B的日常
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ドイツ、デンマーク、フランス(一瞬)と、流浪の生活を約10年。昨年秋にポーランドに流れ着く。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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マックス・エマニュエル・チェンチッチの新アルバムは、高貴なる共和国ヴェネツィアへのオマージュ
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Giovanni Antonio Canal, detto il Canaletto (1697 - 1768), "Il Canal Grande e la chiesa di Santa Maria della Salute"

c0163963_2225674.jpg7世紀末から1000年以上の長きにわたり存続したヴェネツィア共和国は、正式名称を「Serenissima Repubblica di Venezia(もっとも高貴な共和国ヴェネツィア)」という。東地中海貿易を独占し、圧倒的な海軍力をバックに栄華を極めたこの国は、ダルマチア(現在のクロアチア沿海部)、イオニア海、エーゲ海、キプロス等に版図を広げたが、大航海時代になると地中海貿易の重要性は相対的に低下していき、その一方ではオスマン帝国に多くの領土を奪われるなど、衰退期を迎える。ナポレオン率いるフランス軍に降伏したヴェネツィア共和国は、講和条約の取り決めによってオーストリアに領有されることになり、1797年に国が消滅した。

クロアチア生まれ、ウィーン育ちという、ヴェネツィアの歴史と浅からぬ縁があるマックス・エマニュエル・チェンチッチの新しいディスク「Venezia - Opera arias of the Serenissima」(1月25日リリース)は、かつての高貴な共和国に捧げるコンセプト・アルバムで、ヴィヴァルディとその同時代人作曲家たちの、知られざるオペラ・アリアで構成されている。オケは、バロック・ヴァイオリンの名手リッカルド・ミナーシが指揮するアンサンブル、イル・ポモドーロ。

水の都のイメージからか、ジャケットの地色は灰色がかった水色で、花唐草模様が飛んでいる。それを背景に、紫色を帯びた茶色いベルベットの上着と同系色の派手なタイに身を包んだチェンチッチが佇んでいるというデザイン。ヴェネツィア風俗を描いたロココの画家、ピエトロ・ロンギ(1701-1785)の絵(下記)を思い出させるような、繊細で優雅な意匠だ。このようなコンセプト・アルバムの場合、曲目構成と演奏そのものに加えて、ジャケットのデザインもコンセプトを伝える大事な要素になるから、力が入っているのだろう。力が入りすぎて、チェンチッチの瞳孔をCG処理で強調して、少女漫画ばりにお目々に星が輝いているのは、やりすぎと思うが(笑)。

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Pietro Longhi, The Artist Sketching an Elegant Company

このアルバムのコンセプトと完成までのいきさつについて、先日公開されたプロモーション・ビデオでチェンチッチ本人が語っているので、ご紹介しよう。




【インタビュー要旨】
・ヴェネツィアは地中海とアドリア海、そしてオーストリア、スロベニア、クロアチアなどに大きな文化的影響を及ぼしたが、それらは自分が子供時代を過ごした場所でもある。このアルバムは、そんなヴェネツィアに捧げるささやかなオマージュだ。

・ラグーナ(潟)に囲まれ水上に浮かぶヴェネツィアは、Fata Morgana(蜃気楼)にも似た存在で、数多くの芸術家に霊感を与えてきた。

・アルバムの構想を立て始めた当初は、どんなものができるのか明らかではなかった。若き日のヴィヴァルディの作品で構成するつもりだったが、調査を進めていくうちに、同時代人の作品も取り上げてヴィヴァルディを多面的に捉えようということになった。そこでアルビノーニとか、ガスパリーニ(彼はヴィヴァルディと一緒に仕事をして、劇場の世界に引き入れた)といった作曲家を加えた。

・ヴィヴァルディの音楽には同時代人の影響が色濃いことが分かったので、ヴェネツィアそのものをアルバムのテーマに据えることにした。ヴェネツィア人で地元で活躍した作曲家に加え、ウィーンで活動したカルダーラのようにヴェネツィア出身で他国の音楽に影響を与えた人や、ジャコメッリのようにヴェネツィア人ではないがヴェネツィアでオペラ作品が上演されヴィヴァルディに多大な影響を与えた作曲家も取り上げることにした。

・リッカルド・ミナーシ(指揮)とイル・ポモドーロ(アンサンブル)との共演は、自然発生的なもので、ある意味偶然の産物だ。ヴァイオリニストとしてのリッカルドとは長い付き合いだったが、指揮者でアンサンブルのリーダーとしての彼と共演するのは新しい経験。彼らはヴェネツィア音楽に造詣が深い。


出来上がったアルバムは、ヴィヴァルディ作品を中心に、どれもレアな曲で固めてある。バルトリがアルバム「Sacrificium」で取り上げた、ジャコメッリの「Sposa non mi conosci」(後にヴィヴァルディはこの曲を自作のパスティーシュ・オペラ「バヤゼット」に使っている)などは、それでも比較的知られた曲かもしれない。(注記:この作品については3年前に当ブログで取り上げている

時の流れとともに埋もれてしまった知られざる名曲を探し当て、スター歌手が現代に生き返らせるという活動が盛んだが、このアルバムもその系譜に連なるもので、作品ハンティングの苦労がしのばれる。上記のインタビューにあるように、同時代人の作曲家たちが影響を与えあった痕跡を、収録曲からしのぶもよし、これらの曲を情感豊かに、時にはエキセントリックな色合いをつけて歌いあげるチェンチッチの独特な世界に遊ぶもよし、色々な聴き方ができるアルバムだと思う。高音部がいささか絶叫調になる気味のあるチェンチッチの歌唱は好き嫌いが分かれるかもしれないが、私はこういうケレン味のある歌い方も好きだ。

曲目の構成は次の通り。分かりやすいように、「外国人(ヴェネツィア共和国以外の出身者)でヴェネツィアと深い関わりをもった作曲家」に色をつけてみた。こちらのサイト(オランダのラジオ局radio 4)では、太っ腹にも全曲を通して試聴できる(Mevさん、情報感謝)。

