B的日常
bonnjour.exblog.jp

ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
ブログパーツ
プロフィール
美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
最新のトラックバック
Wheelock's L..
from えいじゅなすの本棚 − 英語..
ミケランジェリ/ショパン..
from クラシック音楽ぶった斬り
フィリップ・ジャルスキー..
from ご~けんのAudio & C..
NAXOS MUSIC ..
from Ceciliaの部屋
カテゴリ
以前の記事
その他のジャンル
<   2009年 02月 ( 13 )   > この月の画像一覧
阿片の夢想


カミーユ・サン=サーンス作、Tournoiement - 'Songe d'opium' (渦巻き「阿片の夢想」)
Op.26-6 「ペルシャの歌」(1870)より

演奏: フィリップ・ジャルスキー (カウンターテナー)
     ジェローム・デュクロ (ピアノ)

「オピウム(阿片)~フランス歌曲集」(3月25日発売)より。アルバムの公式サイト(英/仏/独)はこちら

フランスの詩人、アルマン・ルノー(Armand Renaud、1836-1895)の詩による歌詞は、阿片の吸引がもたらす幻覚を描いている。「Je tourne, je tourne, je tourne」(グルグル回る、回る、回る....)というリフレインが印象的だ。シャルル・ボードレールやジャン・コクトーなど、阿片に溺れた芸術家は少なくないが、19世紀のヨーロッパでは家庭用鎮痛剤としてのアヘンチンキが普及し、大人が服用するばかりか、夜泣きする赤ん坊をおとなしくさせるために飲ませたという。恐ろしい!(現在でも米国など、処方箋があればアヘンチンキを購入できる国があるが、日本では法律で製造、輸入、譲渡等が厳しく規制されている)。

↓ 「ミセス・ウィンスローの鎮静シロップ」のポスター。「乳歯が生え始めの赤ちゃん用」とあるが、こんな麻薬を赤ん坊の頃から与えられたら、たまったものじゃない。
c0163963_11503022.jpg


【歌詞】

Sans que nulle part je séjourne,
Sur la pointe du gros orteil,
Je tourne, je tourne, je tourne,
A la feuille morte pareil.
Comme à l'instant où l'on trépasse,
La terre, l'océan, l'espace,
Devant mes yeux troublés tout passe,
Jetant une même lueur.
Et ce mouvement circulaire,
Toujours, toujours je l'accélère,
Sans plaisir comme sans colère,
Frissonnant malgré ma sueur.

Dans les antres où l'eau s'enfourne,
Sur les inaccessibles rocs,
Je tourne, je tourne, je tourne,
Sans le moindre souci des chocs.
Dans les forêts, sur les rivages;
A travers les bêtes sauvages
Et leurs émules en ravages,
Les soldats qui vont sabre au poing,
Au milieu des marchés d'esclaves,
Au bord des volcans pleins de laves,
Chez les Mogols et chez les Slaves,
De tourner je ne cesse point.

Soumis aux lois que rien n'ajourne,
Aux lois que suit l'astre en son vol,
Je tourne, je tourne, je tourne,
Mes pieds ne touchent plus le sol.
Je monte au firmament nocturne,
Devant la lune taciturne,
Devant Jupiter et Saturne
Je passe avec un sifflement,
Et je franchis le Capricorne,
Et je m'abîme au gouffre morne
De la nuit complète et sans borne
Où je tourne éternellement.

