B的日常
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ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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世にも不思議なコンサート:ジャルスキー、ラルペッジャータ、フジコ・ヘミングが一堂に会して?
カウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーと古楽アンサンブル「ラルペッジャータ」(指揮&テオルボ:クリスティーナ・プルハル)に、「魂のピアニスト」がキャッチフレーズのフジコ・ヘミングを組み合わせるという、世にも不思議なジョイントコンサートに行ってきた。場所は池袋の東京芸術劇場大ホール。

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ジョイントコンサートといっても前半にジャルスキーとラルペッジャータ、そしてイタリア民謡の伝統に根差したオリジナル曲を発表しているヴォーカリストのルチッラ・ガレアッツィがモンテヴェルディ、サンチェス、ストロッツィなどの初期バロック曲とガレアッツィのオリジナル作品を演奏し、後半はフジコ・ヘミングによる古典派およびロマン派を中心としたピアノ独奏という2部形式だ。つまり、前半と後半には、まったく関連性がない。そのギャップを埋めるためか、後半の冒頭でジャルスキーとヘミングによるシューマンの「詩人の恋」(抜粋)が演奏されるのが今回のコンサートの工夫点である。

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酸いも甘いも噛み分けた大人の女という風情のガレアッツィが、パンチのきいたハスキーな声で歌う自作の民謡「ああ、美しき人生」で幕を開けた第1部は、ジャルスキーによるバロック曲独唱、ガレアッツィの民謡、そして名手揃いのラルペッジャータによる即興の器楽演奏をちりばめた変化に富む構成で、あっという間に時間が過ぎた。ジャルスキーの声は高音がよく伸びて輝きがあるし、地声で力強く歌うガレアッツィとのデュエット「ロマネスカによる子守唄」(伝承曲)も、組み合わせの妙というべきか、異質なものが溶け合って思いがけず美しいハーモニーを織りなしていた。

しかし問題は会場だ。演奏は素晴らしいのだが、いかんせん会場が大きすぎて音が十分に届かない。それに、後ろのほうの席では演奏者との一体感というものがまったく感じられないのではないか。古楽器アンサンブルの演奏に、モダン楽器オーケストラを想定して設計されたこのような大ホール(1,999席)を使うというのは、いったいどうしたことだろう。昨年、フランスはピカルディ地方の古城で彼らの演奏を聴いたが、小さな石造りのホールに反響する古楽器の調べとカウンターテナー・ボイスは、聴衆の全身を包み込む親密さがあった。今日の会場とは大変な違いだ。

大ホールは後ろのほうにかなり空席が目立った。一部に熱狂的な崇拝者がいるヘミング氏が出演するせいかSS席13,500円~C席6,000円という超強気の価格設定だったが、昨今の不況には勝てずチケットの売れ行きが悪かったようで、直前になってあるオンライン・チケットサービスで半額チケットが叩き売りされていた。チケット発売開始まもなく定価で購入した私たちこそ、好い面の皮だ。

プログラムが後半に移り、シューマンの「詩人の恋」(抜粋)はジャルスキーが初めて公の場で演奏するレパートリーだ。昨年の初来日でもリサイタル前半に初公開(そして日本以外では永久に?お蔵入り)のドイツ歌曲(シューベルト、モーツアルト)を歌ったが、それに続く試み。ジャルスキーはソプラノに近い音色を使い、叙情的に歌いあげたが、長年歌い込み血肉となっているフランス歌曲に比べると、歌詞、メロディともに借り物感が大いに漂う。

演奏中、ヘミングは楽譜と鍵盤にかじりついており、ジャルスキーには一瞥もくれなかった。このような伴奏者は初めてなので驚く。暴走する(というよりは、テンポが遅れがちな)ピアノになんとか合わせようと、ジャルスキーがしきりにアイコンタクトを試みているのが客席からもありありと分かったが、それは徒労に終わった。それでもなんとか全16曲から抜粋した9曲を歌い終え、聴衆が「やれやれ」と安心するのは、考えてみれば変な話だ。ともあれ、そんな状況の中で最善を尽くして事を丸く収めたジャルスキーは、若いながらたいした器量だと思う。

アンコールは、ジャルスキーお得意のレイナルド・アーンから「捧げ物」。今年リリースしたアルバム「オピウム」にも収録され、長らくコンビを組んでいるピアニスト、ジェローム・デュクロと数えきれないほど演奏してきた曲なので、完全に彼のものとなっている。伴奏が不安定でも余裕をもって歌えたのは何よりだ。

追記: 舞台袖が見通せる席に座った知人の話によると、演奏を終えて舞台袖に引っ込んだジャルスキーは、フジコさんに深々とお辞儀をしていたそうだ。共演者に対する感謝なのか、年長のアーチストに対する尊敬の念なのか、いずれにしても気持ちのよいことである。


