、上と下に恐ろしく音域が広く大胆な跳躍もある難曲のロンド「Non piu di fiori vaghe catene(花の美しいかすがいを編もうと)」がある。これを歌ったサビーナ・クヴィラックには、ただ、ただ、お疲れ様と声をかけたい。アンニオとの愛を貫くセルヴィリア役のベルナルダ・ボブロは、優しくも芯の強い女性というキャラを、その可憐な声でよく表現していた。

なお、初日のオペラ評が4月30日付のフィナンシャル・タイムズに掲載されており、かなり好意的な評価をしている。フランコ・ファジョーリの大ファンとして情報普及活動に尽力しているアルチーナさんのブログで、その日本語訳が読める
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5月6日のカーテンコール
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by bonnjour | 2014-05-07 13:56 | 聴く&観る
シドニー・モーニング・ヘラルド紙のジャルスキーのインタビュー記事
今年初めから長期休暇を取って充電中のフィリップ・ジャルスキーだが、今月は例外的にオーストラリアのシドニーとメルボルンで、ポール・ダイアー率いるオーストラリアン・ブランデンブルク・オーケストラと共演するコンサートが予定されている。

それに合わせ、現地紙シドニー・モーニング・ヘラルドに本日付でジャルスキーのインタビュー記事が掲載されたので(下の写真はオンライン版のスクリーンショット)、拙訳でご紹介する。よく対比される往年のカストラートと現代のカウンターテナーとの本質的な違い、カウンターテナー・ボイスにまつわるセクシュアリティの問題、カウンターテナーで歌うことの魅力など、大変に興味深い内容だ。そして、人気歌手ジャルスキーにこぞって手編みマフラーをプレゼントする中年女性軍団(笑)のエピソードなど、ちょっと風刺がきいていてニヤリとしてしまう。

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シドニー・モーニング・ヘラルド紙
2013年3月9日

「大の男をすすり泣かせる音域」

Kathy Evans記者


「芸術のために苦しむ」という言葉は、昨今では言い古された表現かもしれない。しかし300年前にタイムスリップすれば、この言葉が実際に何を意味するかを、身の毛もよだつ、生々しい描写を交えて事細かに語ってくれる少年たちが沢山いることだろう。

簡単にいうと、前途有望そうな美声に恵まれた少年たちは、もぐりの理髪店に連れていかれ、そこで阿片を飲まされて、温かい浴槽に浸かりながら去勢された。その成果は(ごく一部の幸運な者たちに限るが)、現代のロック・スターもかくやと思われるキャリアだった。彼らカストラートはヨーロッパの主要なオペラハウスを巡業し、バリー・ギブ(訳注:ビージーズのメンバーで、ファルセットの高音で歌うことで有名な英国の歌手)並の、甲高い奇妙な歌声で高額の出演料を思うままにした。彼らは、まさに当時のディーバといえる存在で、癇癪持ちでしばしば感情を爆発させ、法外な要求をすることで有名だった。そんなカストラートを熱愛する女性ファンは山のような贈り物をして、絶賛の言葉をささやいたのである。

フィリップ・ジャルスキーのキャリアには、カストラートのそれと重なる部分が少なくない。彼は世界中のコンサートホールに送迎付きで登場し、その澄み切った天国的な声と、少年の面影を残す美貌に聴衆はうっとりとし、ファンたち(とりわけ中年女性)はプレゼント攻勢を仕掛ける。中でも多いのはチョコレートと、彼の名声を築いた喉を守るための手編みのマフラーである。「これは、ナルシスト向きの仕事です」と彼は認める。しかし、幸いなことにカストラートとの類似点は、そこまでだ。このフランス人カウンターテナーの声は、すべて天然に生み出されたもので、苦痛はまったく不要だった。

「最高の芸術性を発揮するために、苦しい人生を送る必要はまったくないと思います」。彼は、アクセントの強い、驚くほど低い声でそう言ったが、カストラートになるための恐ろしい去勢がその歌唱に優位性を与え、それは現代では再現できないものだという事実も認める。「彼らは、その歌声に劇的なものをまとっていました。完全な男性にはなれないという悲劇は、その声にも顔をのぞかせていたのです。」

ジャルスキーは、18世紀ヨーロッパでセンセーションを巻き起こした去勢歌手たちに長いこと魅せられてきた。数年前には、ヨハン・クリスチャン・バッハがカストラートのために書いた、今では忘れられたアリアの数々を収めたアルバム「La Dolce Fiamma(甘い炎)」を録音している。そして来月、彼はオーストラリアン・ブランデンブルク・オーケストラと共演し、かつてファリネッリとカレスティーニというカストラート界の二大ライバルが歌って大ヒットしたバロック・オペラの名曲を披露する。

当時の様子を思い浮かべてみよう。人々が、髪粉をたっぷり振りかけたかつらをつけていた時代のロンドン。有名な作曲家ヘンデルと、それよりは知名度が少々劣るライバルのポルポラは、オペラ界でのトップの座を狙って激しい争いを繰り広げていた。ヘンデルの陣営には有名なカストラートのカレスティーニ、そしてポルポラには同じくらい崇拝されている歌手ファリネッリがついていた。二人の作曲家はそれぞれ、自分の陣営の歌手の驚異的な才能を誇示するために曲を書き、アリアがいっそう崇高で華々しく、名人芸的なものになるよう心を砕いた。