---Armand Renaud (1836-1895)
[PR]
by bonnjour | 2009-02-28 10:51 | 聴く&観る
灰の水曜日
今日はキリスト教の四旬節の初日である「灰の水曜日」。四旬節とは復活祭の前の40日間(プラス、祝日扱いの日曜日が6回入るので実際には46日になる)で、悔い改めの期間とされる。カトリック信者は「灰の水曜日」と、復活祭直前の「聖金曜日」に大斎(1日3食のうち2食は少ない量に抑える)および小斎(肉食を断つ)を守ることになっている。というわけで普段は不信心の罰当たり教徒である我々も、今日は食事制限を守ることにした。といっても相棒は勤務先のカフェテリアで、うっかりローストチキンを食べてしまったという。ここはプロテスタント国なので、肉断ちの習慣はないのだ。

灰の水曜日には、教会の典礼の最中に信者の額に灰を十字の形に塗りつける儀式が行われる。これは、灰を頭の上にふりかけることで神の前での悔い改めを示した古代の中近東の習慣が起源だそうだ。この灰の原料は、前年の「枝の主日」に使われたシュロやナツメヤシ(こうした熱帯性の植物が育たない北方地域ではネコヤナギなどの常緑樹)である。イエス・キリストのエルサレム入城を記念する「枝の主日」では、祝別された枝が各家庭に持ち帰られ、翌年の灰の水曜日まで保管されるが、こうした枝が保管を兼ねて壁に飾られるさまは、「神社のお札」を彷彿とさせる。ついでに言えば、前年の枝を燃やすのは、日本で神社のお札やお守りを燃やす「お焚き上げ」に似ているかも。宗教儀式の形式は、洋の東西を問わず似通っているのだろう。

↓ こんな風にして枝を保管する。
c0163963_2225015.jpg


灰の水曜日は英語で「Ash Wednesday」だが、そういうタイトルの映画があった。エリザベス・テイラーとヘンリー・フォンダというアメリカ映画界を代表するスターが共演した1973年の作品である。英語タイトルをそのまま邦題にすると日本では馴染みがないからだろう、「別離」という、ありがちなタイトルで封切られた。

c0163963_22365721.jpg


テイラーが容色の衰えつつある中年女性、フォンダがその夫を演じる「倦怠期の夫婦の危機」もののストーリーで、妻は夫の愛を取り戻すためにイタリアの金持ち相手のクリニックで、最新鋭の全身美容手術を受ける。その甲斐あって妻は驚異的に若返るが、夫とは結局心がすれ違ったまま。その心の隙間に忍び込んでくるのが、ヘルムート・バーガー演じる若い美男のスキー教師(実はジゴロ)である。結局、夫の気持ちは取り戻せず、彼女は空しい心を抱いたまま、列車で去っていく夫を見送るのであった、というお話。当時41歳だったテイラーの熟れきった美しさが売り物の映画だったが、私としては、軽佻浮薄なジゴロ役のヘルムート様の退廃的な美貌に釘付けになった。しかし、こんな損な役、よく引き受けたものだ。ヴィスコンティ作品以外での彼は、本当に、もう、悲しくなるほどトホホな役ばかり。

↓ 美貌だった頃のヘルムート様。
c0163963_2318948.jpg


[PR]
by bonnjour | 2009-02-25 21:38 | 暮らす
「肥った火曜日」にはクレープを
今日はキリスト教の謝肉祭(カーニヴァル)の最終日である「マルディ・グラ(Mardi gras)」。フランス語で「肥った火曜日」という意味だが、同じ祝日が英語では「Shrove Tuesday」(懺悔の火曜日)と、ぐっと信心深い名前になる。なぜ「肥った火曜日」かというと、復活祭(イースター)に備えた悔い改めの期間である「四旬節」の開始を翌日に控え、これが最後のチャンスとばかり乱痴気騒ぎをしつつ脂ギッシュな物をたらふく食べる日だからだ。もっとも、昔は四旬節期間中には肉食を断って精進したが、現在のカトリック教会法では信者は明日の「灰の水曜日」と、復活祭の直前の「聖金曜日」にだけ肉断ち(小斎)および食事量の制限(大斎)を行えばよいことになっている。

さて、フランスではマルディ・グラにクレープを食べる習慣がある。これは本来、肉と同等とみなされ四旬節期間中には口にすることができなかった卵を、この日に在庫一掃する目的があったようだ。