フジコ・ヘミングのピアノ独奏は、初めて聴いた。毀誉褒貶が激しいピアニストだが、クラシックの演奏家だと思って聴くと肩透かしを食らうわけで、彼女の数奇な人生や超個性的なキャラクターに引き寄せられて集まる人々(聴衆)に、演奏を通した「癒し」を行う一種のパフォーマンス、と捉えれば強烈な違和感もやわらぐ。パフォーマンスであるから伝統的なクラシック音楽の規範は不要なのだ。

何よりの証拠に、ヘミングが登場する後半になると客席に心もち人が増え(ジャルスキーは前座扱いというわけか)、多くの観客はステージに登場した彼女に色めきたった。そして、十八番の「ラ・カンパネラ」をはじめとする有名曲による「癒し」に満足した聴衆は、前半のジャルスキー&ラルペッジャータに対するより盛大な拍手を彼女に送っていた。コンサートが終わり、舞台袖に下がろうとする彼女に観客が手を振るのも珍しい光景である。

ともあれ、次元の違う2つの世界をジョイントコンサートの枠で無理やり合体させたプロモーターのセンスに大いに疑問が残った企画だった。

【曲目】
第1部(フィリップ・ジャルスキー&ラルペッジャータ)
・ルチッラ・ガレアッツィ:ああ、美しき人生
 Lucilla Galeazzi : A vita bella
・マウリツィオ・カッツァーティ:チャコーナ
 Maurizio Cazzati : Ciaccona
・バルバラ・ストロッツィ:「恋するエラクレイト」
 Barbara Strozzi : L’Eraclito Amoroso
・ジョヴァンニ・フェリーチェ・サンチェス:プレッソ  ロンデ トランクィッロ
 Giovanni Felipe Sances : Presso l’onde tranquillo
・即興演奏:タランテラ・ナポリターナ
 Improvisation : Tarantella Napoletana
・ジローラモ・カプスペルガー:アルペッジャータ
 Girolamo Kapsberger : Arpeggiata
・ルチッラ・ガレアッツィ:私の花の夢
 Lucilla Galeazzi : Sogna fiore mio
・即興演奏:タランテラ・イタリアーナ
 Improvisation : Tarantella Italiana
・即興演奏:ラ・ディア・スパニョーラ
Improvisation : La dia Spagnola
・クラウディオ・モンテヴェルディ:苦しみが甘美なものならば
 Claudio Monteverdi : Si dolce e’l tormento
・ドメニコ・マリア・メッリ:ディスピエガーテ・グアンチェ・アマンテ
 Domenico Maria Melii : Dispiegate, guancie amate
・ルチッラ・ガレアッツィ/即興演奏:家が欲しいな
 Lucilla Galeazzi/improvisation : Voglio una casa
・トラディショナル/即興演奏:ロマネスカによる子守唄
 Traditionelle/Improvisation : Ninna, nanna sopra la Romanesca

(アンコール)ガレアッツィ:家が欲しいな(聴衆参加型)、モンテヴェルディ:苦しみが甘美なものならば (日本語歌詞による)

第2部前半(フィリップ・ジャルスキー、フジコ・ヘミング)
ロベルト・シューマン: 歌曲集「詩人の恋」Op.48より抜粋
- Im wunderschönen Monat Mai (美しい五月には)
- Der Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne (ばらに百合に鳩に太陽)
- Wenn ich in deine Augen seh' (君の瞳に見入る時)
- Ich will meine Seele tauchen (心を潜めよう)
- Ich grolle nicht (恨みはしない)
- Hör' ich das Liedchen klingen (あの歌を聞くと)
- Am leuchtenden Sommermorgen (まばゆい夏の朝に)
- Aus alten Märchen winkt es (昔話の中から)
- Die alten, bösen Lieder (古い忌わしい歌)

(アンコール)レイナルド・アーン:捧げ物

第2部後半(フジコ・ヘミングによるピアノ独奏)
フランツ・シューベルト: 即興曲 D.899 作品90-3 変ト長調
フレデリック・ショパン: 練習曲 Op.10-3 イ長調 <<別れの曲>>
モーリス・ラヴェル: 亡き王女のためのパヴァーヌ
ルードヴィヒ・ベートーヴェン: ピアノソナタ No. 17 ニ短調 Op. 31-2 <<テンペスト>> 第3楽章 
フランツ・リスト: パガニーニによる大練習曲 第3番 嬰ト短調 <<ラ・カンパネラ>>

(アンコール)J.S.バッハ:カンタータ147番「主よ人の望みの喜びよ」、リスト:愛の夢
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by bonnjour | 2009-10-31 00:37 | 聴く&観る
寺山修司の「弟」


