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B的日常
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ヨーロッパの地方都市を転々とした挙げ句、ポーランドに流れ着いた管理人「B」の日常。音楽、美術、風景、食べ物など、美しいものや変わったものを追いかけて味わうのが好き。

by bonnjour
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美しいものや変わったもの、美味しいものを追いかけるのが好きです。日々の生活で接した、そうしたものへの感想を綴っていきます。過去の記事であってもコメントは大歓迎です。メールはこちらにどうぞ。
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クリスマス特別バージョン
待降節(アドベント)を迎え、街はクリスマスの飾り付けで華やいでいる。宗教上の習慣であることはもちろん、小雨や曇りの日が多い上に、日の出が朝8時半、日の入りが午後4時前(今週のデータ)という日照時間の少ない季節を乗り切るには、きらびやかな飾り付けで気分をハイにさせるのは理にかなっていると思う。それに商店街にしてみれば、華やかなディスプレイで購買意欲をかきたてて、クリスマス商戦に勝ち残らなければいけないしね。

ということで、生活雑貨にもクリスマス特別バージョンが出たりして、ささやかな購買意欲を刺激してくれる。
クリスマス特別バージョン_c0163963_22553143.jpg


↑ 近所のスーパーで買ったハンドソープ。左の茶色っぽいのが「マロンの香り」(っていったいなんだろう?マロングラッセ風の香りが付けてある)、乳白色のが「ヴァニラの香り」。

近所でクリスマス・マーケットが開かれていることがわかったので、週末にでものぞいてみよう。オープン時間が12時から18時までと早いのと、室内で開かれているのが、昨年までいたドイツのクリスマス市とは勝手が違うところ。この季節の楽しみ、ホットワインの屋台はデンマークにもあるのかな?
クリスマス特別バージョン_c0163963_23234345.jpg

↑ 昨年ドイツのクリスマス市で買ったホットワインのご当地カップ。左がボン、右がケルンので、ボンは数少ない観光ハイライトの旧市庁舎、ケルンは世界遺産の大聖堂やライン河の絵柄が付いているところが泣かせる。ホットワインを買う時にカップの預かり金込みの値段を払い、飲み終わってカップを戻せば預かり金が返金され、戻さなければそのままカップの「お持ち帰り」が可能というシステム。
# by bonnjour | 2008-12-02 23:25 | 暮らす
グレン・グールドとラッセル・オバーリンのバッハ カンタータ54番
日本に帰ったついでに、実家に置きっぱなしのCDをいくつかパソコンに取り込んで持ち帰った。その一つがグレン・グールドの50年代~60年代のバッハの録音で、「フランス風序曲BWV 831」「クラヴィア協奏曲BWV1058」そして「カンタータ54番」が収められているもの。グールドは高校生の頃の私の一大アイドルで(なにせ、自分の部屋には彼の若い頃の写真が使われたレコード・ジャケットを飾っていたほどだ)、乏しい小遣いの大部分は彼のレコード購入に充てられた。彼が50歳で亡くなる数年前のことである。

その後、CDがLPレコードを駆逐する時代が来て、私もグールドの同内容のディスクを順次CDで買い直したのだが、上記のCDはそんな経緯で買ったものの一つだと思う。せっかく買ったのに、その当時には現実世界の男子とデートするのに夢中で、もはやグールド熱も冷めてしまったらしく、ほとんど聴いた記憶がない。今回書棚の片隅から「発掘」して、こんなCD持っていたんだと自分でびっくりしているほどだ。

とりわけ、アメリカのカウンターテナーの草分け、ラッセル・オバーリン(Russell Oberlin)と共演したバッハのカンタータ54番「Widerstehe doch der Sünde(罪に手むかうべし)」がすごい。グールドが考案した「ハープシピアノ」(ハープシコードとピアノを掛け合わせたもの?)なる改造ピアノとモダン楽器のオーケストラをバックに、オバーリンがファルセットではない普通のテノールの超高音みたいな声で歌いまくるのである。現在主流になっているカウンターテナーとは明らかに違う歌い方だ。1928年生まれのオバーリンは今も健在だが、30代で演奏活動をやめ、以後は音楽院で後進の指導に専念しているそうだ。彼の流儀を継ぐ歌手がいるのだろうか。興味を引かれる。