というわけで今晩のおかずはハムとチーズを入れた、甘くないクレープにした。出来上がりの見栄えがよろしくないのは、クレープに最適なテフロン加工のフライパンがなくて、日本から持ってきた卵焼き器を使ったせいもある。だから、長方形のクレープができた。まあ、口に入れば一緒だし、というのは作成者の言い訳。

c0163963_6103238.jpg


実は今住んでいるデンマークは福音ルーテル派を国教とするプロテスタント国なので、前に住んでいたドイツのライン川沿岸(カトリック地帯)のようなカーニヴァルの風習はない。四季に加えて「5番目の季節」と呼ばれる独特の熱気を帯びたお祭りに便乗できないのが、残念だ。(パレードの山車から沿道の観客に向かって降り注ぐ、大量のお菓子をキャッチする楽しみもないしねェ...。)

↓ ドイツ、ケルンのカーニヴァル風景。2005年2月撮影。

c0163963_6181780.jpg

c0163963_6302183.jpg


[PR]
by bonnjour | 2009-02-24 00:16 | 暮らす
マーラーの「大地の歌」 -あれは何だったんだろうねェ?
前回に引き続きマーラーの声楽曲に関する話題。80年代半ばのバブル経済華やかなりし頃に、サントリーがマーラーの「大地の歌」(第3楽章「青春について」)を使ったテレビCMを制作した。下記のYouTubeクリップの0:58~1:58が該当のCMだ。



【ナレーション】
このところ、マーラーの曲を聞くことが多い。時代がどんどん乾いていくからだろうか。東洋人にも分かりやすい音楽だなあと思う。「やがて私の時代が来る」と予言し、人間を追い続けたマーラーに、20世紀がうなずき始めたようだ。

ウイスキーに重なる音楽。サントリー ローヤル。


これがビールのCMで、マーラーの生地であるボヘミア産のホップを使ったのがセールスポイントだったりしたらまだわかるのだが、日本産ウイスキーとマーラーは何の関係もないわけで、彼の音楽を起用した理由はよくわからない。ともあれ美しい水墨画のアニメーションと、テノールが躍動感たっぷりに歌う東洋的な音楽の組み合わせは印象的で、これを機に、「にわか」マーラー・ブームが起こったと記憶している。私ものせられて「大地の歌」のディスクを買ってしまったクチだ。

今となっては、あのにわかブームは何だったんだろうと思うが、テレビCMで彼の音楽が多くの人の耳をかすめ、中には興味をひかれてCMで使われた曲のディスクを買い(私がいい例)、それが契機でマーラーの別の作品も聴くようになった人も多いだろうから、あのCMが彼の音楽を普及させた貢献は大きいだろう。

ところで「大地の歌」は李白や王維などの唐詩に基づいていると聞いたので、サントリーのCMが流れた当時、「青春について(Von der Jugend)」の原作を探そうと図書館で本を引っくり返したが、分からなかった。それもそのはずで、マーラーが歌詞として採用したのは、中国語を解さないドイツの詩人ハンス・ベートゲが、別の作家によって翻訳されたドイツ語およびフランス語のテキストに基づいて自由に創作したドイツ語の詩だった。

一説によると「青春について」の原作は、李白の「宴陶家亭子(陶家の亭子に宴す)」という作品だという。

宴陶家亭子

曲巷幽人宅 
高門大士家 
池開照膽鏡 
林吐破顔花
緑水蔵春日 
青軒秘晩霞 
若聞弦管妙 
金谷不能誇

これに対してドイツ語の歌詞の冒頭は

Mitten in dem kleinen Teiche
Steht ein Pavillon aus grünem
Und aus weißem Porzellan.
(小さな池の中ほどに、緑と白の陶器でできたあずまやが建っている)

であるが、「陶器でできたあずまや」という、東洋人にとってはシュールなイメージ(陶器で家を建てるなんて、そんな無茶な!)は、「宴陶家亭子」というタイトルにある「陶さんの家」の誤訳である、というのが、「宴陶家亭子」原作説のポイントである。