01 Barbaro non comprendo: Adriano in Siria - Antonio Caldara
(c.1670-1736)
02 Mormorando quelle fronde: La costanza combattuta in amore - Giovanni Porta (c.1675-1755)
03 A' piedi miei svenato - Antonio Vivaldi (1678-1741)
04 Dolce mio ben, mia vita: Flavio Anicio Olibrio - Francesco Gasparini (1668-1727)
05 Anche in mezzo a perigliosa - Vivaldi
06 Sposa non mi conosci: Merope - Geminiano Giacomelli (c.1692-1740)
07 Io son rea dell'onor mio: Argippo, RV 697 - Vivaldi
08 Pianta bella, pianta amata: Il nascimento de l'Aurora - Tomaso Albinoni (1671-1751)
09 Mi vuoi tradir lo so: La verità in cimento, RV 739 - Vivaldi
10 Quel rossor che in volto miri: Motezuma, RV 723 - Vivaldi
11 Anche un misero arboscello: Nitocri - Giuseppe Sellitto (1700-77)

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# by bonnjour | 2013-01-28 19:01 | 聴く&観る
イタリアのデジタル資料ポータルInternet Culturaleはお宝がザクザク
先日、当ブログで「サイバー空間のWunderkammer(驚異の部屋)」と題し、ドイツ国内の様々な図書館や博物館のデジタル化資料を一元的に提供するポータルサイトをご紹介したが、アルプスの向こう側も負けてはいない。調べ物をしていて、イタリアのデジタル化資料ポータルサイト「Internet Culturale」に遭遇したのだが、これはかなりのすぐれもの。現時点でイタリア国内70の図書館・博物館・文書館が所有するデジタル化ファイル850万点を無料で検索し、閲覧できる。

追記:今、自分のパソコンのブックマークを整理していたら、このサイトをずいぶん前にブックマークしてたのに気付いた。フィリップ・ジャルスキーが以前、インタビューかなにかで、知られざる名曲を発掘するためのお勧めの情報源として、このサイトに言及していたのだった。゜(゜´Д`゜)゜あの、ジャルスキーがワクテカしながら楽譜を検索している姿を思い浮かべると、なんだかほほえましい。

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サイトの入り口(上のスクリーンショット)からして、クラシカルで重厚な感じがするではないか。ページ右上に「Lingua: It En Fr Es」というボタンがあるのに反応しない件は、突っ込みを入れるのをやめておこう。将来的にはこれらの言語にも対応するのだろう。そして、「Collezioni Digitali」(デジタル・コレクション)というコラムをよく見ると、右下になにやら青くてきれいな、中世の写本らしきサムネイルが表示されている。

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興味をひかれてクリックしてみたら、ルッカのBiblioteca Stataleが所蔵する、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098-1179)の「Liber Divinorum Operum」(「神の業の書」)の写本(通称、Lucca-Codex)が出てきた。この貴重な写本の各ページを自分のパソコンで閲覧し、必要に応じて拡大表示したり、ページ単位でPDFファイルを生成して無料ダウンロードできるのだから、この分野の研究者はもちろんのこと、神秘主義マニアとか写本マニア(なんているのか?)にも嬉しいサービスだろう。テキストを解読するのは専門家に任せ、とりあえず美しい図版(下記写真は「生命の輪」の図)を眺めてぼーっとするのが正しい楽しみ方かもしれない。

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もちろん、欲しい資料の分野や名称を指定して検索するのが基本だが、暇なときにはこんなお宝発掘の遊びもできるということで。

さて、調べ物をしていてこのサイトを見つけたと書いたが、きっかけはフランコ・ファジョーリが今年秋に出すアルバム「カッファレッリのためのアリア」(往年の名カストラートに捧げるオマージュ・アルバム)だ。彼の所属事務所(Parnassus Arts Productions)のサイトで、アルバム収録曲のひとつが試聴できるのだが、作曲家名(パスクァーレ・カファロ)とアリアのタイトル「Gonfio tu vedi il fiume」が表示されているだけで、どのオペラのどのようなアリアなのか、詳細が分からない。そこで周辺情報を調べているうちに、作品の手稿譜の画像データをここで見つけたのである。ナポリのサン・ピエトロ・ア・マジェラ音楽院図書館の所蔵品。

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ちなみに、このアリアは「イペルメストラ」(=ギリシャ神話のヒュペルムネーストラー)というオペラに出てくるもので、タイトルロールの婚約者であるリンチェオ(=ギリシャ神話のリュンケウス)が歌う、ということが分かった。ヒュペルムネーストラー? リュンケウス?なにそれ、美味しいの?とギリシャ神話音痴の私には、またまた調べる材料が増えてしまうのであった。

あらすじ: アルゴスの王ダナオスの娘イペルメストラは、婚約者リンチェオとの結婚を心待ちにしていたが、父王から初夜の床でリンチェオを暗殺するよう命じられる。板挟みになった彼女は、婚約者の命を守るため、理由を告げずに彼に愛想尽かしをする。事情を知らないリンチェオは、彼女が心変わりしたと勘違いして、添い遂げられないなら自分は自殺すると言い張る。その一方、国王はイペルメストラが暗殺計画を口外したと疑い、彼女を捕らえる。そこに、彼女を助けようと、リンチェオ率いる一団が乱入し…
バロック・オペラ・ファンにはおなじみの偉大な台本作家、ピエトロ・メタスタージオ(1698-1782)によるこの物語(リブレットはこちら)は、カファロの他にグルック、カヴァッリ、ヴィヴァルディ(アリア3本のみ現存)ら、何人もの作曲家がオペラにしている。しかしこんなマイナーなアリア、よく見つけてくるものだ。歌詞の内容からみるに、このアリアはイペルメストラの心変わりを疑ったリンチェオが、彼女のいない人生なんて意味がないから自殺すると脅迫するシーンのようである。