カストラートは、成層圏にまで突き抜けると思われるような声のほかにも、ひとたび舞台を下りれば女性そして男性を相手にした恋愛遊戯で知られていた。皮肉なことに、男性機能を奪った処置はまた、彼らを超人間的な存在にする結果となったのである。必要なホルモンが奪われたため、カストラートの手足は異常な長さに成長し、胸腔は巨大化したのに対し、喉頭は子供のままだった。その結果生まれる声は、力強さと純真さを不気味に混ぜ合わせたものとなった。それは、恐ろしい残酷行為から作り出された至高の歌声といえよう。

カウンターテナー界の広告塔たるジャルスキーには、彼のためにせっせと手編みに励む女性軍団のほかに、ゲイのファンも数多い。「沢山のゲイの人たちが、カウンターテナーの声に興味を示します。なぜなら彼らにとって、この声は男性であることのもう一つの方法を、戯画化することなしに示すものだから。けれど、それは何もカウンターテナーの声に特有のものではないと思うのです。カウンターテナーであることとゲイであることを混同されることもありますが、実際にはもっと複雑なものなんです。カウンターテナーにはゲイもいれば、異性愛者もいます。自分のセクシュアリティを表明するためにこの声を選ぶ必要はありません。カウンターテナー・ボイスが自分にとって心地よく、その声を使って素晴らしい音楽を作り出せるのなら、カウンターテナーを選べばいいわけです。」

パリ郊外で育ったジャルスキーは、最初ヴァイオリンを学んだが、この楽器を心底楽しんでいたわけではなかった。ティーンエイジャーの時、地元の教会で開かれたバロック・コンサートでマルティニーク島出身のカウンターテナー、ファブリス・ディ・ファルコの歌を聴く。彼はその音色に衝撃を受け、魅了された。最初はためらいもあったが、彼の中でこんな声がささやいた「君だって、できるさ」。

最初についた音楽教師には確信がなかった。「彼女は『あなたには音楽の才能があるけど、いかんせん声が小さすぎるのよ』と言いました。でも僕はこう言ったんです。僕を信じてください、絶対にカウンターテナーになってみせます、と」。

それでは、カウンターテナーのどこに惹かれたのだろう。「それは少年のままでいられるからだと思います。僕は今、35歳ですが、いまだにティーンエイジャーのような気持ちがします。カウンターテナーは女性のように歌おうとしているのだと多くの人が思っていますが、僕にとっては、子供時代の、何か純粋なものを自分の声の中に見出そうとしているんですね。」

1922年に世を去った最後のカストラート、アレッサンドロ・モレスキは、カストラートの声の唯一の録音を残しているが、現代のある批評家はそれを「ヘリウムを吸ったパバロッティ」と形容している。しかし私たちがカストラートに魅了される気持ちは尽きない。両性具有性や性的曖昧さは、その魅力のほんの一部分だ。貧困が生んだ悲劇と、そこから逃れるために自らの子供に去勢手術を受けさせる親たちの絶望には、計り知れないものがある。その残酷さこそが、ジャルスキーを引き付けて離さないものである。「カウンターテナーで歌うことは、カストラートの音色を理解するための一つの方法ですが、僕たちは決して、カストラートを忠実に再現することはできないんです。」
*** END ***
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by bonnjour | 2013-03-09 19:35 | 聴く&観る
ウィーン旅日記 - ファジョーリのAlto Gioveで失神の三歩手前
ウィーンに来た目的である、ニコラ・ポルポラ作のオペラ「ポリフェーモ」(演奏会形式)を、金曜日の晩にアン・デア・ウィーン劇場で聴いた。ここは、モーツアルトの「魔笛」の台本作者で俳優、興行師でもあったエマヌエル・シカネーダーが設立した歴史ある劇場。近年では専らミュージカルを上演する劇場だったが、2006年に「新しいオペラハウス」というキャッチフレーズで再びオペラ劇場に生まれ変わった。

さて、劇場に近づくと今日の演目のポスターが見える。
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「Franco Fagioli in
POLIFEMO」
とある。すごいな。彼が看板役者(じゃなくて歌手か)として興行を背負って立ってる感じが伝わってくる。
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【作品について】
イタリア後期バロックの作曲家ニコラ・ポルポラ(1686-1768)がパオロ・アントニオ・ロッリの台本に基づいて作曲し、1735年に初演されたパストラル・オペラ。ストーリーは、「オデュッセイア」と、オウィディウスの「メタモルポーセース(変身物語)」にあるアチス(アチ)とガラテアの話を組み合わせている。タイトルの「ポリフェーモ」は、美青年アチと相愛の仲にあるガラテアに横恋慕する単眼の巨人。初演時には、当時の超人気カストラートであるファリネッリがアチ役、同じくセネジーノがウリッセ(ユリシーズ)役を歌った。

Cast:
Aci - Franco Fagioli (CT)
Galatea - Laura Aikin (S)
Ulisse - Xavier Sabata (CT)
Polifemo - Christian Senn (BT)
Calipso - Mary-Ellen Nesi (MS)
Nerea - Hannah Herfurtner (S)

Bach Consort Wien
Conductor: Ruben Dubrovsky

さて、この晩の歌唱だが、アチ役のフランコ・ファジョーリが飛び抜けて光っていた。「神は一人、ファリネッリも一人」と称えられたカリスマ・カストラートのために書かれた役だから、聴かせどころのアリアが割り当てられていて歌い甲斐のある役ではあるのだが、それを差し引いても、彼の声質、発声法、表現力は他の歌手たち(彼らも、それぞれに美点のある音楽家なのだが)を大きく引き離している。