うーん、これが原作なら、歌詞のほとんどすべてが自由な「創作」だといえるだろう。
[PR]
by bonnjour | 2009-02-22 03:44 | 聴く&観る
マーラーのリュッケルト歌曲集から「私はこの世に忘れられて」
グスタフ・マーラーのリュッケルト歌曲集から「Ich bin der Welt abhanden gekommen」(私はこの世に忘れられて)。ドイツの詩人フリードリヒ・リュッケルト(1788-1866)の厭世的な詩に基づいた、メランコリックな中にも独特の安らぎと美しさをたたえた曲だ。同じマーラーの交響曲5番4楽章(アダージェット)と曲想が似ていると思ったら、同時期に作曲されており、関連性が指摘されているという。

私は、ジャネット・ベイカーが1969年に録音したもの(ジョン・バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)をiPodに入れている。仕事をしながら聴くには、同じ声楽作品でも血沸き肉おどるヴィヴァルディのオペラより、この曲のようないわばダウナー系の作品のほうが気が散らなくて好都合なんて言ったら、泉下のマーラー先生はお怒りになるか。

Ich bin der Welt abhanden gekommen

Ich bin der Welt abhanden gekommen,
Mit der ich sonst viele Zeit verdorben,
Sie hat so lange nichts von mir vernommen,
Sie mag wohl glauben, ich sei gestorben!

Es ist mir auch gar nichts daran gelegen,
Ob sie mich für gestorben hält,
Ich kann auch gar nichts sagen dagegen,
Denn wirklich bin ich gestorben der Welt.

Ich bin gestorben dem Weltgetümmel,
Und ruh' in einem stillen Gebiet!
Ich leb' allein in meinem Himmel,
In meinem Lieben, in meinem Lied!

-- Friedrich Rückert (1788 - 1866)

【大意】
私はこの世に忘れられた。
世間が私のことを死んだと思っていても、自分にとってはどうでもよいことだ。
私はこの世の喧騒から去り、静かな場所で安らぐ。
ひとりで私の天国、私の愛、私の歌に生きる。

パブリックドメインの楽譜はこちらでダウンロード可能

YouTubeではカスリーン・フェリアー&ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィルの名演奏(1952年録音)も聴ける。



この歌は1988年制作のベルギー映画「Le Maître de musique」(邦題:仮面の中のアリア)でも効果的に使われていた。表舞台からの引退を表明した往年の名歌手が、若い男女の弟子に自分の芸のすべてを伝授して死んでいくというストーリー。バス・バリトンのジョゼ・ヴァン・ダム(私、ファンです)が演じる主人公のなきがらが運ばれていくラストシーンに、この歌が流れる。余談だけど、この映画でのヴァン・ダムの演技は絶品。


[PR]
by bonnjour | 2009-02-20 11:47 | 聴く&観る
へべれけ VS ほろ酔い記者会見
ローマで行われたG7の後、「もうろう状態」で記者会見に臨んだ中川財務・金融相が、醜態をさらした責任を取って辞任したというニュース。YouTubeでその時の録画 ↓ を見てみたけれど、確かに「へべれけー♪」という状態だ。最初は風邪薬の影響だと弁明していたが、これはどうみてもアルコールでしょう。



さて、こちら ↓ はフランス国の元首であるニコラ・サルコジ大統領が2007年6月のハイリゲンダム(ドイツ)サミットで行った記者会見の模様(ベルギーのTV局が放映)。会見場に遅刻して登場したサルコジは、中川・前財務・金融相ほどではないけれど、「ほろ酔い」と「へべれけ」の中間くらいの状態だ。直前にプーチン大統領(当時)と会食をして、ちょと飲みすぎたようだ(確かにプーチン様の盃を断るのは勇気がいりそう...)。キャスターも「サルコジ氏が会食で飲んだのは、水以上のものだったようです」とコメントしている。