実はこの二人の演奏によるカンタータ54番は映像が残っており、YouTubeにアップされている(下記)。


40数年前の演奏ということもあり、現在のアンドレアス・ショルなどの演奏と比べると、大きな違いがある。

話はそれるが、この映像が録画された当時、グールドは30歳。これが、もう、惚れ惚れするほど美男なのである。私はやっぱり才能と美貌を兼ね備えたアーチストに弱いらしい。
# by bonnjour | 2008-11-30 10:10 | 聴く&観る
28時間かけて自宅にたどり着く
楽しい時というのはあっという間に過ぎるわけで、早くもデンマークに帰る日が来る。前日の夕方6時に成田行きのリムジンバスに乗り込み、エールフランスの夜行便でまずパリに。現地時間の明け方に到着した後は3時間ほど待機して(これが結構退屈)コペンハーゲン行きの飛行機に乗り継ぐ。これで終われば楽なのだが、コペンハーゲンからはさらに列車で3時間半ほどかけて、やっと自分の住む町にたどり着く。前日、リムジンバスに乗り込んだ時から計算すると28時間かかっている。いかにも効率の悪い移動法なのだが、コペンハーゲン直行便のあるスカンジナビア航空は割高だし、今回はエールフランスのマイレージの無料券を使った(といっても燃料サーチャージと税金で5万円近く追加料金を払った)という理由がある。流行の「カーボン・フットプリント」的には、もちろんイケナイ行為だけど。

コペンハーゲンの空港駅で列車に乗り込む前に空腹を感じ、コーヒースタンドのホットドッグにちょっと心を動かされたのだが、1個約600円という値段を見て「おっと、物価高の国に戻ってきたんだ」と我に返り、我慢する。お金は有効に使わなくちゃね。それにしても、デンマークのホットドッグは日本並みに小さくて、中のソーセージも増量剤が一杯という感じなのに、値段が日本の2~3倍(日本の「アートコーヒー」や「ドトール」では200円前後だったはず)というのはどういうことだろう。ソーセージ入りパンではなく、そこに上乗せされた人件費や税金を食べているようなものだ。

さて、空腹を抱えて午後2時過ぎに自宅に到着し、冷蔵庫を開けてみると内部はほとんどカラ。相棒が食べ尽くして、何も買い足さなかったらしい。やられた!一人悲しくお土産の「柿ピー」をかじる私だった。
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↑ スーツケースに日本で買った食品や雑貨を重量制限ギリギリまで詰め込むテクをマスターした私の、今回の荷物は3部式。かつぎ屋のおばちゃんもビックリの大荷物だ。
# by bonnjour | 2008-11-26 07:08 | 旅する
カトリック神学院のオープンハウス
実家の近くにある東京カトリック神学院の文化祭(というか、オープンハウス)「ザビエル祭」に行く。ザビエルとはもちろん、初めて日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルのこと。もう20年くらい前から、毎年のように足を運んでおり、海外に出てからも一昨年と今年は一時帰国の日程が合ったので、こうしてやってきた。ふだん入ることのできない全寮制の神学校の内部が見られるというのも興味をひかれる(つまり野次馬根性)。
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ここは司教の下で活動する(特定の修道会に属さない)「教区司祭」を養成する学校で、神学生たちは敷地内の寮で共同生活を送りながら6年間の養成期間を過ごす。楽しいこと、ラクなことが多い現代にあって、終生独身を守って奉仕するカトリック聖職者のなり手が減っていることは全世界的な傾向だが、もともと男性信者の数が極端に少ない日本はそれに輪をかけて志願者が少ない(そのせいもあるのか、フィリピンなどカトリック国からの留学生もいる)。神学院の今の建物は2000年に新築されたものだが、それを機に寮の部屋数を減らしたそうだ。妻や子供に囲まれた平凡で幸せな生活を断念して、あらゆる人のために奉仕する人生を選ぶことに加え、一般の大学を卒業した後に更に6年もかけて神学、哲学や古典語(ギリシャ、ラテン)、ヘブライ語など難解な教科を学ぶのは、並大抵の決心ではないだろう。私の相棒は幼児洗礼を受けたカトリックだが、フランスでも宗教離れは著しいようで、前に「一度でも坊さんになろうと思ったことはない?」と聞いたら「まっさかー」という反応だった。