昨年、SNSのオフ会で知り合ったインディーズ系漫画家のSさんと一緒に、渋谷のイメージフォーラムで上映中の「へんりっく 寺山修司の弟」(監督:石川淳志、製作・配給:ワイズ出版)という映画を見てきた。寺山が率いる演劇実験室・天井桟敷の団員として音響、演出助手、舞台監督、グラフィックデザインなどを手がけ、いくつかの寺山映画では出演者も兼ねた森崎偏陸(もりさき・へんりっく)氏に密着したドキュメンタリーだ。森崎氏(ちなみに「へんりっく」という外国人のような名前は本名だそう)は寺山の死後、一人息子を亡くした寺山の母に乞われ、彼女と養子縁組して戸籍上は寺山修司の弟となった。寺山の弟子であり、スタッフであり、家族でもあるという立場の人だ。今日は上映に先立ち、森崎氏と監督の石川氏、それに白夜書房の末井昭氏のミニ・トークショーも行われた。

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私は寺山修司の一部の歌集と何本かの映画に接しただけで、熱心な読者ではないし、天井桟敷の活動の最盛期にはまだ子供で、実際の舞台を見る機会がなかった。それで、70年代に作られた彼のいくつかの映画で森崎偏陸という「脱ぎっぷりのいい」美少年俳優(当時、彼は20代半ば)が鮮やかな足跡を残していたことを今まで知らなかった。

映画は、寺山の実験的な短編映画「ローラ」(森崎氏はこの映画のスクリーンに、実演で参加する)を引っ提げてパリに渡る彼の姿や、寺山が83年に亡くなった後に一緒に仕事をするようになった荒木経惟(写真)、松村禎三(作曲)、宇野亜喜良(イラストレーション)、浦岡敬一(映画編集)といった、そうそうたる顔ぶれとの仕事シーンに密着する。松村氏、浦岡氏、そしてフランスにおける日本映画紹介の大功労者、弘子ゴヴァース氏など、物故者が登場するのは、この映画が7年の年月を費やして撮影されたからだ。

ナレーションや字幕など、説明するものが一切ないので、寺山修司とその周辺のアングラ文化について、およその知識がないと分かりづらい映画だ。本筋とはあまり関係ないかもしれないが、ゲイである森崎氏が恋人の「山ちゃん」なるスキンヘッドの大男(へんりっくさんは、デ〇専だったのね)とじゃれ合うシーンが、なかなかにいい味を出していた。あんな風に愛する人と一緒に年を取るって、ちょっといいよねと、帰り道にSさんとしみじみ話したことである。
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by bonnjour | 2009-10-30 03:31 | 聴く&観る
ボーイソプラノが歌うディドのラメント


前回は、死を前にしたアーチストが歌った鬼気迫る「ディドのラメント」(ヘンリー・パーセル作曲「ディドとエネアス」より)をご紹介したので、今度は心洗われるボーイソプラノによるバージョンを聴いてみよう。

ゲアハルト・シュミット=ガーデン率いるテルツ少年合唱団による上演で、80年代初めの収録と思われる。世界に名をとどろかせる少年合唱団だけに、音楽的レベルは非常に高いものの、出演者が少年ばかりなので良い意味で学芸会的な雰囲気が出ていて微笑ましい。

切々とラメントを歌うディドは、この合唱団でファースト・ソリストとして活躍したGregor Lütje君(1968年生まれ)で、現在はクラシックのアーチスト・マネジメント事務所を主宰しているという。このクリップのグレゴール君は声も姿も少年そのもので、とてもカルタゴの女王には見えないのだが、少年に女王の貫録を求めるのは筋違いだろう。

私は決して少年合唱団のファンではないのだが(チェンチッチがウィーン少年合唱団にいたことも知らなかったし)、同じテルツ少年合唱団によるオペラで、かなり前にTVで見て感心したのが、モーツアルトが11歳のときに作曲したラテン語の歌劇「アポロンとヒュアキントス」(K. 38)だ。アポロンに愛された美少年ヒュアキントスの神話が土台となっているが、そのままでは同性愛色が強くて(ギリシャ時代は少年愛が奨励されたからね)マズイということで、この歌劇ではお姫様役を新たに追加することで無理やり男女間のラブストーリーにしてしまっている。 



ここでお姫様役をやっているボーイソプラノ、Allan Bergius君(1972年生まれ)は1980年から7年間、テルツ少年合唱団に在籍して天才少年と騒がれた。子供がこんなに上手でいいのかと、あっけにとられるくらい見事な歌いぶりだ。しかもロココ風のドレスや髪型が、妙に似合っている。現在ではバイエルン国立歌劇場のソロ・チェリストとして活躍しているという。近影を見ると、あの女の子みたいな美少年は今いずこといった痩せ型のメガネのお兄さんなのだが、今でも趣味で歌ったりするのだろうか。
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by bonnjour | 2009-10-22 19:07 | 聴く&観る
クラウス・ノミのDeath(Dido's Lament)


2005年にドキュメンタリー映画が公開されてリバイバルした感のあるドイツ出身の歌手、クラウス・ノミ(1944~1983)が歌う、鬼気迫るディドのラメント(ヘンリー・パーセル作曲)。この曲が収められた彼の2枚目のアルバム「Simple Man」がリリースされたのは死の前年の1982年で、これが生前最後のアルバムとなってしまった。彼は、エイズの正体が分からず、同性愛者間に流行る奇病として受け止められていた時期にこの病気で亡くなり、エイズ死した著名人の走りとなった。