解せないのは、この会見冒頭の挙動不審シーンがフランスのTVでは放映されなかったこと。メディア界に人脈を築いてにらみをきかせているサルコ(通称)のことだから、何らかの「配慮」ないし「圧力」が働いたのだろうか?ともあれフランス国内では、この「ほろ酔い会見」はお咎めがなかったようだ。
[PR]
by bonnjour | 2009-02-18 20:12 | 暮らす
いまどき市場原理主義? フランスの大学改革
何かにつけて米国型の市場原理主義をフランスに導入しようとしているニコラ・サルコジ仏大統領(2007年5月就任)だが、大学もその照準に入っており、高等教育・研究大臣のヴァレリー・ペクレス女史が統率する大学改革が進行中だ。学長の権限の強化(つまり学長が独裁者になりうるということ)、教育研究における競争原理の導入、財界への接近といった、この改革の理念や内容が、大学の現場にいる教員・研究者にとっては「トンデモ」ということで、2月5日には改革に反対するスト&デモがフランス各地で繰り広げられた。外地にいる相棒はストの当事者ではないが、この改革は研究者としての今後のキャリアや人生に大きな影響を及ぼすわけで、立派な利害関係者である。

改革の背景にあるのはフランスの大学の国際的競争力の低下と人材流出、大学をドロップアウトする学生の多さ、大学教育が産業界のニーズに合致せず大量の大学新卒失業者を生み出している現状、そしてエリート養成機関であるグランゼコールと大衆的な高等教育機関である大学との格差、といった問題だ。グランゼコールは高級官僚や政治家、企業幹部などを養成するフランス特有の高等専門教育機関で、厳しい選抜試験をくぐり抜けた少数の学生に徹底的なエリート教育を施す。一方、大学の場合は入学資格試験であるバカロレアを取得すればほぼ無条件にどの大学にも入学できるため、我も我もと大学に登録する。その結果、大学には収容能力を超える数の学生が押し寄せ、教育環境が劣悪になっていると同時に毎年、大量の落伍者が出ている。また大学を卒業しても職がない(これに対し、グランゼコール出身者は引く手あまたの幹部候補生として就職に苦労しない)。そこで大衆教育の場である大学の質を高め、グランゼコールに代表されるエリート教育との大きすぎる格差を是正しようというわけだ。

こうした問題を抜本的に解決しようという動きそのものは良いのだが、その手段として「学問の自由」という理念とは相容れない市場原理主義を導入しようとしたのが現場からの総スカンを食らっている理由だ。そもそも、米国のサブプライム問題に端を発する金融危機で市場原理主義のほころびが見えてきた今、そんなものをイマドキ導入するなんて時代遅れじゃないかという見方もある。

以下は、今回の改革に反対する大学関係者たちが出した「国際アピール」だ。オリジナルのフランス語のみならず、日本語を含む16の言語に翻訳されている。この国際アピールのWebサイトはこちら。

【国際アピール】

フランスの大学は無期限のストライキに入った。

フランスは、独立と自由と敬意を享受する、高等教育および優れた研究の公共サービスを有していた。政府は、ここほんの数ヶ月で、暴力的に、しかもなんの合議もなく、この公共サービスを破壊し、不安定性と恣意性が支配する一種の知識マーケットに変質させることを決定した。

- (教育と研究を担当する)教員は安定な身分を失い、授業時間数は(学長の一存で)どうにでもなり得る様になる。
- 独立性をもたず不安定な非常勤教員と入れ替えるために、常勤教員のポストは劇的に減らされようとしている。
- 博士候補生に対し、大学は、最初の6ヶ月については、何の理由もなくその身分を奪う事が出来る様になる。しかもまた、当人には何の了承も得ず、そして何の権利も持たせず、企業の為に奉仕させられる事になろうとしている。
- 初等・中等教育教員を養成するシステムは破壊されている。
- (何よりも競争にさらされ、国家の強化された支配下で)「自主独立化」し、充分な予算を持たない大学は、まもなく授業料を徴収せざるを得なくなり、また地元財界に服従せざるを得なくなる事は、想像に難くない。
- フランス国立科学研究センター(CNRS)は廃止され、テクノクラート(高級管理職技術者) による予算配分機関に変えられている
- 研究者は、すべての学会から拒絶された不適切で馬鹿げている「定量的」な基準にもとづいて評価される。