手稿譜を見ているうちに、YouTubeクリップ職人魂(といってもたいして凝ったものが作れるわけではない)がむらむらと頭をもたげてきて、事務所サイトで拾った試聴用音源と手稿譜を同期させたこんなクリップを作ってしまった。パソコンにおまけで付いてきたWindows Liveムービーメーカーというソフトで作成。手稿譜の画像ファイルを、音源に合わせて切り替えていくだけのシロモノだが、画像の表示時間を手作業で0.01秒単位で指定しながら全部で30枚の画像を入れていくのは結構手間がかかる。


"Gonfio tu vedi il fiume" from Ipermestra
Composed by Pasquale Cafaro (1715-1787)
Libretto by Pietro Metastasio (1698-1782)
  Franco Fagioli, countertenor

苦心して作ったものは他人に見せたくなるものだが、ブログを通じてファジョーリの普及活動に力を入れておられるアルチーナさんがYouTubeでいち早くクリップを見つけてくれて、Twitterで紹介してくださったのには感激、というか情報の早さに恐れ入った。これもフラちゃん(=ファジョーリ)への愛がなす業だろう。また、自分でもFacebookにリンクを張ってみたところ、所属事務所の代表であるジョージ・ラング氏から「いいね」を付けてもらえて、ほっとした。試聴用音源を勝手に使ってクリップを作ったので、「君ぃ、困るよ!」とお叱りがくるかと、実はちょっと心配だったのだ。クレームどころか、「フランコの新しいアルバムはアリア13曲を収録、お楽しみに!」「アルバムのリリースと同時期にコンサートツアーも予定」とコメントを付けて、所属アーティストの宣伝に余念のない社長であった。

というわけで紙幅が尽きたので(電子媒体に「紙幅」なんてないだろという突っ込みは禁止)、ファジョーリの新しいアルバムについての話は後日書きたいと思う。
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# by bonnjour | 2013-01-21 01:00 | 聴く&観る
いけいけ、フラちゃん ― フランクフルトで1月8日にデビュー・リサイタル
注:関係者の努力の甲斐あって(?)チケットも大方売れたので、タイトルを「危うし、フラちゃん」から「いけいけ、フラちゃん」に変えました。

ドイツのオペラ・ファン女子、lotus-eaterさんのブログ「operasora」に最近、何度かお邪魔してコメントをやり取りさせていただいている。lotus eaterとは「ギリシャ神話に出てくるロートスの実を食べて、浮世の憂さを忘れた人」、転じて「夢想家」という意味だが、ブログ名の「operasora」から私は勝手にブログ主を「空(そら)ちゃん」と呼んでいる。ほら、空を見上げて夢想している姿が思い浮かぶでしょ?

空ちゃんはカウンターテナーのフランコ・ファジョーリの大ファンで(日本のファジョーリ・ファンの筆頭であるアルチーナさんとも、もちろん交流がある)、彼女のブログはファジョーリのコンサートや放送予定、レビューなど、情報が豊富なので助かる。他にもカウフマンなど彼女のお気に入りの歌手たちの情報や、器楽曲のコンサートのレポなどもあって、音楽を愛する彼女の心が伝わってくる珠玉のブログだ。

さて、空ちゃんがアルチーナさんのブログに残したコメントで気になるものがあった。それは、ファジョーリ(ファーストネームのフランコ、からフラちゃんと呼ばせてもらおう)のフランクフルトでのデビューにあたるリサイタル(1月8日、フランクフルト歌劇場)のチケットの売れ行きが悪いということだ。理由のひとつは、見本市のため市内のホテル料金が高騰していること。先日、ケルンで上演されたレオナルド・ヴィンチのオペラ「アルタセルセ」(演奏会形式)に物語上の主役といえるアルバーチェ役で出演し、神がかった歌唱でドイツの聴衆を熱狂させたフラちゃんだが、フラ・デビュー(と、こちらもまた略して韻を踏んでみた)のチケットの売れ行き不振は、この勢いをそぐものだから残念きわまりない。(日本時間1月6日16:45の時点で、カテゴリー1~7のうち、一番安い13ユーロの席のみ完売、53ユーロのカテゴリー3が残席わずか、あとは25ユーロ~75ユーロまでの各カテゴリーに残席がふんだんにある模様。なんということだ!*追記:その後、ブラウザーをいつも使ってるfirefoxからIEに変えてチケットサービスのページにアクセスしたところ、具体的な残席数が図入りで分かった。よかった、結構売れている。地元フランクフルト在住の空ちゃんの、必死の口コミ作戦も貢献しているのかもしれない

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今回のコンサートは、2011年にリリースしたアルバム「Canzone e Cantate」(リンク先で曲のさわりを試聴できる)をなぞったプログラム構成で、大きな柱はヘンデルとヴィヴァルディのカンタータ(HWV109:"Dolc’è pur d'amor l'affanno"、HWV84:"Aure soavi e lieti"、RV676:"Pianti, sospiri" )、そしてモンテヴェルディ、フェラーリ、フレスコバルディなどの世俗歌曲となっている。リュートのLuca Pianca、チェンバロのJeremy Joseph、チェロのMarco Frezzatoを伴ってのリサイタルで、オペラの時とは打って変わったインティメットな雰囲気の漂う一夜(現地の表現ではLiederabendとあって、古楽のこういうのもリーダーアーベントって呼ぶんだと勉強になった)になると思うのだが、当日までにチケットが完売することを祈るのみ、だ。

さて、上記のアルバムのメイキングものビデオがあるのでご紹介しよう。2年半前の収録で、ファジョーリが今よりずっとふっくらしていて、後退が目立つ髪を中途半端なヘアスタイルにしてるのは、ご愛敬。余談だが、11月にナンシー歌劇場で実演に触れたフラちゃんは、かなりスリム&精悍になっていて、おまけに芸術家としてブレイクしつつある人特有の、実績と自信に裏付けされた色気のようなものが漂っていてびっくりした。2年前にバルトリと彼とのオペラ・アリアのコンサートをロンドンで聴いたときには、若いのに抜群の技術をもった期待の歌手だと思い、「フランコ、おそろしい子(by「ガラスの仮面」の月影先生)」というふざけた言葉でブログ記事をしめくくってみたが、それほどのオーラは感じなかった。たった2年でここまで成長するとは! そんなわけで、私はナンシーで「にわかファン」の仲間入りをした。

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(左上)使用前、(右)使用後。何が彼に起こったのか(笑)?