もちろん正統的なオペラ歌手の歌唱に慣れた耳には、音程やディクションなど、アレレな点も多々あるかもしれないが、歌手自身が、当時原因も治療法も分かっていなかった病で死を予感しながら録音したこの歌には、魂の叫びのようなものを感じる。とりわけ「Remember me」のリフレインは悲痛だ。

サラ・コノリー様やマレーナ・アーンマン様が歌う正統派のディドも素晴らしいのだが、たまにはこんな変わりダネも如何?
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by bonnjour | 2009-10-17 10:31 | 聴く&観る
わたしは蔑ろにされた妻
「Sposa son disprezzata(わたしは蔑ろにされた妻)」-おだやかならぬタイトルだが、ヴィヴァルディのオペラ「バヤゼット(Bajazet)」(1735年初演)にあるアリアだ。

スルタンのバヤゼットが治めていたオスマン帝国を征服して怖いものなしのタタールの皇帝タメルラーノは、許嫁(いいなずけ)のイレーネを捨ててバヤゼットの娘アステーリアと結婚しようともくろむ。コケにされたイレーネは憤慨して「わたしは蔑ろにされた妻」と嘆く。

ヴィヴァルディ作品といってもこのオペラは当時よく行われたパスティーシュ(寄せ集め)で、自身の作品(旧作の流用および新規に作曲したもの)と、同時代の作曲家、ジェミニアーノ・ジャコメッリ(1692~1740)、ヨハン・アドルフ・ハッセ(1699~1783)、リッカルド・ブロスキ(1698~1756)らのアリアを寄せ集めている。ストーリー中の善玉のアリアはヴィヴァルディ自身が書き、敵役の歌は他の作曲家の作品を流用するという具合で、肝心のこのアリアはジャコメッリのオペラ「メローペ(Merope)」から借用したもの。ただしオリジナルではカストラートの大スター、ファリネッリのために書かれた男性役のアリアだったものを、歌詞を一部手直しして女性役の歌にしている。

昔、レーザーディスクで出ていたチェチーリア・バルトリのドキュメンタリーで、彼女がピアノ伴奏で歌ったこの曲があまりに美しく悲痛で、怖れ多くもバルトリごっこ(注:「XX(有名歌手の名前)ごっこ」とは、お気に入りの歌手のレパートリーを、下手でもいいから自分で歌ってみる「ごっこ遊び」のこと。©成田屋さん)がしたくなった私は銀座の山野楽器に走り、リコルディ社版のこの楽譜を大枚はたいて買った。

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表紙にある通り、ヴィヴァルディのソプラノ・アリア集として出版されているが、その後の研究で、このアリアはジャコメッリ原作であることが知られるようになった。

前述のバルトリのドキュメンタリーの断片がYouTubeに投稿されており、このアリアが聴ける(下記クリップの3:27頃~。ピアノ伴奏:ジェルジ・フィッシャー)。冒頭には、彼女に最初に声楽の手ほどきをした実母(プロのオペラ歌手)とのレッスン・シーンも出てきて興味深い。なお、同じ曲は92年に出たバルトリの「Arie Antiche: Se tu m'ami」というイタリア古典歌曲集アルバムにも収録されている。



次はファビオ・ビオンディ指揮エウローパ・ガランテの演奏でヴィヴィカ・ジュノーが歌ったバージョン。「バヤゼット」の初の全曲録音だ(2005年5月リリース)。曲に合わせて楽譜が出てくるので、ヴィヴィカごっこ(?)をしたい方には最適。



【歌詞】
Sposa son disprezzata,
fida son oltraggiata,
cieli che feci mai?
E pur egl'è il mio cor,
il mio sposo, il mio amor,
la mia speranza.

L'amo ma egl'è infedel
spero ma egl'è crudel,
morir mi lascierai?
O Dio, manca il valor,
e la costanza.

【大意】
わたしは蔑ろにされた妻。
天よ、わたしが何をしたというの?
それでも彼はわたしの心、花婿、愛、そして希望。


楽譜だけならこちらでダウンロードが可能。ちなみにこの楽譜を提供しているスペイン語のサイト「el atril」には、珠玉の名作の楽譜が勢ぞろいしている。トップページから「partituras」(楽譜)をクリック。銀座までリコルディ版の楽譜を買いに走った90年代初めには、将来ネットでさまざまな楽譜が自宅に居ながらにして簡単に(しかもタダで!)入手できるようになるとは想像だにしなかった。

さて、今度はオリジナル。アポストロ・ゼノ(1669~1750)の台本に基づくジャコメッリのオペラ「メローペ」(1734年)より、女王メローペの息子で流刑にされていたエピティーデが歌うアリア「Sposa non mi conosci」(妻よ、わたしが分からぬか)。これはファリネッリの当たり役だったという。



Ensemble Artaserse
Philippe Jaroussky: countertenor
2009年6月17日、ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」で収録

【歌詞】
Sposa, non mi conosci.
Madre, tu non mascolti.
Cieli, che feci mai?
E pur sono il tuo cor.
Il tuo figlio, il tuo amor.
La tua speranza.