例えば1幕目のアチのアリア「Dolci fresche aurette」での、クリームのようにまろやかで密度の濃い声。ファジョーリはインタビューで自分の声をメゾ・ソプラノだと説明しているが、メゾの声質の中に男性的なトーンが一本通っていて、それがこの作品のような青年役にはうってつけである。(ちょうど1年前、ファジョーリがカールスルーエで歌った同じアリアの音源を、下に貼り付けておく。)



2幕目のアリア「Lusingato dalla speme」では、バロック・オーボエとファジョーリの声がからむのが、まるで上質な織物に触れているようで、至福の瞬間だった。そこで気がついたのだが、オーボエの音色と彼の声は、どこか共通点があるのじゃなかろうか。

そしてこのオペラで一番有名なアリアであろう「Alto Giove」。フィリップ・ジャルスキーがこのアリアを得意にしていて、彼のsignature songともいえるのだが、ファジョーリは、この曲に新しい基準を与えたと思った。この二人の歌手は、まったく違った声質の持ち主ゆえ、透明度の高いジャルスキーの歌唱では天に向かって登るようなイメージ、ファジョーリ版はもう少し濃密で重力が感じられて、大気圏を漂っているイメージといえばよいか(なんのこっちゃか?)。このアリアではダ・カーポの装飾音が大変に興味深かった。装飾音によって上の音域を延ばすばかりでなく、下の音域に降りていき、ファジョーリの特質である力強く厚みのある胸声を聴かせてくれるのだ。驚くのは、彼の胸声と頭声の切り替えがごく自然で、音色にまったく差がないことだ。彼の発声法については、英国のオペラ雑誌「Opera Now」に載った、彼のインタビュー記事が参考になる。記事の和訳はこちら

ダ・カーポ部分の「Alto Giove」という、長い長いパッセージを聴いて、私は失神の3歩くらい手前までいったことを告白しておきたい。

さて、他の歌手についての感想。

ウリッセ役を熱演したシャビエル・サバタは、安定感のある歌唱で安心して聴いていられる。最近、コンセプト・アルバムの「Bad Guys」を出して好評を博している彼だから、次は悪役で聴いてみたいかな。

ポリフェーモを歌ったバリトンのクリスチャン・センは、一手に低音部を担う重要な役割。歌唱に加えて、酔っ払うくだりの演技はユーモラスで観客が沸いた。

女性歌手陣では、ネレア役のハンナ・ハーフルトナーが、出番は少ないものの、クリスタルのように透明な声で光っていた。それに対して、肝心のガラテア役のローラ・エイキンは、私には声に魅力が感じられず少々興醒めだった。ガラテアとアチとの二重唱は、二人の歌手の資質の差を見せつけられるようで、彼女に気の毒な気がしたほどだ。カリプソのマリー・エレン・ネジは、とても実力のある歌手。低音歌手が好きな私には目が離せない。

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↑ カーテンコール。左からマリー・エレン・ネジ、シャビエ・サバタ、クリスチャン・セン、指揮のルベン・ドゥブロフスキー、フランコ・ファジョーリ、ローラ・エイキン、ハンナ・ハーフルトナー。

サイン会はなかったが、現地在住が長く、音楽関係者に知り合いの多いTさんが同行していたので、彼女が親切にも楽屋口まで連れていってくれた。そこで待つことしばし、オケのメンバーの後から歌手陣が次々と出てきた。ファジョーリ氏は一番最後。出てくるやいなや、沢山のファンに囲まれているのは、さすが人気者である。ナンシー歌劇場で「アルタセルセ」に出演したあなたを聴いて大変に感動したが、今晩の歌唱もそれに負けず劣らず素晴らしかった、と言ったら、作品そのものがとても優れているんだ、との答え。なんと謙虚な。それに、舞台の上で盛大なブラボーを受けているときも、オケにも拍手を送ってほしいという身振りをして、そうしたステージマナーがまた観客を魅了するのである。歌っているときは神がかっていたファジョーリだが、オフステージではフレンドリーで感じのいい、どこにでもいそうな青年というギャップが、またよかった。
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↑ 彼の出演したロッシーニのオペラDVD「パルミーラのアウレリアーノ」を持参してサインしてもらっちゃった。
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by bonnjour | 2013-02-22 10:32 | 聴く&観る
マックス・エマニュエル・チェンチッチの新アルバムは、高貴なる共和国ヴェネツィアへのオマージュ
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Giovanni Antonio Canal, detto il Canaletto (1697 - 1768), "Il Canal Grande e la chiesa di Santa Maria della Salute"

c0163963_2225674.jpg7世紀末から1000年以上の長きにわたり存続したヴェネツィア共和国は、正式名称を「Serenissima Repubblica di Venezia(もっとも高貴な共和国ヴェネツィア)」という。東地中海貿易を独占し、圧倒的な海軍力をバックに栄華を極めたこの国は、ダルマチア(現在のクロアチア沿海部)、イオニア海、エーゲ海、キプロス等に版図を広げたが、大航海時代になると地中海貿易の重要性は相対的に低下していき、その一方ではオスマン帝国に多くの領土を奪われるなど、衰退期を迎える。ナポレオン率いるフランス軍に降伏したヴェネツィア共和国は、講和条約の取り決めによってオーストリアに領有されることになり、1797年に国が消滅した。

