ヨーロッパの地方都市を転々とした挙げ句、ポーランドに流れ着いた管理人「B」の日常。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。
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ジェズアルドの「聖土曜日のためのレスポンソリウム」
2009年 04月 11日
今週は聖週間にちなんだ宗教曲をあれこれと聴いてきたが、明日の復活祭を前に聖週間も大詰め。トリを飾る作曲家はこの人しかいないでしょう、ということでご登場願うのは、この方である。
ヴェノーサ公 ドン・カルロ・ジェズアルド (1566 ? - 1613)。イタリアの名門貴族の家に生まれたお殿様だ。彼の作品に特徴的な大胆な半音階進行と不協和音は、はるか後にやってくる後期ロマン派を思わせるところがあり、彼の前にも直後にも、似た作風の作曲家は存在しなかった。音楽史上の突然変異といえるかもしれない。 そのきわめて個性的な作風もさることながら、彼を有名にしたのは「殺人者」という、スキャンダラスなもう一つの顔だ。政略結婚した妻は絶世の美女で浮気者。夫の目を盗んで他の男と情事を重ねていたのがついに露見し、ジェズアルドは浮気の現場に乗り込んで、妻と情夫を惨殺したのである。この殺人自体は、当時のイタリア貴族社会では名誉を守る行為として容認されていたというから驚く。しかし彼の場合、単独でなく助っ人を連れて乗り込んでいったこと、惨殺した二人の遺体をさらしものにしたこと、妻の生んだ子供の父親は浮気相手でないかと疑い、幼いその子まで殺してしまったこと等で、世間の非難を浴びた。とはいえ貴族の彼は罪に問われることもなく、身柄は自由なままだった。 この異常な事件によって彼は後半生を孤独と罪悪感の中で過ごすことになる。それが影を落としているせいか、彼が数多く作曲したマドリガーレでは「愛」「死」「苦痛」「恍惚」といった両極端な言葉が好んで使われ、聴く者を不安にさせるような不協和音や半音階進行が登場する。 さて、前置きはこのくらいにして肝心の「聖土曜日のためのレスポンソリウム」に移ろう。この作品は、彼の死の2年前、1611年に出版された「聖週間の聖務日課のためのレスポンソリウム集」に収められている。「羊の如く屠り場へ曳かれて」~「主は葬られ」という曲名をみればわかるように、イエスの処刑から埋葬までの受難が描かれている。宗教曲という枠組みのせいか、マドリガーレ作品でみられるような極端な感情の動きは影をひそめているものの、不協和音や半音階進行による彼の語法は健在で、それが劇的な効果をもたらしている。 私が聴いたのはGimellレーベルの、タリス・スコラーズによる演奏で、20年近く前、ジェズアルドのマドリガーレにはまっていた頃に購入したもの(下の写真)。当時はマドリガーレ作者であるジェズアルドに夢中で、宗教曲のディスクはおまけみたいな気持ちで買った。しかし今回、あらためてこの曲の本来のセッティングである聖週間に聴くと、この作品の悲劇性がいっそうの迫力で伝わってくるような気がする。 ところでこのディスクのジャケットに、もう一人の「殺人者にして芸術家」であるカラヴァッジオの作品(キリストの埋葬)が起用されているのは意図的なものだろうか? Carlo Gesualdo: Tenebrae Responsories for Holy Saturday The Tallis Scholars こちらのサイトで試聴が可能。
by bonnjour
| 2009-04-11 01:58
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