Sposa, Madre,
E pur sono il tuo cor.
Il tuo figlio, il tuo amor.
La tua speranza

Parla! ma sei infedel.
Credi...ma sei crudel.
Morir mi lascerai?
Mi lascerai morir?
Oh Dio! manca il valor
E la costanza.

【大意】
妻よ、わたしが分からぬか。
母よ、あなたはわたしの言葉を聞こうともしない。
天よ、わたしが何をしたというのか。
それでもわたしはあなたの心、息子、愛、そして希望。


冒頭の印象的な「Sposa」(花嫁)という言葉は、エピティーデによる許嫁への呼びかけとなっているが、これを引用したヴィヴァルディは歌い手の性別を逆転させ、「Sposa son disprezzata」ではイレーネが自分を指して(蔑ろにされた)妻、ということにしている。それにしても、内容や曲想がおあつらえ向きのアリアがよく転がっていたものだ。

ところで上のクリップでジャルスキーは「Il tuo figlio」(あなたの息子)の「figlio」の最後の母音「o」を、「o」とも「a」ともつかない微妙な発音で歌っていて(「figlia」なら娘になってしまうが、そうなると前にある男性形の「Il tuo」と性が一致しない)YouTubeのコメント欄で突っ込まれているが、もちろんこれは男役の歌だ。

この曲は、バルトリの新しいアルバム「Sacrificium」にも収録されているので(ただしデラックス盤のボーナスCDとして)、20年近く前に録音された彼女の「Sposa son disprezzata」と比べてみるのも面白い。このアルバムはカストラートのためのアリア集で、タイトルにある「Sacrificium」(生贄/犠牲)とは、美しい音楽の生贄となったカストラートたちと、その栄光の陰で払われた犠牲を表しているのだとか。



↓ 新アルバムのビジュアルで筋骨隆々の彫像になってしまったバルトリ。声変わりを防ぐために去勢されても成長ホルモンは普通に分泌される上、去勢によるテストステロンの欠乏で骨がいつまでも成長を続けるため、カストラートたちはむしろ一般の男性より巨大な体躯の持ち主だったという。見た目はたくましい男性の身体から発せられる女性の声という、カストラートのアンドロギュノス性になぞらえた扮装(というかCGで身体を合成してる?)だと思うが、ちょっとやりすぎかも。
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by bonnjour | 2009-10-05 05:47 | 聴く&観る
かっこいいアルト
YouTubeでアカウントを取得し、誰かのチャンネルを登録すると、新規投稿があったたびに通知が来る。こうした登録チャネルのひとつ、YouTube名MehdiCapsさん(フランス在住)が数日前に投稿した、この動画を発見。



動画リストの画面サムネイルをちらっと見たときは「ソプラノのヌリア・リアル?」と思ったのだが、よく見たら別人で、歌っているのはヘンデルの「ジュリオ・チェーザレ」のチェーザレのアリアだ。再生してみたら、 美しい容姿にはちょっと不釣り合いな感じさえする男性的なアルト声が飛び出した(若き日のマラドーナみたいな顔をした解説者がちょっと邪魔っぽいが)。コロラチューラのパッセージを軽々と歌う技術にも息をのむが、単なるテクニックの誇示にならず、チェーザレの不敵な英雄ぶりが伝わる堂々とした歌唱だ。長身で細身なので、舞台での男役も映えそうだ。カウンターテナー歌手にとっては手強いライバルかも。

彼女はデルフィーヌ・ガルー(Delphine Galou)という若手のフランス人アルト。エージェントのサイトにあったプロフィールによるとソルボンヌで哲学を学ぶと同時にピアノと声楽も勉強し、様々なコンクールに入賞。2004年にはフランスの若手芸術家育成支援団体ADAMIの新人賞を受けている。

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2007/08シーズンはウィーンでグルックのオルフェオ、フランスのカーンでジュリオ・チェーザレなどを歌い、2008/09シーズンはカールスルーエのヘンデル・フェスティバルでラダミストのゼノビア役、バーゼル・オペラでヴィヴァルディの「怒れるオルランド」のタイトルロールなどを歌っている。

そういわれてみると、カーンでやったジュリオ・チェーザレの公演を報じるニュースを、前にYouTubeで見たことがあった。あの時の凛々しいチェーザレが彼女だったかと、やっと気がついた次第。