クロアチア生まれ、ウィーン育ちという、ヴェネツィアの歴史と浅からぬ縁があるマックス・エマニュエル・チェンチッチの新しいディスク「Venezia - Opera arias of the Serenissima」(1月25日リリース)は、かつての高貴な共和国に捧げるコンセプト・アルバムで、ヴィヴァルディとその同時代人作曲家たちの、知られざるオペラ・アリアで構成されている。オケは、バロック・ヴァイオリンの名手リッカルド・ミナーシが指揮するアンサンブル、イル・ポモドーロ。

水の都のイメージからか、ジャケットの地色は灰色がかった水色で、花唐草模様が飛んでいる。それを背景に、紫色を帯びた茶色いベルベットの上着と同系色の派手なタイに身を包んだチェンチッチが佇んでいるというデザイン。ヴェネツィア風俗を描いたロココの画家、ピエトロ・ロンギ(1701-1785)の絵(下記)を思い出させるような、繊細で優雅な意匠だ。このようなコンセプト・アルバムの場合、曲目構成と演奏そのものに加えて、ジャケットのデザインもコンセプトを伝える大事な要素になるから、力が入っているのだろう。力が入りすぎて、チェンチッチの瞳孔をCG処理で強調して、少女漫画ばりにお目々に星が輝いているのは、やりすぎと思うが(笑)。

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Pietro Longhi, The Artist Sketching an Elegant Company

このアルバムのコンセプトと完成までのいきさつについて、先日公開されたプロモーション・ビデオでチェンチッチ本人が語っているので、ご紹介しよう。




【インタビュー要旨】
・ヴェネツィアは地中海とアドリア海、そしてオーストリア、スロベニア、クロアチアなどに大きな文化的影響を及ぼしたが、それらは自分が子供時代を過ごした場所でもある。このアルバムは、そんなヴェネツィアに捧げるささやかなオマージュだ。

・ラグーナ(潟)に囲まれ水上に浮かぶヴェネツィアは、Fata Morgana(蜃気楼)にも似た存在で、数多くの芸術家に霊感を与えてきた。

・アルバムの構想を立て始めた当初は、どんなものができるのか明らかではなかった。若き日のヴィヴァルディの作品で構成するつもりだったが、調査を進めていくうちに、同時代人の作品も取り上げてヴィヴァルディを多面的に捉えようということになった。そこでアルビノーニとか、ガスパリーニ(彼はヴィヴァルディと一緒に仕事をして、劇場の世界に引き入れた)といった作曲家を加えた。

・ヴィヴァルディの音楽には同時代人の影響が色濃いことが分かったので、ヴェネツィアそのものをアルバムのテーマに据えることにした。ヴェネツィア人で地元で活躍した作曲家に加え、ウィーンで活動したカルダーラのようにヴェネツィア出身で他国の音楽に影響を与えた人や、ジャコメッリのようにヴェネツィア人ではないがヴェネツィアでオペラ作品が上演されヴィヴァルディに多大な影響を与えた作曲家も取り上げることにした。

・リッカルド・ミナーシ(指揮)とイル・ポモドーロ(アンサンブル)との共演は、自然発生的なもので、ある意味偶然の産物だ。ヴァイオリニストとしてのリッカルドとは長い付き合いだったが、指揮者でアンサンブルのリーダーとしての彼と共演するのは新しい経験。彼らはヴェネツィア音楽に造詣が深い。


出来上がったアルバムは、ヴィヴァルディ作品を中心に、どれもレアな曲で固めてある。バルトリがアルバム「Sacrificium」で取り上げた、ジャコメッリの「Sposa non mi conosci」(後にヴィヴァルディはこの曲を自作のパスティーシュ・オペラ「バヤゼット」に使っている)などは、それでも比較的知られた曲かもしれない。(注記:この作品については3年前に当ブログで取り上げている

時の流れとともに埋もれてしまった知られざる名曲を探し当て、スター歌手が現代に生き返らせるという活動が盛んだが、このアルバムもその系譜に連なるもので、作品ハンティングの苦労がしのばれる。上記のインタビューにあるように、同時代人の作曲家たちが影響を与えあった痕跡を、収録曲からしのぶもよし、これらの曲を情感豊かに、時にはエキセントリックな色合いをつけて歌いあげるチェンチッチの独特な世界に遊ぶもよし、色々な聴き方ができるアルバムだと思う。高音部がいささか絶叫調になる気味のあるチェンチッチの歌唱は好き嫌いが分かれるかもしれないが、私はこういうケレン味のある歌い方も好きだ。

曲目の構成は次の通り。分かりやすいように、「外国人(ヴェネツィア共和国以外の出身者)でヴェネツィアと深い関わりをもった作曲家」に色をつけてみた。こちらのサイト(オランダのラジオ局radio 4)では、太っ腹にも全曲を通して試聴できる(Mevさん、情報感謝)。