上記ビデオの2:33あたりからは、ヴィヴァルディの「Pianti Sospiri」第4部のアリア「Cor ingrato dispietato」を歌っている。同じ曲の、フィリップ・ジャルスキーによるメイキング・ビデオもあるので、比較すると歌い方のスタイルの違いが手に取るようにわかって面白い。ちなみに録音時、ファジョーリは28歳または29歳、ジャルスキーは26歳である。



今回のリサイタルの目玉は、演奏効果の高いヴィヴァルディおよびヘンデルのカンタータになるのかもしれないが、私が同じくらい期待するのはモンテヴェルディとフェラーリの小品、例えば後者による「Amanti, io vi so dire」(恋する男たちよ、教えてあげよう)だ。こうした曲を、演奏者と聴衆の距離を感じさせない小ぶりな会場で聴くことができたら(それがこうした曲が作られた本来のセッティングなのだ)、どんなに素晴らしいことだろう。


↑ ファジョーリによる「Amanti, io vi so dire」。音源はアルバム「Canzone e Cantate」より。

↓ 美しい楽譜!(下記の譜面は第4部の後半と第5部)。下から2番目の段、「ad erta」(”急な坂に対して”)の上昇音型と「o fondo」(”または地の底”)の最低音の対比が、ちょっとmadrigalismっぽい。一番下の段、「può fuggire」のメリスマ音型も、楽譜で見ると美しいな。
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この曲の通奏低音で繰り返される下図の音型は、17世紀イタリアのチャッコーナに特徴的なバッソ・オスティナート(執拗低音)で、様々な作曲家の作品に使われている。声楽曲で例を挙げれば、モンテヴェルディの「Zefiro torna」や、タルクィニオ・メールラの「Su la cetra amorosa」など(ご参考までに、曲名にYouTubeのリンクを張った)。この耳慣れたバッソ・オスティナートに乗って、第6部まである「Amanti, io vi so dire」は、歌詞に合わせて曲想を変えていく。参考のため、歌詞と拙訳を下記に記す。

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Amanti, io vi sò dire (恋する男たちよ、教えてあげよう)

== Prima parte ==
Amanti io vi so dire
ch'è meglio assai fuggire
bella donna vezzosa
o sia cruda o pietosa
ad ogni modo e via
il morir per amor è una pazzia.
  恋する男たちよ、教えてあげよう
  お逃げなさい
  美しく魅力的な女からは
  彼女が残酷であろうが慈悲深かろうが関係ない
  どう考えたって
  恋わずらいなんて愚かなこと

== Seconda parte ==
Non accade pensare
di gioir in amare.
Amoroso contento
dedicato è al momento
e bella donna al fine
rose non dona mai
non dona mai senza le spine.
  恋の喜びにひたっているなどと
  考えてはいけない
  恋することの満ち足りた気持ちは
  ほんの刹那的なもの
  結局のところ、美しい女が差し出す薔薇に
  棘がないはずがない

== Terza parte ==
La speme del gioire
fondata è sul martire
bellezza e cortesia
non stanno in compagnia
son ben dir con mio danno
che la morte ed amor insieme vanno.
  喜びという希望は
  苦しみの上に成り立っている
  美しさと思いやりは
  決して手を結ばぬもの
  僕は辛い経験からよく知っている
  死と愛は相性がよい

== Quarta parte ==
Vi vuol pianti a diluvi
per spegner i vesuvi
d'un cor innamorato
d'un spirto infiammato
pria che si giunga in porto
quante volte si dice
"ohimé son morto."
  ベスビオ火山の火を消すためには
  洪水のような涙が必要だろう
  恋する心や
  燃え上がった魂の火を消すには
  港に着くまでに
  僕らは何度こう言うことだろう
  「ああ、僕は悩殺された」

== Quinta parte ==
Credetel a costui
che per prova può dir:
"io vidi io fui",
se credere no'l volete
lasciate star che poco importa a me...
Seguitate ad amar
ad ogni modo chi dé rompersi il collo
non accade che schivi ad erta o fondo
che per proverbio sentii sempre dire:
"dal destinato non si può fuggire."
  「私は見た、私はそこにいた」と言うような者には
  用心することだ。  
  信じたくないのなら目をつぶれ
  僕には関係ないことなのだから、愛し続けるがよい
  いずれにせよ、首を折ることが運命づけられている者には
  急な坂や地の底を避ける必要などないのだ
  諺にもあるように
  降りかかろうとしている運命から逃げるすべはない

== Ultima parte ==
Donna, so chi tu sei
amor so i fatti miei
non tresco più con voi
alla larga ambo i duoi.
S'ognun fosse com'io
saria un balordo amor
e non un... dio!
  女よ、僕はきみが何者か知っている
  愛よ、僕は自分がすべきことを知っている
  僕はもうお前たちとかかわり合うのをやめて
  身を引くとしよう
  誰もが僕のようであったら
  愛とは愚か者であり、神なんかじゃなかったのに

「Amanti, io vi so dire」には、フィリップ・ジャルスキーがキャリアのごく初期(25歳)に録音した、みずみずしい歌唱があり(下記)、ファジョーリ版と聴き比べるとこの二人の歌手の立ち位置の違いが分かって面白い。少年を思わせるジャルスキーの軽快な声で、この歌詞のような世知に長けたことをいうと小生意気な感じ(笑)がする。そこがまた、いいのだけれど。対して、厚みのある成熟したファジョーリの声だと、当事者の心の叫びのように聞こえてきて、これはまた違った味わいがある。


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# by bonnjour | 2013-01-06 16:10 | 聴く&観る
東京都写真美術館のお正月無料開館(1月2日)に行ってきた
TwitterでフォローしているHODGE_EGDOHさんのリツイートで知った、東京都写真美術館のお正月無料開館(1月2日)に行ってきた。開催中の3本の展覧会が無料という、嬉しいお年玉企画だ。