↓ こちらがソプラノのヌリア・リアル。澄み切った声でバロック曲を中心に大活躍。ガルー嬢とリアル嬢、面差しは似ているものの(私がそう思うだけ?)、まったく違った声の二人がバロック・レパートリーの二重唱、たとえばヘンデルの「ロデリンダ」の「Io t'abbraccio」なんかを歌ってくれたらいいな、などと勝手に想像している。
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by bonnjour | 2009-10-01 18:34 | 聴く&観る
間違い探し? ヒンツの「珍品奇物の棚」
先週パリのジャックマール・アンドレ美術館で見たヨハン・ゲオルク・ヒンツ作、「キュリオシテ(珍品奇物)の棚」(ルーマニア、ブルケンタール国立博物館所蔵)という静物画について、メラノさん(ハンドルネーム)から興味深い情報をいただいた。兵庫県立美術館で開催中(8/26~11/3)の「だまし絵」展に、同じ画家によるそっくりの作品が出展されていたとのこと。下の写真の2番目にある、チェコのリフノフ城にあるコレクションが兵庫の展覧会に出品された作品だ。

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ヨハン・ゲオルク・ヒンツ作、キュリオシテ(珍品奇物)の棚(1666年)
シビウ(ルーマニア)、ブルケンタール国立博物館所蔵


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ヨハン・ゲオルク・ヒンツ作、キュリオシテ(珍品奇物)の棚(1666年)
リフノフ城(チェコ)、コロヴラット・コレクション


たしかに「間違い探しゲームか?」と思うほど似ている。まったく同じ構図で複数の作品が制作されたのだろう。この絵画が描かれた17世紀における騙し絵の人気と、珊瑚や真珠、貝殻といったエキゾチックで珍奇なものに対する人々の興味・関心をしのばせる。絵に描かれた珊瑚や真珠などの宝飾品類や宝石箱は「虚栄」の象徴だが、さらに目をこらせば、この棚にはミニチュアの頭蓋骨や時計といった「人生のはかなさと死」を象徴する図像も描き込まれ、全体で「Vanitas(現世の虚しさ)」の寓意画になっている。

Vanitasは16~17世紀にオランダを中心とした地域で非常に好まれた絵画のテーマだが、肉筆の絵画が購入できる豪奢な生活を送りながら、敢えて現世の虚しさを戒める絵画を飾っていた倒錯が面白い。

さらにバリエーションを、この画家が活躍したハンブルクの美術館に発見!

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ヨハン・ゲオルク・ヒンツ作、キュリオシテ(珍品奇物)の棚(1666年)
ドイツ、ハンブルク美術館所蔵


ブルケンタール国立博物館のサイトに掲載された所蔵品の解説を見てみたら、この絵のバリエーションはほかにもベルリンとポツダムに所蔵されているそうだ。
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by bonnjour | 2009-09-29 20:31 | 聴く&観る
甘い炎~忘れ去られたカストラート・アリア集
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カウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーがこの秋、「La dolce Fiamma - Forgotten Castrato Arias(甘い炎~忘れ去られたカストラート・アリア集)」と題した新譜をリリースする。ヨハン・セバスチャン・バッハの末息子で「ロンドンのバッハ」の別名を持つヨハン・クリスチャン・バッハ(1735 – 1782)の、今では演奏されることのなくなってしまった作品に光を当てたオペラ・アリア集だ。

18世紀の伝説的カストラートに捧げた「カレスティーニ~あるカストラートの物語」(2007年11月リリース)に続く、ジャルスキーによる知られざるカストラート・レパートリーのアルバム第2弾といったところだが、今回組んだのはジェレミー・ロレール指揮のル・セルクル・ドゥラルモニー。ロレールは1973年パリ生まれの若手指揮者で、この30代コンビがバロックから古典派の過渡期に作曲された知られざる名曲をどう料理しているのか、今から楽しみだ。

【収録予定曲】

J.C.バッハ:
・歌劇『スキピオの慈悲』より アリア「Pugna il guerrie」
・歌劇『カラッターコ』よりレチタティーヴォ「Perfida Cartismandua」とアリア「Tra l'orro」
・歌劇『シリアのアドリアーノ』よりアリア「Cara la dolce fiamma」
・歌劇『テミストクレス』よりアリア「Ch'io parta?」

グルック:
・歌劇『オルフェオ』よりアリア「La legge accetto」(J.C.バッハがグルックに曲を献呈)
・歌劇『アルタセルセ』よりレチタティーヴォ、他(曲順未定)

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ヨハン・クリスチャン・バッハ(上の肖像)は大バッハが50歳のときにドイツのライプツィヒで生まれ、14歳で父バッハを亡くしたあと、親子ほど年の離れた異母兄のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハに引き取られ音楽教育を継続するが、その後オペラを志してイタリアに留学し、最終的にはロンドンに定住して名声を得たコスモポリタンな作曲家だ。バッハ一族で唯一、オペラを手掛けたことや、バッハ家が深く信仰していたルター派からカトリックに改宗してしまったところなど、一族の異端児といえるかもしれない。ロンドンでは少年時代のモーツアルトと親交があり、この天才少年に影響を与えている。

