ヨーロッパの地方都市を転々とした挙げ句、ポーランドに流れ着いた管理人「B」の日常。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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2008年 12月 19日
ポテトのピザといってもレシピの話ではない。 Philippe ChevallierとRégis Laspalèsという、フランスのお笑い芸人のコンビ「Chevallier et Laspalès」が演じる、南仏プロヴァンスのアクセントをからかったコントがYouTubeに上がっていて、コテコテのプロヴァンス人である相棒が大いにウケていたのでご紹介する。 コントの内容は単純で、二人のプロヴァンス人が電話で「今晩のおかずはポテトのピザだ」「お、うちもだよ」と話すもの。これが誇張されたプロヴァンス訛りで話されるものだから、観客は大笑い。話の内容も、「プロヴァンスの名物はピザじゃ。今晩はポテトのピザだぞ」と、支離滅裂だ。もちろんピザがプロヴァンス名物という事実はないし、現地では炭水化物であるピザ生地の上に、これまた炭水化物のポテトを載せることはしない。 プロヴァンス訛り(といっても地域差は大きいそうだ)の特徴は、Lapin(ラパン)やPain(パン)などの「in」が「アン」でなく「エン」と発音されること(例:「ラペン」「ペン」など)、語尾に余計な母音が引き延ばされて残ること(例:Franceが「フランサァ」)など。上記のクリップでも「ポテトのピザ」(La pizza pomme de terre---ラ・ピザ・ポム・ド・テール)のことを「ラ・ピッザァ・ポンムァ・ド・テーラァ」と叫んでいる。 プロヴァンス訛りを、歌うようなアクセントと評する人もいるが、賑やかで(いや、むしろけたたましいというべきか?)、パリあたりの気取った(とプロヴァンス人は言う)フランス語とは別の言語みたいに聞こえる。実は来週、クリスマス休暇で相棒の実家に帰省するのだが、この強烈な訛りのフランス語に囲まれるのは、毎度のことながら楽しみなような、怖いような...。日本語を勉強中のガイジンが一人で熊本や鹿児島あたりに放り込まれるシーンを想像してほしい。 なお、ここでギャグにされたのは現代フランス語のプロヴァンス訛りだが、それとは別に地方語の「プロヴァンス語(Lou prouvençau)」というのが存在する。これはロマンス語系統のオック語の一方言で、言語的には標準フランス語よりむしろ、スペインのカタルーニャ語に近いもの。現在ではこれを第一言語として話す人はいなくなってしまったが、現在60代以上の世代では現代フランス語とプロヴァンス語のバイリンガルであるケースも多い。ちょっと古いが1990年の統計で、プロヴァンス語の話者は35万4,500人という。フランス政府はプロヴァンス語を公用語として認めていないが、地方語復権のトレンドに乗って、高校などで選択科目として履修できるようになった。年金生活に入った相棒の両親も、日本のNPOに相当する団体を立ち上げて、プロヴァンス語および地元文化の保存運動に取り組んでいる。プロヴァンス人というのは郷土愛が強いのだ。 #
by bonnjour
| 2008-12-19 10:30
| 息抜き
2008年 12月 18日
音楽というと、ついついルネサンスやバロックなど古い方に足が向いてしまい、近代音楽はあまり聴かないのだが、「世にも美しい」と形容したくなる近代のヴァイオリン・ソナタに出会った。ベルギー生まれの作曲家、ギョーム・ルクー(Guillaume Lekeu, 1870-1894)の作品だ。上記のYouTubeで全曲が聴ける(ただし演奏時間35分ほどの曲を、アップロードの制約から4本に分割してあるのだが、曲の途中でいきなり切れてしまうのが残念。上記はPart1だが、Part2、Part3、Part4と続いている)。 生没年から分かるように、ルクーはわずか24歳で夭折している(ベルギーの瀧廉太郎って感じ?)。その彼が残した唯一のヴァイオリン・ソナタがこの作品で、大ヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイの委嘱で書かれた。初演もイザイによる。若死にして作品があまり残っていないこともあり、ルクーの作品で今でもよく演奏されるのはこの曲くらいらしい。