北井一夫 「いつか見た風景」

木村伊兵衛写真賞の第1回受賞者である北井一夫(1944-)の、美術館での初の個展とのこと。学生時代に撮ったものから現在の作品まで、彼の足跡が分かる構成。最新作である、東日本大震災の被災地の「道」を撮った連作は、瓦礫の中に道路だけが残っている無人の風景写真で、見ていると恐ろしさと悲しさが襲ってくる。初期作品の三里塚闘争のドキュメンタリーは、新聞の客観的な報道写真などでは見られない、反対運動の主体である農民側から捉えた視点が心を打つ。

三里塚闘争については、成田空港開港前の、小学生時代にちょっとした思い出がある。雑誌編集者だった父が仕事で接点のあった、反対運動の幹部 I氏の自宅を訪問するのに同行した。なぜ小学生の子供が付いていったのか不明だが、同じ方面に別の用事があったのかもしれない。地元の地主農家である I氏の家は古くて大きく、そのあたり一帯は、どこからか家畜の鳴き声がするような、のどかな場所だった。こんな所に空港を作るなんて、無謀だよなと子供心に思ったことである。今回の展示が、そんな思い出を蘇らせてくれた。

映像をめぐる冒険vol.5 「記録は可能か。」

「記録としての映像」をテーマに、リュミエール兄弟の世界初の実写映画「工場の出口」(1895年公開)から現在までの、記録映像の変遷と可能性を考える企画展(ところでこのタイトル、「羊」がいつのまにか「映像」に変身しちゃったのだろうか)。アート的な写真や映像も好きだが、ドキュメンタリーものはそれに輪をかけて好きなので、大変に興味深く展示を見た。

1950年代の学生セツルメント運動から生まれたフィルム版紙芝居ともいうべき「ぼくのかあちゃん」「自転車にのってったお父ちゃん」(ともに製作:東大セツルメント川崎こども会、作画・構成:加古里子)や、中谷芙二子(1933-)の「水俣病を告発する会-テント村ビデオ日記」などは、時代の証言といえる秀作。ドイツのニナ・フィッシャー(1965-)&マロアン・エル・ザニ(1966-)による、端島(通称:軍艦島)を撮った「スペリング・ディストピア/サヨナラ・ハシマ」は、廃墟マニアの私の心をくすぐる作品だった。

リュミエール兄弟の上記映画だが、会場を探し回ったところ、展覧会の入り口のパネルにはめ込まれた小さなディスプレイで流していた。なんか虚を突かれた感じ(笑)。

この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11

文字通り、日本の新進写真家5人の作品展。イギリスのオルタナティブ教育校に10歳で単身留学した体験記「サマーヒル少女日記」を出して話題になった大塚千野(1972-)の「ダブル・セルフ・ポートレイト」は、写真家自身の姿を自らの少女時代の写真にデジタル処理(巧妙!)で焼き込んだ作品だ。あどけないが意志の強そうな少女と、美しく成長した若い女性。同じ画面に佇む二人は、顔かたちからも(同一人物なんだから当たり前だ)年齢差からも、母娘のようにもみえる。

北京在住の菊地智子(1973-)による、中国の都市部に集まる地方出身のトランスジェンダーの人々やドラァグ・クィーンをテーマにした作品は、現在の中国のナマの姿を伝えている。一昔前の中国では日陰の存在だったトランスジェンダーだが、経済成長とともに社会も変化してきたのか、今では芸能界で成功する人も出てきて、世間に徐々に受け入れられるようになってきたという。

お正月早々、なかなかに刺激的な展覧会を3つも見ることができて嬉しい。
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# by bonnjour | 2013-01-03 19:16 | 聴く&観る
進化する「アルタセルセ」-演奏会形式の公演をネットラジオで聴く
誰もが忙しい大晦日に、こんなエントリーでもないと思うのだが、忘れないうちに書いておく。

日本時間の本日未明にスイス・ロマンド放送のクラシック専門局Espace2で、レオナルド・ヴィンチ作曲のオペラ「アルタセルセ」の、演奏会形式の公演(11月25日、ローザンヌ歌劇場にて収録)がオンエアされた。それに先立つ11月6日と8日に、私はナンシー歌劇場でこのプロダクションのフル・ステージ版を見ているのだが、演奏会形式はまた違った意味で面白いぞという話を、各地の公演(ウィーン、ローザンヌ、パリ、ケルンを巡回している)に行った人々から聞いていたので、大きな興味をもってリアルタイムで聴いてみた。
キャスト
Artaserse: Philippe Jaroussky
Mandane: Max Emanuel Cencic
Artabano: Daniel Behle
Arbace: Franco Fagioli
Semira: Valer Barna-Sabadus
Megabise: Yuriy Mynenko

Concerto Köln
Direction musicale: Diego Fasolis

まず、フル・ステージ版に比べて全体的にスピードがますます速くなっているのに驚いた。バロック式の重い衣裳や鬘を脱ぎ捨てたら、身軽になったというわけでもあるまいが。演奏会形式にするにあたり、出演者ひとりにつきアリア1曲を割愛し、レチタティーヴォも大胆にカットしていることもあり、コマ落としのようにストーリーが進んでいく。この作品はもともと、カストラートの大スターたちを勢揃いさせて独唱を競わせるような作りになっており、アルバーチェ(ファジョーリ)とマンダーネ(チェンチッチ)による3幕目の感動的な二重唱を除き、すべてが独唱曲なのだが、レチタティーヴォをかっ飛ばしてアリアが次から次へと出てくるさまは、ケルンで演奏会版を見たレイネさんが「白白歌合戦」と形容した通りである。

この様子は、ウィーンでの演奏会形式上演を報じた「ル・モンド」紙2012年12月10日付記事でも触れられているので、ご紹介しよう。

「ウィーンで上演された(後日、パリでも上演される)演奏会形式のバージョンは、大幅にカットされている。カウンターテナーたちは各自が一曲ずつアリアを削られ、レチタティーヴォも短縮された。とはいえ心配は無用だ。情熱的で流麗かつこまやかなディエゴ・ファゾリスの指揮のもと、熟練の音楽家集団であるコンチェルト・ケルンが奏でる音楽に乗って、すべては稲妻のように駆け抜ける。高音で歌う我らが歌手たちは、名人芸を互いに競い合う。」(以上、拙訳)