我々、全ての国の大学関係者および研究者は、ここに、世界各地でおしつけられてきた(そして今日もおしつけられようとしている)官僚主義的で金銭至上主義的で危険な方策を見いだす。

以上の理由から、我々は、フランスの大学関係者と連帯する。『百科全書』、ボルテールやルソー、更に「人権宣言」を生んだ国において、教育と研究が一種の商売に貶められ、諸々の権力の恣意に左右されることになるとすれば、そこで脅かされるのは全世界の自由である。

是等の新たな状況を強いる諸々の圧力が、一気に押し寄せて来ている。我々の存在価値を守る為には、我々はこれまで以上に、そしてこれら諸勢力以上に団結しなければならない。それゆえ、我々は、大学関係者たちに対して、この様に広められつつある、如何なる時代の人文主義的知識人も、誰一人として味方しなかったこの偏流に直面する今日、政治的、哲学的、あるいは宗教的な立場の違いを越えて団結することを訴える。
#     #     #     #


さて、この国際アピールのWebサイトでも紹介されているのだが、フランスの研究とイノベーションに関するサルコジ大統領のスピーチ(2009年1月22日)の「嘘」をあばく傑作なビデオが英語字幕付きでYouTubeにアップされているのでご紹介する。事実誤認、歪曲、強弁のオンパレードには苦笑してしまう。オリジナルの仏語版は2月4日に投稿され、すでに27万回以上再生されている。


[PR]
by bonnjour | 2009-02-16 11:14 | 思う
ナクソスMLで懐かしのあの人と...
なんだか突然ショパンが聴きたくなってナクソス・ミュージック・ライブラリーにアクセス。こういう時、本当に便利なサービスだ。久しぶりに「24の前奏曲」でも聴いてみようかと思って検索すると、懐かしのピアニストの名前を見つけた。

デジュー・ラーンキ(Dezső Ránki)。ハンガリー人なので、本来は姓・名の順にラーンキ・デジューと呼ぶのが正式なのだが。
c0163963_91112.gif



ショパン:前奏曲全集 (ピアノ演奏:デジュー・ラーンキ、Hungarotonレーベル) NMLのリンクはこちら

私が高校生の頃、この方はハンガリーが生んだ期待の若手ピアニストとして、同世代で同郷のアンドラーシュ・シフおよびゾルターン・コチシュとともに「ハンガリーの三羽烏」とかいうキャッチフレーズで日本で大々的に売り出された。私も、その「セット販売」の策略にまんまと乗ってしまった一人である。

抒情的な演奏が持ち味のラーンキ、ハンガリー人ピアニストのお家芸みたいなリストを嫌ってバッハに傾倒しているシフ、いかにも鬼才という雰囲気が漂うコチシュと、個性は三人三様だったので、今から思うと3人をまとめてプロモーションするのは無理があったと思う。あれは、当時社会主義国だったハンガリーが、自国の優れた音楽教育の成果を喧伝する意図があったのか、日本のプロモーターの商魂だったのか? ともあれ当時高校生だった私は、3人のうち誰かが来日するとなるといち早くチケットを買い、定期試験の最中であろうが会場が片道2時間かかろうが、万難を排してコンサートにかけつけたものだ。

なかでもラーンキは、その王子様的風貌から若い女性ファンに騒がれ、花束を抱えた「追っかけ少女」が登場したことで有名になった。恥ずかしながら私も「音楽の友」から切り抜いた写真を密かにコレクションしていたし、サイン会にも並んだ。間近に見たラーンキは、貴公子然とした物腰の、超ハンサム青年だった。これで女性ファンに騒ぐなというほうが無理である。