3楽章構成(第1楽章 Tres modere-Vif et passionne、第2楽章 Tres lent 、第3楽章 Tres anime)で、甘く切ない旋律が極上の美の世界に誘ってくれる。ルクーはセザール・フランクに師事していたので、この作品も師匠の影響が強いと解説には書いてあったが、ピアノ曲以外のフランス近代音楽は食わず嫌いでフランクの作品も殆ど聴いたことがない私には、判別不能。 パブリックドメインの無料楽譜はこちらで入手が可能。 ところで、食わず嫌いのフランス近代音楽、およびルクーという作曲家に目を向けるキッカケを作ってくれたのは、先月日本でリサイタルを開いたフィリップ・ジャルスキー。このリサイタルでフランス歌曲を取り上げた彼が、アンコールで披露した3曲の中に、ルクーの作品「Sur une tombe (墓前にて)」があった。作曲家自身が書いた詩に基づく連作「3 Poèmes」(1892)の一つで、まだ新しい供花の香る墓地で亡くなった恋人を思う、というメランコリックで美しい曲だ(といってもアンコールを聴いたその場で詩の内容が理解できるはずもなく、後で調べて、やっと分かった次第)。こちらの曲も、このサイトで無料楽譜の入手が可能だ。 それにしても、若死にした恋人を思う歌曲を書いた本人が、2年後には20代の若さで亡くなってしまうのだから皮肉なものだ。彼の命を奪ったのは、腸チフスだったそうだ。衛生状態や医学水準が今より劣悪だった当時、感染症で奪われた命の多さに驚く。 #
by bonnjour
| 2008-12-18 10:29
| 聴く&観る
2008年 12月 16日
街はクリスマス一色。朝からどんよりと曇った天気の上、日照時間が短いので、市庁舎前に設置された巨大クリスマスツリーのライトが一日中、光っていて美しい。
こちらはクリスマス・マーケット。ドイツのように屋外の広場に設営されるものを想像していたら、屋内で開かれていたので拍子抜け。ここは高緯度といっても、暖流(メキシコ湾流)のおかげでさほど気温が下がらす(雪もめったに降らない)、12月の平均気温も3度と「マイルドな」(<==観光局の弁)気候だ。冬の寒さは、我々が昨年までいたドイツのラインラント地方とさほど変わらないだろう。もしかして、地元の人はドイツ人より寒さに弱い? マーケットの中は工芸品や手芸作品を売るブースが並んでおり、食べ物屋さんは入り口近くにオープンサンドイッチや飲み物を売るスタンドがあるだけだった(ガッカリ)。ドイツのクリスマス・マーケットだったらホットワインにソーセージ、ひとくちステーキ、マッシュルームの煮込み、蒸したプディング等々と延々と飲み食いの屋台が連なるところだが...お国柄の違いというやつかな。それと、このマーケットが閉まるのは夕方6時!早寝早起きのドイツでも、クリスマス・マーケットは夜9時頃までやっていたはずだが、夕方6時に閉まるのってちょっと早すぎるのでは? #
by bonnjour
| 2008-12-16 21:05
| 暮らす
2008年 12月 15日
メキシコ版PLAYBOY最新号の表紙です。Maria Florencia Onoriというモデルさんがステンドグラスの前で聖母マリアを思わせる白布をかぶってポーズをとり、ごていねいなことに胸の下あたりには「Te Adoramos, Maria」(「マリアちゃん、オレたち君にぞっこんだぜ」あるいは「マリア様、御身を崇めます」と両義的に読める)という文字がおどっている。 個人的にはモデルさん奇麗だし、いやらしい感じは皆無なので「ま、いいんじゃない」と見逃したい気持ちもするが、時と場所が悪かった。 最新号が発売された12月11日は、折りしもメキシコではグアダルーペの聖母の祝日(12月12日)という、16世紀のメキシコに出現した聖母マリアを記念する重要な祭日の前日だったそうで、この表紙はそれを念頭に置いて作ったとしか思えない。先住民族であるインディオの前に聖母が出現したこの出来事がきっかけとなり、当時のローマ教皇が植民地でのインディオの迫害を禁じる回勅を出したということで、「グアダルーペの聖母」はメキシコの民族主義の原点みたいな存在なのだ。 そんなわけで、メキシコ国民が敬愛するマリア様を侮辱したと槍玉に上げられたPLAYBOY本社は「メキシコ版はライセンス出版なので、本社のあずかり知らぬところで起きた不手際」(日本の企業不祥事でもよく聞く言い訳だ)と弁明した上で「ともあれ気分を害した方がおられたとしたら申し訳なかった」と謝罪する一方、当のメキシコ版PLAYBOYも「この表紙はグアダルーペの聖母、あるいは他のいかなる宗教上の人物を表現したものでもなく、単にルネサンス風の雰囲気をかもしだそうとしただけ」(どこがやねん)、と苦しいステートメントを出している。 