01 Barbaro non comprendo: Adriano in Siria - Antonio Caldara
(c.1670-1736)
02 Mormorando quelle fronde: La costanza combattuta in amore - Giovanni Porta (c.1675-1755)
03 A' piedi miei svenato - Antonio Vivaldi (1678-1741)
04 Dolce mio ben, mia vita: Flavio Anicio Olibrio - Francesco Gasparini (1668-1727)
05 Anche in mezzo a perigliosa - Vivaldi
06 Sposa non mi conosci: Merope - Geminiano Giacomelli (c.1692-1740)
07 Io son rea dell'onor mio: Argippo, RV 697 - Vivaldi
08 Pianta bella, pianta amata: Il nascimento de l'Aurora - Tomaso Albinoni (1671-1751)
09 Mi vuoi tradir lo so: La verità in cimento, RV 739 - Vivaldi
10 Quel rossor che in volto miri: Motezuma, RV 723 - Vivaldi
11 Anche un misero arboscello: Nitocri - Giuseppe Sellitto (1700-77)

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by bonnjour | 2013-01-28 19:01 | 聴く&観る
イタリアのデジタル資料ポータルInternet Culturaleはお宝がザクザク
先日、当ブログで「サイバー空間のWunderkammer(驚異の部屋)」と題し、ドイツ国内の様々な図書館や博物館のデジタル化資料を一元的に提供するポータルサイトをご紹介したが、アルプスの向こう側も負けてはいない。調べ物をしていて、イタリアのデジタル化資料ポータルサイト「Internet Culturale」に遭遇したのだが、これはかなりのすぐれもの。現時点でイタリア国内70の図書館・博物館・文書館が所有するデジタル化ファイル850万点を無料で検索し、閲覧できる。

追記:今、自分のパソコンのブックマークを整理していたら、このサイトをずいぶん前にブックマークしてたのに気付いた。フィリップ・ジャルスキーが以前、インタビューかなにかで、知られざる名曲を発掘するためのお勧めの情報源として、このサイトに言及していたのだった。゜(゜´Д`゜)゜あの、ジャルスキーがワクテカしながら楽譜を検索している姿を思い浮かべると、なんだかほほえましい。

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サイトの入り口(上のスクリーンショット)からして、クラシカルで重厚な感じがするではないか。ページ右上に「Lingua: It En Fr Es」というボタンがあるのに反応しない件は、突っ込みを入れるのをやめておこう。将来的にはこれらの言語にも対応するのだろう。そして、「Collezioni Digitali」(デジタル・コレクション)というコラムをよく見ると、右下になにやら青くてきれいな、中世の写本らしきサムネイルが表示されている。

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興味をひかれてクリックしてみたら、ルッカのBiblioteca Stataleが所蔵する、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098-1179)の「Liber Divinorum Operum」(「神の業の書」)の写本(通称、Lucca-Codex)が出てきた。この貴重な写本の各ページを自分のパソコンで閲覧し、必要に応じて拡大表示したり、ページ単位でPDFファイルを生成して無料ダウンロードできるのだから、この分野の研究者はもちろんのこと、神秘主義マニアとか写本マニア(なんているのか?)にも嬉しいサービスだろう。テキストを解読するのは専門家に任せ、とりあえず美しい図版(下記写真は「生命の輪」の図)を眺めてぼーっとするのが正しい楽しみ方かもしれない。

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もちろん、欲しい資料の分野や名称を指定して検索するのが基本だが、暇なときにはこんなお宝発掘の遊びもできるということで。

さて、調べ物をしていてこのサイトを見つけたと書いたが、きっかけはフランコ・ファジョーリが今年秋に出すアルバム「カッファレッリのためのアリア」(往年の名カストラートに捧げるオマージュ・アルバム)だ。彼の所属事務所(Parnassus Arts Productions)のサイトで、アルバム収録曲のひとつが試聴できるのだが、作曲家名(パスクァーレ・カファロ)とアリアのタイトル「Gonfio tu vedi il fiume」が表示されているだけで、どのオペラのどのようなアリアなのか、詳細が分からない。そこで周辺情報を調べているうちに、作品の手稿譜の画像データをここで見つけたのである。ナポリのサン・ピエトロ・ア・マジェラ音楽院図書館の所蔵品。

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ちなみに、このアリアは「イペルメストラ」(=ギリシャ神話のヒュペルムネーストラー)というオペラに出てくるもので、タイトルロールの婚約者であるリンチェオ(=ギリシャ神話のリュンケウス)が歌う、ということが分かった。ヒュペルムネーストラー? リュンケウス?なにそれ、美味しいの?とギリシャ神話音痴の私には、またまた調べる材料が増えてしまうのであった。

あらすじ: アルゴスの王ダナオスの娘イペルメストラは、婚約者リンチェオとの結婚を心待ちにしていたが、父王から初夜の床でリンチェオを暗殺するよう命じられる。板挟みになった彼女は、婚約者の命を守るため、理由を告げずに彼に愛想尽かしをする。事情を知らないリンチェオは、彼女が心変わりしたと勘違いして、添い遂げられないなら自分は自殺すると言い張る。その一方、国王はイペルメストラが暗殺計画を口外したと疑い、彼女を捕らえる。そこに、彼女を助けようと、リンチェオ率いる一団が乱入し…
バロック・オペラ・ファンにはおなじみの偉大な台本作家、ピエトロ・メタスタージオ(1698-1782)によるこの物語(リブレットはこちら)は、カファロの他にグルック、カヴァッリ、ヴィヴァルディ(アリア3本のみ現存)ら、何人もの作曲家がオペラにしている。しかしこんなマイナーなアリア、よく見つけてくるものだ。歌詞の内容からみるに、このアリアはイペルメストラの心変わりを疑ったリンチェオが、彼女のいない人生なんて意味がないから自殺すると脅迫するシーンのようである。