そして装飾音とカデンツァが、先行発売されたディスクやフル・ステージの演奏から進化している。こういう実演は生もので、どんどん変化していくというが、まさにその通りだ。中にはとても面白い装飾音やカデンツァを付ける人もいたので(ジャルスキーとかファジョーリとか)、あとでスコアを見ながら(手稿譜を写真に撮ったものなので、ウルトラ見にくいが)じっくり聴き返してみたいと思う。

個々の歌手の声そのものについては、あまり断言ができない。それというのもネットラジオの音質が非常に悪くて、音がくぐもるうえに高音部に変な歪みがあった。このネット放送はビットレートが128kbp(mp3, rm)ということなので、音質はそれほど劣悪ではないはずなのだが、受信者つまり私の問題なのかもしれない。ケーブルテレビ経由のブロードバンド接続を、家庭用の無線LANルーターで階下から2階に飛ばしているのだが。

しかし音質がいまひとつの中でも、歌手どうしが良い意味でのライバル意識をかきたてて、歌唱がどんどん上向きになる現象は見てとれた。例えば、ファジョーリ演じるアルバーチェとジャルスキーのアルタセルセという親友コンビがレチタティーヴォで対話するときに、ディスクやフル・ステージの舞台ではやらなかったような高音の装飾音をそれぞれ付けていて、おっと思った。ちょっと不自然なほどの装飾音だったので、もしかすると往時のカストラートたちの歌合戦状態を戯画化したのかもしれないが。

さて、この企画そのものについて。

アムステルダム在住の熱心な音楽ファンであるPさんが、千秋楽(12月27日)のケルンで、このプロダクションをナンシー歌劇場と共同製作したParnassus Arts Productionsの代表、ジョージ・ラング氏に聞いたところでは、カウンターテナーが5人も出る男性だけのオペラ公演というコンセプトに、多くの歌劇場が尻込みして、最初は制作パートナーを探すのに苦労したそうだ。その困難を乗り越えてヨーロッパ・ツアーを成功させた手腕に敬服する。Parnassusには、今回の配役の大半の歌手たち(チェンチッチ、配役中唯一のテノールをダブルキャストで務めたベーレとフアン・サンチョ、最近移籍したファジョーリ、そしてミネンコ)が所属しており、アーティストのラインナップをみるとカウンターテナーに大変に強い事務所であることがわかる。

レイネさんがブログですでに書いている通り、このプロダクションは2014年にヴェルサイユ(3月、フル・ステージ)とアムステルダム(5月、演奏会形式)が再演が決まっているので、さらに進化したアルタセルセ2.0みたいのが聴けるのではないかと楽しみだ。

また、今回のプロダクションのアーティスティック・コンセプトとキャスティングは、マンダーネというスカート役を熟達した「声の演技」で演じきったチェンチッチが兼務で担当しているが、これだけの歌手を適材適所に配置した慧眼とプロデュース力に敬意を表したい。指揮者とオペラ歌手の両親のもとに生まれ、ウィーン少年合唱団では子供離れした圧倒的な歌唱力でソリストを務めた彼だが、将来の夢はオペラのプロデューサーだときく。それに向かって着実に歩みを進めているのがよくわかる。ローザンヌ公演に先立っては、地元のテレビ局の文化ニュースに出演して宣伝に努めていた(彼が流暢なフランス語で、しかし外国語であるからかちょっとためらいながら話す様子には萌える)。
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# by bonnjour | 2012-12-31 11:26 | 聴く&観る
季節のご挨拶
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季節のご挨拶を申し上げます。
欧州に移住した2004年のクリスマスに開始してからというもの、最近は長期間放置プレイしたり、思い出したように更新してみたり、むらのある当ブログですが、細く・長くをモットーに来年も綴り続けていきたいと思います。これからも、よろしくお付き合いいただければ幸いです。

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Natitvity, Lorenzo Costa, Musée des Beaux-Arts, Lyon, France
みどり児のキリストが愛らしすぎる、ロレンツォ・コスタ(1460 - 1535)の聖家族図。
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# by bonnjour | 2012-12-25 02:09 | 暮らす
サイバー空間のWunderkammer(驚異の部屋)
才気煥発なブログでいつも皆を楽しませてくれているgalahadさんが先日、ドイツの新聞Der Tagesspiegel に載った興味深い記事をリツィートしてくれた。Deutsche Digitale Bibliothek(DDB)のベータ版がオンライン公開(2012/11/28)されたというニュースだ。DDBは、ドイツ国内の様々な図書館、博物館、文書館、フィルムライブラリーなどのデジタル化資料(本日現在で1,886の機関から集められた約560万点)を一元的に提供するポータルサイトで、それらを欧州の電子図書館ポータル「Europeana」(収録資料数:2,000万点)へ提供するアグリゲーターの機能も担っている。

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↑ Deutsche Digitale Bibliothekのトップページ。



↑ Deutsche Digitale Bibliothekが作成した紹介ビデオ。英語版が作られていることからも分かるように、ドイツのデジタル化資料一切を取りまとめるポータル・サイトとして、外国からの多数のアクセスも想定しているようだ。

Tagesspiegelの記事では、このポータルを21世紀のWunderkammer(驚異の部屋)と表現して、その取り組みを紹介するとともに、現在の課題についても述べている。課題というのは、著者の死後70年以上経ち(著作権保護期間を死後70年とするのが欧州の趨勢)パブリックドメインになった資料以外は、デジタル化して収録・公開できないことで、20世紀の著作物の多くは、現時点では対象からもれてしまう。また一方では、ビジネスの世界でGoogle Booksが700万冊以上の現代の出版物をデジタル化している現状があり、電子図書館という公的サービスと商用サービスの間の利益の衝突という問題がある。