うがった見方をすれば、これで雑誌の知名度も上がるのだから、やったもの勝ちという気もする。 ところで聖母マリアを扱った図像に関していえば、私はフランスのピエール&ジルというゲイ・カップルのアーティストの作品(下記)が好きだ。ピエールが写真を撮り、ジルがそれにレタッチを施すという役割分担で、神話や宗教からモチーフを取ったキッチュで華美な作品を生みだしている。神聖なマリア様をダシにして、ゲイ・テイストにあふれるこんな作品を作ってしまうのも、充分に罰当たりだとは思うのだが。 #
by bonnjour
| 2008-12-15 02:22
| 息抜き
2008年 12月 13日
今日は珍しく晴天。なので、冷え込みが一段と厳しい。寒い日は寒い国の音楽が似合う、ということで長らく遠ざかっていたムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」を聴く。前によく聴いていたライモンディ盤は今、手元にないのでナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)を活用する。ボリス役として極め付けといわれた(名前が同じだからというわけではないだろうが)ブルガリア出身のバス歌手、ボリス・クリストフがタイトルロールを歌った1952年の録音。こういう時、NMLって本当に便利だ。
ムソルグスキー:歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」(リムスキー=コルサコフ第2改訂版=1908年版) 演奏: Boris Christoff (バス) Andrzej Bielecki (テノール) Kim Borg (バス) Nicolai Gedda (テノール) Eugenia Zareska (メゾ・ソプラノ) Russian Chorus of Paris フランス国立放送管弦楽団 Issay Dobrowen (指揮) お伴はロシア式紅茶(実は小皿に入れたイチゴジャムをなめながら、ティーバッグの紅茶を飲むだけ)で本場の気分を盛り上げる。 ロシアの土の匂いがしてきそうな力強い音楽。権力を手にするため先帝の皇子を暗殺した(といわれる)実在の人物、ボリス・ゴドゥノフの良心の呵責と破滅を描いたプーシキンの原作を、作曲者自らが台本を書いて歌劇にした重厚な作品だ。4幕物で登場人物も多く、物語が入り組んでいるのだが、無理に筋を全部理解しようと気負わず(そもそもロシア語は分からないし)、陰影に富んだロシア語の響きと荒削りな音楽に耳を傾けるだけでも心はすでにロシアの大地に飛んでいく。 このディスク、なんといっても主役のボリス・クリストフの深みがあり、しかも朗々とした美しいバスの声と、それを縦横自在に使った心理表現が素晴らしい。幼い皇子を暗殺した良心の呵責で錯乱するところなんか、ゾクゾクくる。そして有名なボリスの死のシーンも感動的だ。錯乱した彼は、後継者たる息子のフョードル(少年という設定なので、メゾソプラノの役)に国を託し、死んでいくのだ。しかし暗殺されたはずの皇子が実は生きていたという触れ込みの偽者の皇子が反乱を起こし、皇位に就こうとする。最後に狂言回しの「聖なる愚者」が、巡り来るロシアの暗黒時代を予言して幕が下りる。 このディスクにはボーナス・トラックとして、フョードル・シャリアピン(1873- 1938)の歌ったボリスのいくつかのシーンが収録されているのも嬉しい。シャリアピンって、ステーキの名前の元になった昔の大歌手、くらいの認識しかなかったが、こんな録音が残っていたとは! 余談:カウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーに、通常メゾが歌うフョードル役のオファーが来たことがあるそうだが、実現はしていない。カウンターテナーの層が厚くなった現在では、フョードル役にカウンターテナーを起用するプロダクションも出てきている(たとえばブライアン・アサワを起用した、2004年のバルセロナ・リセウ劇場の公演がDVDになっている)。 #
by bonnjour
| 2008-12-13 00:41
| 聴く&観る
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