↓ 王子様時代のラーンキ氏。
c0163963_9173055.jpg

↓ 現在のラーンキ氏。お年を召しても中年太りとは無縁で風貌が劣化していないのは、さすが。左はデュオを組んでいる妻でピアニストのエディト・クルコン。
c0163963_119569.jpg


その後、シフはバッハやモーツアルトの解釈や室内楽での活躍で世界的ピアニストとなった。コチシュはピアニストのほか指揮者としても活躍し、世界の一流オーケストラと共演している。この2人の活躍に比べると、ラーンキの現在の活動がかなり地味なのはかつてのファンとして残念だが、フランスのナントで先日行われた音楽祭「La Folle Journée de Nantes 2009」のウェブサイトをチェックしていたら、彼が出演しているのをひっこり見つけて嬉しかった。奥様でピアニストのエディト・クルコンとのデュオ。後で調べたら、日本で開催された「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」でもデュオで来日している。
[PR]
by bonnjour | 2009-02-14 10:39 | 聴く&観る
カウンターテナー百花繚乱企画
c0163963_031955.jpg

A Voix Haute --- L'Héritage des Castrats」 --- 昨今のカウンターテナー人気の高まりに乗じた感のある企画物CDである。天使の羽根を付けた上半身裸の若年男子のジャケット写真からして、あざとさが匂うアルバムだ。しかしカウンターテナー復活の立役者であるアルフレッド・デラーから、ジャルスキーやチェンチッチなどの若手スターまで、各世代のカウンターテナー歌手の歌唱が聴けて(それに加え、録音を残した唯一のカストラート、アレッサンドロ・モレスキの音源がボーナス・トラックに入っている)、3枚組で17ユーロというお得感もあり、年末にフランスのAmazonで注文した。(他国では「Altus-from Castrato To Countertenor」という名称で発売されている。このほうが誤解がないタイトルだろう)。こちらのHMVのサイトで試聴ができる。

年末年始は他のことに気を取られ、今頃になってやっと聴いてみた。手持ちのアルバムと重複する音源もかなりあるのだが、予想以上にお買い得ディスクだった。3枚のディスクに1912年生まれのデラーから1978年生まれのジャルスキーまで、およそ3世代にわたる15人のカウンターテナー歌手たちが勢揃いしており、デラーが中心となって復活させたカウンターテナー唱法が、半世紀以上を経てどのように発達してきたのか実感できる。あたり前だが、カウンターテナーの声といっても歌手によって様々な音色や個性があることもよく分かる。

このディスクに収められた歌手たち(生年順)の歌唱を聴いての感想を一言ずつ。偶然かもしれないが、生年が10年周期ぐらいで固まっているのが面白い:

アルフレッド・デラー (1912~1979、英):このディスクでは、しみじみと心にしみる「グリーンスリーブス」を歌っている。現代カウンターテナーの創始者として功績は計り知れない。

チャールズ・ブレット (1941~、英):深いアルトの声がバッハの宗教曲にぴったり。

ジェイムズ・ボウマン (1941~、英):彼の歌声には昔から馴染んでいたが、改めて聴いてみるとカウンターテナーというよりはハイ・テナーみたいな声かも。

ポール・エスウッド (1942~、英):同世代で同じ英国出身のボウマンに比べると、フェミニンな声だなー。でも好き。

ルネ・ヤーコプス (1946~、ベルギー):このディスクではバッハのカンカータ170番を歌っているが、なぜか色っぽい(そういうの、好き)。CT歌手から指揮者に転身というのは、CT歌手のキャリアの一つのロール・モデルかもしれない。

マイケル・チャンス (1955~、英):ボウマンやエスウッドなどより一回り若い彼も、年代的にはすでに大御所?ところで彼以降、スター性のある若いCTは英国から出てこないのだろうか?