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Das Museum des Ferrante Imperato, 1599

さて、ここで電子図書館に擬せられている驚異の部屋とは、諸国から取り寄せた珍品を集めた博物陳列室で、15~18世紀にヨーロッパで流行した。ドイツ語のWunderkammerのほか、フランス語のCabinet de curiosités(珍品陳列室)という名でも知られる。つまり、現在の博物館の祖先みたいな存在で、そのはるか先の子孫が電子図書館というわけだ。王侯貴族にだけ許されていた「驚異の部屋」が、今では庶民の私でも、パソコンとネット環境さえあれば自分のものになるという飛躍的な「情報」と「知」の大衆化。いや、それだけに、気の遠くなるような大量の情報をかみ砕き、交通整理する指南役が必要になるわけだけど。

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図書館のデジタル・アーカイブ化は世界的な潮流だ。欧州では、上述のEuropeanaに各国の100以上の図書館や博物館が参加している。また米国では米国議会図書館が所蔵資料(総計1億4,000万点)のうち、米国の「歴史資料」をデジタル化・ウェブ公開したほか、文書、写真、動画等、1,500万点をデジタル化済みである。

そして日本の国立国会図書館でもプロジェクトが進んでいる。国会図書館が1968年までに受け入れた戦前・戦後の刊行図書、議会資料、法令資料、児童書のうち、約89万点がデジタル・アーカイブ化されており、著作権処理済みの約32万点はインターネットで閲覧できる。また、雑誌のデジタル化も行っており、現在、所蔵する雑誌のうち約102万点(約1.1万タイトル)が収録されている。

というわけで、国立国会図書館の当該サイトには、下記のようにデジタル化資料のアクセス数ランキングが載っている(2012/12/22 23:00閲覧)。

1位 古事記. 上
2位 エロエロ草紙
3位 最近朝鮮事情

お堅い国立図書館のサイトに2位の「エロエロ草紙」(酒井潔著、竹酔書房刊、1930年11月発行)というタイトルが異彩を放っているので、早速見にいった。1930年(昭和5年)といえば、「エログロ・ナンセンス」のアングラ文化が花盛りだった時代。著者の酒井潔(1895 - 1952)は、魔術・秘薬・性愛に関する文献の収集家にして個人誌「談奇」の発行人。エロエロ草紙という刺激的なタイトルの割には、アート的なヌード(絵、写真)や海外の艶笑譚の翻訳、恋人との週末旅行の作法指南など、インテリで上品な内容ではないか。内容そのものに(*´Д‘)ハァハァするというよりは、太平洋戦争前の、日本が平和でのどかだった時代の性風俗を垣間見るという、文化史的な面白さを感じるコンテンツである。

これも、一種の日本版Wunderkammerかも、ね。
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# by bonnjour | 2012-12-23 00:38 | 読む
好きな夢を見る方法
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"Flaming June" by Frederic Leighton
私はプロのカウンターテナー歌手として、ケルン歌劇場で上演されるオペラ「アルタセルセ」(レオナルド・ヴィンチ作)の舞台に立とうとしている。間もなく開演なので、出演者一同には緊張が走る。

そこに当日の控えの歌手であるK氏(実在の人物)が現れて、「それで、君の役はどれなの?」と聞いてきた。私は一生懸命に記憶をたぐるが、頭の中が真っ白になってしまった。ややあって、「ああ、そうだ。今夜はドン・ジョバンニを演るんだった」と思い出し、「ツェルリーナ!」と返事した(このあたりの矛盾が、夢である所以)。

場面は変わり、舞台では「ドン・ジョバンニ」でなく「アルタセルセ」が進行中である。私の、ほんの数10センチ先には恋人同士を演じるフランコ・ファジョーリとマックス・エマニュエル・チェンチッチが向かい合っている。二人は二重唱「Tu vuoi ch'io viva o cara」(愛するひとよ、君は僕に生きろというけれど)を歌い始めた。まさに天国的なハーモニー。こんな至近距離でこの曲を聴けるとは、なんと幸せ者であることか。私は、自分自身がキャストの一員であることも忘れて、デュエットに聴き入るのだった。



先日、冗談に「今夜は夢の中でフランコ様に会うからね」と宣言してみたが(ファジョーリの実演を先月ナンシー歌劇場で聴いて衝撃を受けてから、にわかファンになった私である)、もちろんかなわなかった。それが昨夜、本当に実現して、ちょっとうろたえている。眠りにつく直前まで、「アルタセルセ」のケルン公演に行ってきたばかりのブログ友の報告を、同好の士とともにTwitterとFacebookで見聞きして興奮していたので、どうやらそれが夢に反映されちゃったらしい。夢にしては妙にリアルな音と映像であった。しかし、最初はカウンターテナー(=男性)であったはずの自分が、途中からツェルリーナ役(=女性)に性転換するのは、やっぱり自分の性自認は女性ってことなんだろうな。

好きな夢を見る方法、というのがあるらしい。

いわく、「自分は今、夢を見ている」と自覚できる「明晰夢」(lucid dream)を見ること。寝る直前に、見たい夢に近い写真や映像を見ること。夢を思い出す訓練をすること。見た夢を記録しておく「夢日記」を付けること、等々。

このうち、「明晰夢」以外はすべて自分に当てはまりそうなので、これは見るべくして見た夢だといってよいだろう。

夢を思い出して記録することについては、小学校に上がる前に見た、怪奇的でシュールな夢が最も古い記憶だ。あまりにも印象が強烈だったので、折に触れて思い出し、それが記憶に定着した。
私は近所の薬局の前に設置された、お気に入りの遊具に乗っている。10円玉を入れると、動物の形をした電動の乗り物が上下に揺れるという例のやつだ。ところが突然、乗り物の台がパカッと開いて、地下から数体の骸骨が躍り出てきた。ママー、助けて、怖いよう ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル。