今回のディスクではヨハン・クリスチャンが作曲したオペラから、カストラートのために書かれたアリアが集められている。その多くは世界新録音だという。また、併せて収録されたグルック(1714 – 1787)の「アルタセルセ」は、有名な「オルフェオとエウリディーチェ」(初版であるカストラートを起用した「ウィーン版」の初演が1762年)に20年ほど先立つ1741年に初演された彼のオペラ・デビュー作だ。

この時代の音楽に光を当てた理由については、ジャルスキーが昨年の8月にラジオ・プラハのインタビューで次のように語っており、今回のディスクの件にも触れている。
(中略)... それとは別に、バロック音楽とモーツアルトに挟まれて忘れ去られた感のある時代の音楽にも光を当てていきたいと思います。この時代には、トラエッタ(Traetta)、ヨメッリ(Jomelli)、ヨハン・クリスチャン・バッハ(Johann Christian Bach)といった、ギャラント・スタイルの優れたオペラ・セリア作曲家が沢山いました。ヨハン・クリスチャン・バッハの手によるオペラ・セリアのディスクを作る計画があります。彼はメタスタジオ(Metastasio)が書いた台本に基づいて、様々なオペラ(アルタセルセ、インドのアレクサンダー大王、ウティカのカトーネ、等)を作曲しています。

こうした作品は非常に美しく、作曲家自身も音楽史においてパイジェロと同じくらいの重要性を持っています。にもかかわらず、彼らの作品は大げさだといわれ、今ではあまり演奏されなくなってしまいました。しかし非常に力強い作品があります。これらはドラマチックなオペラとしての可能性を秘めています。若き日のグルックの作品を取り上げたチェチーリア・バルトリの素晴らしいディスク(訳注:「あの澄んだ流れ~グルック:イタリア・アリア集」)で、僕はこの時代を発見しました。チェチーリアのディスクを聴けば、グルックの才能は「オルフェオ」の登場を待たずに開花していたことが分かります。彼の作品の一部は忘れ去られていますが、その音楽は新鮮なインスピレーションにあふれ、力強く、オーケストレーションはバロックを超えてモーツアルトの先駆けとなっています。... (後略)


また、ドイツのクラシック音楽情報サイトKlassik Newsにディスクの紹介記事が載っていたのでご紹介する(拙訳)。
ジャルスキーによるヨハン・クリスチャン・バッハ

バッハといえばどうしてもヨハン・セバスチャンが思い浮かぶが、それだけがバッハではない。ライプツィヒ聖トーマス教会の音楽監督(訳注:J.S.バッハのこと)亡きあと、バッハ家の流れを担ったのは才能豊かな息子たちだ。その中で一番年少だったヨハン・クリスチャン(1735-1782)は、イタリア、ドイツ、ロンドンでキャリアを築いた。カウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーはすでに、カストラートのカレスティーニのために書かれたアリアで、ほとんど忘れ去られたレパートリーを発掘するという途方もない楽しみを教えてくれた。そして今回はジェレミー・ロレール指揮のル・セルクル・ドゥラルモニーとともに、不当にもこれまで顧みられることのなかったヨハン・クリスチャン・バッハのオペラ作品に取り組んだ。

"La Dolce Fiamma" - 甘い炎、と題されたこのディスクで、ヨハン・クリスチャン・バッハはおそらく録音史上初めて、真のスター作曲家としての扱いを受けることになった。彼は全生涯を通してスターだった。テムズ川に遊んだ幼き日のモーツアルトでさえ、ヘンデルの死後イギリスのスター作曲家の座を引き継いだこの「ロンドンのバッハ(小川)」を詣でているのだ。ヨハン・クリスチャンのオペラ作品は当時の流儀に従って神話上の人物を中心に据えているが、音楽的には声楽およびオーケストラの扱いで、まったく新しい地平を開拓している。

彼のアリアを聴いたなら、その技法とドラマ性から、今まで埋もれていたモーツアルトの作品だと思うかもしれない。この新しいプロジェクトについて、ジャルスキーは「今まで忘れ去られていた作品に光を当て、その解釈者になるという役割が好きなんです」と語る。ヨハン・クリスチャン・バッハの時代がとうとうやってきた。
嬉しいことにヨーロッパでのリリース(11月13日)に先行し、日本では「来日記念盤」として10月21日に発売が予定されている。国内盤発売の詳細はこちらを参照。
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by bonnjour | 2009-08-29 05:02 | 聴く&観る
ナクソス・ミュージック・ライブラリーにNaïveレーベルが加わっていた
通信状態がいまひとつ不安定なので、うっかりすると1週間くらいご無沙汰しているナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)(これではモトが取れないね)に、7月24日からNaïveとその傘下のレーベル(「Ambroisie」「Auvidis」「Opus 111」)が加わった。朗報だ。