ジェラール・レーヌ (1956~、仏):馥郁とした温かい声が父性(母性?)を感じさせる。ラテン語の宗教曲で垣間見せる、フランス人らしい柔らかい発音が好き。

デレク・リー・レイギン (1958~、米):ご存じ、映画「カストラート」の声の影武者。当たり前だがソプラノの音声と合成しない本来の声のほうが、ずっと良い。

ブライアン・アサワ (1966~、米):マッチョな外見に似合わず、とてもフェミニンで可愛い声。

デイヴィッド・ダニエルズ (1966~、米):ヴィヴァルディの宗教曲を歌っているが、妖艶すぎてドッキリ。

アンドレアス・ショル (1967~、独):気品が漂う歌唱。何を歌っても上手いけれど、聖歌隊出身の彼のルーツである宗教曲はひときわ素晴らしい。

ローレンス・ザゾ (米。生年不明だが、'60年代後半くらいの生まれか?):ヨーロッパ出身のCTにばかり目が向いてしまいがちだが、この人やデイヴィッド・ダニエルズの活躍をみると、音楽大国アメリカの底力を感じる。

クサヴィエ・サバータ (1976~、スペイン):CT歌手が勢揃いしたオペラ「聖アレッシオ」公演のお母さん役で見せた女装が衝撃的だったけれど(笑)、実はまだ若い歌手。落ち着いたアルト声が「おっかさん」の風格。

マックス・エマヌエル・チェンチッチ (1976~、旧ユーゴ):ウィーン少年合唱団の天才ボーイソプラノから大人の歌手に見事に転身した成功例。バロック曲もいいけれど、このディスクにあるロッシーニのアリア(「セミラーミデ」のアルサーチェ役)は、彼ならではの超絶技巧が冴えている。

フィリップ・ジャルスキー (1978~、仏):男声でもなく女声でもない(ご本人は「子供の声に近い」と表現しているが)、実に不思議で個性的な美声の持ち主。各地で引っ張りだこの人気歌手だが、とびきりデリケートな楽器を壊さず長く大切に使ってほしい。

【番外編】
アレッサンドロ・モレスキ (1858~1922):実はこの方の現存する録音をすべて収録した「The Last Castrato」というディスクを、かなり以前に資料的な興味から買った。1902年という古い録音のせいか、当時すでに歌手自身の最盛期が過ぎていたせいか、無理に声を張り上げているような痛々しさだけが印象に残ったディスクだった。今回、改めて聴いてみたが感想は変わらない。

ところで台湾のサイトを覗いたら、このCDが「假聲男高音的榮耀」として紹介されていた。「仮声男高音的栄耀:仮声(ファルセット)の男が出す高音の栄躍」って感じ?韋瓦第(ヴィヴァルディ)の聖母悼歌(スターバト・マーテル)など、中国語(繁字体)ではこう書くのだとわかって面白かった。おっと、脱線。
[PR]
by bonnjour | 2009-02-11 00:46 | 聴く&観る
スコットランド産の美味しいもの
相棒がエジンバラから帰ってきた。お土産はスコットランドの美味しいもの。

写真の左のボトルは地元の人のおすすめ、アイラ島産のシングルモルト「Caol Ila」。先日、誕生日にもらったシングルモルト「Laphroaig」も同じアイラ島で作られたものだったが、こちらのCaol Ilaもピートとヨードの香りが強い、特色あるウイスキーだそうだ。まだ封を切っていないけれど、飲むのが楽しみ。

残りの2つのボトルは地元のビール。そして前方にあるのはショートブレッドとオート麦のビスケット(oatcake)。

c0163963_0183717.jpg



そして、ジャ~ン。
c0163963_0194862.jpg


スコットランド名物のハギス(Haggis)。スコットランドに生息する幻の動物「ハギス」を使った伝統料理だ(ウソ)。本当は、羊の内臓とオート麦、玉ねぎなどを羊の胃袋に詰めた臓物料理で、外国人にはハードルが高いといわれているが、スコッチウイスキーと一緒に食すると美味しいらしい。まだ一度も食べたことがないので、食卓に載せるのが楽しみだ。
[PR]
by bonnjour | 2009-02-10 00:02 | 暮らす