この夢には理由があって、その日の昼間、私は百科事典に載っている古代の埋葬の発掘写真を見せられたのだ。そこには踊ったような形をした骸骨があった。古代人だけでなく、人間は誰でも死ぬとそのような形になることを知った。「死ぬ」というのは、幼稚園で毎日唱えさせられるカトリックの「天使祝詞(=アヴェ・マリア)」に「天主の御母 聖マリア、 罪人なるわれらのために、 今も臨終の時も祈り給え」という一節があり、その「りんじゅう」というのが「しぬ」ことなのだと教えられていたが、「しぬ」ことを視覚化したのは、その発掘写真が最初である。地中から骸骨が湧いて出て、骨をガシャガシャいわせながら踊るなんて、幼稚園児が見るには生々しすぎる夢。まさにDanse Macabre(死の舞踏)の風景だった。ちょうど、下の絵のような。

どうせなら、死の舞踏ではなく、昨夜のような天国的なデュエットの夢を見たいものである。だから、寝る前に見る映像は厳選したい。
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"Dance of Death" by Hans Holbein the Younger
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# by bonnjour | 2012-12-19 06:09 | 暮らす
師走のくそ忙しい時期にいい度胸だ、の台湾旅行記:その4 先住民の里で温泉にどっぷり浸かる
台湾旅行も最終日となった。旅の疲れ(遊び疲れというやつだ)を癒すべく、台北の東南方28キロに位置する温泉地、烏来(ウーライ)にやってきた。地下鉄の終点からバスに乗ること30分あまりで温泉郷の入り口に到着する。烏来は台湾の先住民族のひとつ、タイヤル族の里で、ウーライとはタイヤル語で「湯気の出ているお湯」を意味するという。イギリスのバースや、ドイツのバーデン・バーデンと同系統の地名かも。

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渓谷があり、川の両岸に温泉宿が立ち並ぶ様子は日本の温泉地と同じ。上の写真では、崖の上のひときわ高い場所に川を見下ろすように西洋風のファサードが見えるが、それが天主堂(キリスト教会)だったので驚いた。台湾の人口に占めるキリスト教信者の割合は4.5%(日本は1パーセント前後)で、とりわけ先住民族にはキリスト教が浸透しているという。

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↓ まずは昼食をと思い、タイヤル族のオーナーが経営している伝統料理を出す食堂に入る。
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頼んだのは奥から時計回りに、川魚と川エビの揚げ物、竹筒に入れて蒸したご飯、檳榔(ビンロウ)の花の和え物、金針菜(キスゲのつぼみ)の炒め物。それに小米酒(粟から醸造される爽やかな風味のお酒)をグラスで1杯。檳榔は、アルカロイドを含むその種子が台湾を含むアジア各地で噛みたばこのような嗜好品として消費されているが、檳榔の花には別に危ない成分は含まれていない。姫筍に似た歯触りで淡泊な味だった。特筆すべきは竹筒飯で、ご飯にほのかな竹の香りが移って絶品だった。

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タイヤル民族博物館(上の写真)を見学してから、ガイドブックで調べておいた「小川源」というクアハウス形式の温泉施設に行く。時間無制限で入浴料は300台湾ドル(約860円)。大きなバスタオル2枚とフェイスタオル1枚を貸してくれた。日本の温泉と同様、男女別になっており、水着を着けずに入るスタイルだ。内部は温度や仕掛けの異なる5つの浴槽があって、結局2時間くらい居座って、入る・出る・テラスに出て涼む、を繰り返してしまった。テラスからは川をはさんで対岸の旅館や川原に設けられた露天風呂(水着着用)が丸見えで、ここでバスタオル2枚が活躍したのである。

泉質は弱アルカリの炭酸水素塩泉で、驚いたことに入浴後はローションを付けなくても肌がしっとり、つやつやになった。近くにあれば、絶対リピーターになってしまう。

↓ 「小川源」の中の作りは日本の温泉旅館ソックリ。ちょっとレトロな感じがよかった。
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↓ 温泉郷の夕暮れ。見覚えのある、あのマークが。「温泉マーク」は日本統治時代に台湾にも紹介され、それがいまだに使われているそうだ。
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# by bonnjour | 2012-12-17 19:14 | 旅する
師走のくそ忙しい時期にいい度胸だ、の台湾旅行記:その3 台北。建國假日花市&玉市で目の保養
熱帯に位置する台南から、首都台北に戻った。ここは気候区分でいうと亜熱帯。12月なので少し肌寒いが、動き回ると汗ばむ、そんな気候である。

週末にだけ開かれる花市と宝石市があるので、見物しに行った。建國南路というストリートのガード下で開かれるので「建國假日花市/玉市」という名前がついている。ちなみに「玉」(ぎょく)とは、翡翠をはじめとした美しい石の総称。翡翠には魔除けの力があると信じられているが、中華系の人々がこの宝石に寄せる情熱は、ただものではない。植物は検疫の関係で持ち帰れないし、勝手の分からない旅先で宝石を買うという冒険は避けているので、今回の目的は目の保養である。

↓ 途中で通過した「大安森林公園」。都心にぽっかりと空いたオアシスみたいな場所。
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↓ 公園で見つけた、南国らしい植物。こういうのを見ると、遠くに来た感じがする。
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↓ ガード下に見えてきた花市の入り口。
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↓ 熱心に品定め。
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↓ 鉢植えや苗だけでなく、種も売っている。何の違和感も感じなかったが、よく考えたら日本のディスプレイ用装置をそのまま使ってる?
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↓ こちらは玉市。ガード下といえど、会場はかなりの広さで、そこにびっしりと宝石屋や骨董屋が出店しているので、ちょっと目がくらみそうになる。本気で買うつもりの人は、ターゲットの店を絞ってるのかも。看板に「Holiday Jade Market」と英語が併記されている通り、外国人観光客率高し。
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↓ 呼び込みや声掛けは最低限の大変にあっさりした接客なので、私のような冷やかし客には最適。というより、あまり商売やる気なさそうなお店が多い(笑)。商品に値札が付いていないのは個別交渉ということか。こういうのは、関東人の私にはあまりにもハードルが高すぎる。
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# by bonnjour | 2012-12-16 03:20 | 旅する