手稿譜を見ているうちに、YouTubeクリップ職人魂(といってもたいして凝ったものが作れるわけではない)がむらむらと頭をもたげてきて、事務所サイトで拾った試聴用音源と手稿譜を同期させたこんなクリップを作ってしまった。パソコンにおまけで付いてきたWindows Liveムービーメーカーというソフトで作成。手稿譜の画像ファイルを、音源に合わせて切り替えていくだけのシロモノだが、画像の表示時間を手作業で0.01秒単位で指定しながら全部で30枚の画像を入れていくのは結構手間がかかる。


"Gonfio tu vedi il fiume" from Ipermestra
Composed by Pasquale Cafaro (1715-1787)
Libretto by Pietro Metastasio (1698-1782)
  Franco Fagioli, countertenor

苦心して作ったものは他人に見せたくなるものだが、ブログを通じてファジョーリの普及活動に力を入れておられるアルチーナさんがYouTubeでいち早くクリップを見つけてくれて、Twitterで紹介してくださったのには感激、というか情報の早さに恐れ入った。これもフラちゃん(=ファジョーリ)への愛がなす業だろう。また、自分でもFacebookにリンクを張ってみたところ、所属事務所の代表であるジョージ・ラング氏から「いいね」を付けてもらえて、ほっとした。試聴用音源を勝手に使ってクリップを作ったので、「君ぃ、困るよ!」とお叱りがくるかと、実はちょっと心配だったのだ。クレームどころか、「フランコの新しいアルバムはアリア13曲を収録、お楽しみに!」「アルバムのリリースと同時期にコンサートツアーも予定」とコメントを付けて、所属アーティストの宣伝に余念のない社長であった。

というわけで紙幅が尽きたので(電子媒体に「紙幅」なんてないだろという突っ込みは禁止)、ファジョーリの新しいアルバムについての話は後日書きたいと思う。
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by bonnjour | 2013-01-21 01:00 | 聴く&観る
いけいけ、フラちゃん ― フランクフルトで1月8日にデビュー・リサイタル
注:関係者の努力の甲斐あって(?)チケットも大方売れたので、タイトルを「危うし、フラちゃん」から「いけいけ、フラちゃん」に変えました。

ドイツのオペラ・ファン女子、lotus-eaterさんのブログ「operasora」に最近、何度かお邪魔してコメントをやり取りさせていただいている。lotus eaterとは「ギリシャ神話に出てくるロートスの実を食べて、浮世の憂さを忘れた人」、転じて「夢想家」という意味だが、ブログ名の「operasora」から私は勝手にブログ主を「空(そら)ちゃん」と呼んでいる。ほら、空を見上げて夢想している姿が思い浮かぶでしょ?

空ちゃんはカウンターテナーのフランコ・ファジョーリの大ファンで(日本のファジョーリ・ファンの筆頭であるアルチーナさんとも、もちろん交流がある)、彼女のブログはファジョーリのコンサートや放送予定、レビューなど、情報が豊富なので助かる。他にもカウフマンなど彼女のお気に入りの歌手たちの情報や、器楽曲のコンサートのレポなどもあって、音楽を愛する彼女の心が伝わってくる珠玉のブログだ。

さて、空ちゃんがアルチーナさんのブログに残したコメントで気になるものがあった。それは、ファジョーリ(ファーストネームのフランコ、からフラちゃんと呼ばせてもらおう)のフランクフルトでのデビューにあたるリサイタル(1月8日、フランクフルト歌劇場)のチケットの売れ行きが悪いということだ。理由のひとつは、見本市のため市内のホテル料金が高騰していること。先日、ケルンで上演されたレオナルド・ヴィンチのオペラ「アルタセルセ」(演奏会形式)に物語上の主役といえるアルバーチェ役で出演し、神がかった歌唱でドイツの聴衆を熱狂させたフラちゃんだが、フラ・デビュー(と、こちらもまた略して韻を踏んでみた)のチケットの売れ行き不振は、この勢いをそぐものだから残念きわまりない。(日本時間1月6日16:45の時点で、カテゴリー1~7のうち、一番安い13ユーロの席のみ完売、53ユーロのカテゴリー3が残席わずか、あとは25ユーロ~75ユーロまでの各カテゴリーに残席がふんだんにある模様。なんということだ!*追記:その後、ブラウザーをいつも使ってるfirefoxからIEに変えてチケットサービスのページにアクセスしたところ、具体的な残席数が図入りで分かった。よかった、結構売れている。地元フランクフルト在住の空ちゃんの、必死の口コミ作戦も貢献しているのかもしれない

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今回のコンサートは、2011年にリリースしたアルバム「Canzone e Cantate」(リンク先で曲のさわりを試聴できる)をなぞったプログラム構成で、大きな柱はヘンデルとヴィヴァルディのカンタータ(HWV109:"Dolc’è pur d'amor l'affanno"、HWV84:"Aure soavi e lieti"、RV676:"Pianti, sospiri" )、そしてモンテヴェルディ、フェラーリ、フレスコバルディなどの世俗歌曲となっている。リュートのLuca Pianca、チェンバロのJeremy Joseph、チェロのMarco Frezzatoを伴ってのリサイタルで、オペラの時とは打って変わったインティメットな雰囲気の漂う一夜(現地の表現ではLiederabendとあって、古楽のこういうのもリーダーアーベントって呼ぶんだと勉強になった)になると思うのだが、当日までにチケットが完売することを祈るのみ、だ。