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さて、近隣の教会や福祉作業所などが出している屋台を見て回っているうちに、私の代母(ゴッドマザー)であるI夫人とバッタリ会う。長いこと近況報告もせずご無沙汰していたので、かなりバツが悪くてうろたえるが、懐かしそうに話しかけてきてくださって救われる思い。私が海外に移住したことは妹から聞いてご存じだったそうで、その私がいるのでびっくりなさったようだ。実は一昨年にこの学院祭に来た時も、かつて同じ職場で働いていたMさんと思いがけず再会した。Mさんは遠方に住んでいるので、こんな地元で会うとは思いもしなかった。何かと嬉しい驚きの起こるイベントである。
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↑ 学院の庭にいるフランシスコ・ザビエルさん。
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↑ 修道士の方が作ったビーズ細工のロザリオをバザーで買った。携帯電話に付けられるようになっている。売り子さんの話によると、手先が器用な方で、スイスイ作れてしまうらしい。こういう乙女っぽいものを修道士の人が製作している風景を思い浮かべると思わず笑いがこみ上げる。
# by bonnjour | 2008-11-22 14:30 | 暮らす
雑踏の中でフェルメール
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東京都美術館で開催されているフェルメール展に行く。フェルメールは今ほど神格化されていなかった(=十分に購入可能な価格だった)20世紀初頭にアメリカの画商が買いあさったので、現存する30数点(真作の数については諸説ある)の作品中、15点が米国にある。ヨーロッパと米国、そして個人コレクションに分散されたフェルメール作品が7点も一度に見られる大変に便利な展覧会なので、空いていそうな時間帯を選んで上野に向かったのだが、これが大変な混雑。11月11日に入場者が60万人突破しているそうだが、その勢いはとどまるところを知らないようだ。

で、行ったはよいが、朝のラッシュアワー並みの雑踏の中で絵を鑑賞するのはなんとも疲れる。いつもは「絵との対話」なんて称して、時間をかけて好きな作品を一点一点、じっくり見るのだが、とてもそんなことが許される状況ではない。それでも一通り(観覧者の頭越しに)見て、最後の部屋にたどり着いた時にはほっとしてしまった。見ることより参加することに意義のある展覧会という印象。

今回は目玉だったウィーン美術史美術館所蔵の「絵画芸術」が、長時間の輸送に耐えられる状態ではないというオーストリア教育文化省の判断で出品取り消しになった。開催直前になっての「ドタキャン」にがっかりした人は多いだろうし、何より主催者やスポンサーは苦境に立たされたのではないかと思うが、絵のためにはこれでよかったのだと思う。私はこの作品が見たい一心で会社の正月休みにウィーンに飛んだ「追っかけ」歴がある(一度ならず、二度も)。その時の感動たるや!冬の、少々薄暗い美術館の中で、来場者もまばらな中、この絵の前で好きなだけ佇み、作品が発するオーラみたいなものを全身で感じるのは快感だった。その時の美術館の空気は今でもありありと思い出す。

さて、疲れるばかりの展覧会だったが、今まで実際の作品を1点(下記参照)しか見たことのなかったカレル・ファブリティウスの作品が4点も出品されていたのはめっけものだった。ファブリティウスはレンブラントの弟子で将来を嘱望されていたが、アトリエのあるデルフトで起きた火薬庫の大爆発に巻き込まれ、30代の若さで非業の死を遂げた。爆発の際に作品も破壊されたため、現存する真筆は10数点という。

↓今回は出品されなかったが、オランダのデン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館に所蔵されているファブリティウスの「The goldfinch(ゴシキヒワ)」。33.5 cm × 22.8 cmと小さな絵だが、実際に見た時には画家の悲劇的な最期というストーリーもあいまって、不思議に心を惹きつけられた。
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# by bonnjour | 2008-11-21 13:33 | 聴く&観る