本日現在ではNaïveで20タイトル、Ambroisieが14タイトル、Auvidisが20タイトル、Opus 111が20タイトルとまだまだ数が少なくて、Opus 111でスタートしてNaïveに引き継がれた名物プロジェクト「Vivaldi Edition」のNaïve移行後のタイトルは含まれていないが、これから順次追加されていくと嬉しい。

Vivaldi EditionはフランスのフォトグラファーDenis Rouvreによる美麗写真のジャケット(下記が実例。今年1月に発売されたオペラ「La Fida Ninfa」)でパッケージ購入の意欲を大いに誘っているが、ちょっと聴いてみたいと思ったタイトルが今後NMLで気軽に聴けるのならありがたい。

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というわけで、さっそくNMLでOpus 111レーベルからサラ・ミンガルドの歌うヴィヴァルディ/ヘンデル:声楽作品集(リナルド・アレッサンドリーニ指揮コンチェルト・イタリアーノ)を聴いている。いつ聴いてもシビレる低音だ。
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by bonnjour | 2009-07-26 23:07 | 聴く&観る
BBC Promsでのヘンデル「パルテノーペ」
ロンドンで恒例のコンサート・シリーズBBC Promsが始まった(7月17日~9月12日)。その一環で7月19日の晩にロイヤル・アルバート・ホールでヘンデルのオペラ「Partenope(パルテノーペ)」がセミ・ステージ方式で上演され、BBCラジオがライブ中継した。

これは昨年、コペンハーゲンの王立劇場で新演出上演されたプロダクションをセミ・ステージで再演したものだ。ヘンデル没後250年の記念の年にふさわしく、今年のBBC Promsではこの作品のほか、サムソン(Prom 47)メサイア(Prom 68)など、計7つのコンサートでヘンデル作品が演奏される。

実は昨年の10月11日にコペンハーゲンでこの舞台を見たのだが、折りしもたちの悪い風邪が流行っており、ストーリー上重要な役割を担うロズミーラ役のメゾソプラノ、トゥーヴァ・セミニセンが当日、風邪でダウン。彼女は演技だけ行い、代役のTrine Bastrup Mollerがオーケストラ・ピットで歌う(それはそれで見事な歌唱だった)、という変則的上演だった。また、このプロダクションの呼び物のアンドレアス・ショルも少し前から風邪をひいており、いつもの輝きがない残念な出来に。悪いことは重なるもので、この日の上演はデンマークのラジオ局でライブ中継されたのだが、機材のトラブルによって第2幕の途中で放送が中断されるという信じられない一幕もあった。

というわけで、昨年の残念な気持ちを挽回すべく、今回のラジオ放送を聴いた。素晴らしい。ショルは絶好調で、技巧的な第2幕終盤のアリア「Furibondo spira il vento」では大喝采を浴びた。タイトルロールのパルテノーペを歌ったインガ・ダム=イェンセンは安定した歌唱で女王役の威厳たっぷりだし、ストーリーを動かすロズミーラ役のトゥーヴァ・セミニセンも微妙な心の動きを表現して秀逸だ。あと、個人的には今年30歳のフランス人カウンターテナー、クリストフ・デュモーが一番の注目株。また、ラルス・エリック・モルテンセン指揮のコンチェルト・コペンハーゲンが絶妙なアンサンブルを聴かせた。ロンドンに住んでいる人が、つくづくうらやましくなった。

さっそくデイリー・テレグラフ(電子版)にコンサート評が載っていたが、「ヘンデルのコミック・オペラに込められたイマジネーションと劇的真実に満ち満ちた数々のアリアを堪能」と、星5つを付けて絶賛している。

この放送は上演日の19日から1週間はWeb上で再聴が可能だ。ストーリーはこちらの過去記事をご参照。

【キャスト】
Partenope ...... Inger Dam-Jensen (soprano)
Rosmira ...... Tuva Semmingsen (mezzo-soprano)
Arsace ...... Andreas Scholl (countertenor)
Armindo ...... Christophe Dumax (countertenor)
Emilio ...... Bo Kristian Jensen (tenor)
Ormonte ...... Palle Knudsen (bass)

Concerto Copenhagen
Lars Ulrik Mortensen (conductor)


昨年のコペンハーゲンの舞台から。↓ 自分を裏切ったプレイボーイのアルサーチェ(CT:アンドレアス・ショル)に、男装して身元を偽り接近するロズミーラ(MS:トゥーヴァ・セミニセン)。
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↓ 宴のシーン。左からロズミーラ、アルサーチェ、パルテノーペ(S:インガ・ダム=イェンセン)。ご覧のように大変スタイリッシュな舞台で、今回のセミ・ステージ方式は視覚的には残念だが(といっても私はラジオで聴いたのだから関係ないが)、ともあれ演奏が絶好調だったのは何よりだ。なお、昨年のコペンハーゲンの舞台を収録したDVDが9月にデッカからリリースされるそうだ。
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by bonnjour | 2009-07-20 01:23 | 聴く&観る