さて、上記のアルバムのメイキングものビデオがあるのでご紹介しよう。2年半前の収録で、ファジョーリが今よりずっとふっくらしていて、後退が目立つ髪を中途半端なヘアスタイルにしてるのは、ご愛敬。余談だが、11月にナンシー歌劇場で実演に触れたフラちゃんは、かなりスリム&精悍になっていて、おまけに芸術家としてブレイクしつつある人特有の、実績と自信に裏付けされた色気のようなものが漂っていてびっくりした。2年前にバルトリと彼とのオペラ・アリアのコンサートをロンドンで聴いたときには、若いのに抜群の技術をもった期待の歌手だと思い、「フランコ、おそろしい子(by「ガラスの仮面」の月影先生)」というふざけた言葉でブログ記事をしめくくってみたが、それほどのオーラは感じなかった。たった2年でここまで成長するとは! そんなわけで、私はナンシーで「にわかファン」の仲間入りをした。

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(左上)使用前、(右)使用後。何が彼に起こったのか(笑)?



上記ビデオの2:33あたりからは、ヴィヴァルディの「Pianti Sospiri」第4部のアリア「Cor ingrato dispietato」を歌っている。同じ曲の、フィリップ・ジャルスキーによるメイキング・ビデオもあるので、比較すると歌い方のスタイルの違いが手に取るようにわかって面白い。ちなみに録音時、ファジョーリは28歳または29歳、ジャルスキーは26歳である。



今回のリサイタルの目玉は、演奏効果の高いヴィヴァルディおよびヘンデルのカンタータになるのかもしれないが、私が同じくらい期待するのはモンテヴェルディとフェラーリの小品、例えば後者による「Amanti, io vi so dire」(恋する男たちよ、教えてあげよう)だ。こうした曲を、演奏者と聴衆の距離を感じさせない小ぶりな会場で聴くことができたら(それがこうした曲が作られた本来のセッティングなのだ)、どんなに素晴らしいことだろう。


↑ ファジョーリによる「Amanti, io vi so dire」。音源はアルバム「Canzone e Cantate」より。

↓ 美しい楽譜!(下記の譜面は第4部の後半と第5部)。下から2番目の段、「ad erta」(”急な坂に対して”)の上昇音型と「o fondo」(”または地の底”)の最低音の対比が、ちょっとmadrigalismっぽい。一番下の段、「può fuggire」のメリスマ音型も、楽譜で見ると美しいな。
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この曲の通奏低音で繰り返される下図の音型は、17世紀イタリアのチャッコーナに特徴的なバッソ・オスティナート(執拗低音)で、様々な作曲家の作品に使われている。声楽曲で例を挙げれば、モンテヴェルディの「Zefiro torna」や、タルクィニオ・メールラの「Su la cetra amorosa」など(ご参考までに、曲名にYouTubeのリンクを張った)。この耳慣れたバッソ・オスティナートに乗って、第6部まである「Amanti, io vi so dire」は、歌詞に合わせて曲想を変えていく。参考のため、歌詞と拙訳を下記に記す。

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Amanti, io vi sò dire (恋する男たちよ、教えてあげよう)

== Prima parte ==
Amanti io vi so dire
ch'è meglio assai fuggire
bella donna vezzosa
o sia cruda o pietosa
ad ogni modo e via
il morir per amor è una pazzia.
  恋する男たちよ、教えてあげよう
  お逃げなさい
  美しく魅力的な女からは
  彼女が残酷であろうが慈悲深かろうが関係ない
  どう考えたって
  恋わずらいなんて愚かなこと

== Seconda parte ==
Non accade pensare
di gioir in amare.
Amoroso contento
dedicato è al momento
e bella donna al fine
rose non dona mai
non dona mai senza le spine.
  恋の喜びにひたっているなどと
  考えてはいけない
  恋することの満ち足りた気持ちは
  ほんの刹那的なもの
  結局のところ、美しい女が差し出す薔薇に
  棘がないはずがない

== Terza parte ==
La speme del gioire
fondata è sul martire
bellezza e cortesia
non stanno in compagnia
son ben dir con mio danno
che la morte ed amor insieme vanno.
  喜びという希望は
  苦しみの上に成り立っている
  美しさと思いやりは
  決して手を結ばぬもの
  僕は辛い経験からよく知っている
  死と愛は相性がよい

== Quarta parte ==
Vi vuol pianti a diluvi
per spegner i vesuvi
d'un cor innamorato
d'un spirto infiammato
pria che si giunga in porto
quante volte si dice
"ohimé son morto."
  ベスビオ火山の火を消すためには
  洪水のような涙が必要だろう
  恋する心や
  燃え上がった魂の火を消すには
  港に着くまでに
  僕らは何度こう言うことだろう
  「ああ、僕は悩殺された」

== Quinta parte ==
Credetel a costui
che per prova può dir:
"io vidi io fui",
se credere no'l volete
lasciate star che poco importa a me...
Seguitate ad amar
ad ogni modo chi dé rompersi il collo
non accade che schivi ad erta o fondo
che per proverbio sentii sempre dire:
"dal destinato non si può fuggire."
  「私は見た、私はそこにいた」と言うような者には
  用心することだ。  
  信じたくないのなら目をつぶれ
  僕には関係ないことなのだから、愛し続けるがよい
  いずれにせよ、首を折ることが運命づけられている者には
  急な坂や地の底を避ける必要などないのだ
  諺にもあるように
  降りかかろうとしている運命から逃げるすべはない

== Ultima parte ==
Donna, so chi tu sei
amor so i fatti miei
non tresco più con voi
alla larga ambo i duoi.
S'ognun fosse com'io
saria un balordo amor
e non un... dio!
  女よ、僕はきみが何者か知っている
  愛よ、僕は自分がすべきことを知っている
  僕はもうお前たちとかかわり合うのをやめて
  身を引くとしよう
  誰もが僕のようであったら
  愛とは愚か者であり、神なんかじゃなかったのに

「Amanti, io vi so dire」には、フィリップ・ジャルスキーがキャリアのごく初期(25歳)に録音した、みずみずしい歌唱があり(下記)、ファジョーリ版と聴き比べるとこの二人の歌手の立ち位置の違いが分かって面白い。少年を思わせるジャルスキーの軽快な声で、この歌詞のような世知に長けたことをいうと小生意気な感じ(笑)がする。そこがまた、いいのだけれど。対して、厚みのある成熟したファジョーリの声だと、当事者の心の叫びのように聞こえてきて、これはまた違った味わいがある。


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by bonnjour | 2013-01-06 16:10 | 聴く&観る
東京都写真美術館のお正月無料開館(1月2日)に行ってきた
TwitterでフォローしているHODGE_EGDOHさんのリツイートで知った、東京都写真美術館のお正月無料開館(1月2日)に行ってきた。開催中の3本の展覧会が無料という、嬉しいお年玉企画だ。

北井一夫 「いつか見た風景」

木村伊兵衛写真賞の第1回受賞者である北井一夫(1944-)の、美術館での初の個展とのこと。学生時代に撮ったものから現在の作品まで、彼の足跡が分かる構成。最新作である、東日本大震災の被災地の「道」を撮った連作は、瓦礫の中に道路だけが残っている無人の風景写真で、見ていると恐ろしさと悲しさが襲ってくる。初期作品の三里塚闘争のドキュメンタリーは、新聞の客観的な報道写真などでは見られない、反対運動の主体である農民側から捉えた視点が心を打つ。

三里塚闘争については、成田空港開港前の、小学生時代にちょっとした思い出がある。雑誌編集者だった父が仕事で接点のあった、反対運動の幹部 I氏の自宅を訪問するのに同行した。なぜ小学生の子供が付いていったのか不明だが、同じ方面に別の用事があったのかもしれない。地元の地主農家である I氏の家は古くて大きく、そのあたり一帯は、どこからか家畜の鳴き声がするような、のどかな場所だった。こんな所に空港を作るなんて、無謀だよなと子供心に思ったことである。今回の展示が、そんな思い出を蘇らせてくれた。

映像をめぐる冒険vol.5 「記録は可能か。」

「記録としての映像」をテーマに、リュミエール兄弟の世界初の実写映画「工場の出口」(1895年公開)から現在までの、記録映像の変遷と可能性を考える企画展(ところでこのタイトル、「羊」がいつのまにか「映像」に変身しちゃったのだろうか)。アート的な写真や映像も好きだが、ドキュメンタリーものはそれに輪をかけて好きなので、大変に興味深く展示を見た。

1950年代の学生セツルメント運動から生まれたフィルム版紙芝居ともいうべき「ぼくのかあちゃん」「自転車にのってったお父ちゃん」(ともに製作:東大セツルメント川崎こども会、作画・構成:加古里子)や、中谷芙二子(1933-)の「水俣病を告発する会-テント村ビデオ日記」などは、時代の証言といえる秀作。ドイツのニナ・フィッシャー(1965-)&マロアン・エル・ザニ(1966-)による、端島(通称:軍艦島)を撮った「スペリング・ディストピア/サヨナラ・ハシマ」は、廃墟マニアの私の心をくすぐる作品だった。

リュミエール兄弟の上記映画だが、会場を探し回ったところ、展覧会の入り口のパネルにはめ込まれた小さなディスプレイで流していた。なんか虚を突かれた感じ(笑)。

この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11

文字通り、日本の新進写真家5人の作品展。イギリスのオルタナティブ教育校に10歳で単身留学した体験記「サマーヒル少女日記」を出して話題になった大塚千野(1972-)の「ダブル・セルフ・ポートレイト」は、写真家自身の姿を自らの少女時代の写真にデジタル処理(巧妙!)で焼き込んだ作品だ。あどけないが意志の強そうな少女と、美しく成長した若い女性。同じ画面に佇む二人は、顔かたちからも(同一人物なんだから当たり前だ)年齢差からも、母娘のようにもみえる。

北京在住の菊地智子(1973-)による、中国の都市部に集まる地方出身のトランスジェンダーの人々やドラァグ・クィーンをテーマにした作品は、現在の中国のナマの姿を伝えている。一昔前の中国では日陰の存在だったトランスジェンダーだが、経済成長とともに社会も変化してきたのか、今では芸能界で成功する人も出てきて、世間に徐々に受け入れられるようになってきたという。

お正月早々、なかなかに刺激的な展覧会を3つも見ることができて嬉しい。
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by bonnjour | 2013-01-03 19:16 | 聴く&観る